第2章 繕う月は陽光に煌めく

10/10
前へ
/45ページ
次へ
 4月末から5月の大型連休の頃、木々は新芽を覗かせ、山は柔らかい緑色に包まれる。  「ほうがの里」の桜の木は、萌ゆる葉を揺らし、来客を歓迎する。  透の勤務先である「ほうがの里」は、イベントの真っ最中だ。普段は人がまばらなこの施設は、季節ごとのイベントになると家族連れを中心に賑わいを見せる。 「『森のコンサート』間もなく開園となります!」 「通常の染め物体験をご希望ですね。奥の建物にお進み下さい」 「くじ引きやってます! ふるってご参加下さい!」  来客をさばきながら、気になるのは、臨時で採用したボランティアスタッフだ。 「架月、段ボール箱持つよ」 「これ、空箱だよ。事務所で畳むやつ」 「じゃあ、事務所に持って行ってから、昼休みにしよう」 「俺、全然仕事してないじゃん」  架月は頬を膨らませて呟く。透はその頬を撫でてから、よしよしと頭も撫でた。  4月中に諸々の手続きをして、架月は正式に透の家から高校に通うことになった。恥ずかしながら透だけでは手がまわらず、ほとんど征樹がやってくれた。特に、スクールバスの申し込みは、新年度になる前に済ませなくてはならなかったのだが、今回は征樹が事情を説明して頼み込んでくれた。  高校に入学して、約1か月。環境の変化が大きかったが、架月は休まずに学校に通っている。 「おつかれさま。お弁当とお茶、置いておくよ」  狭い事務所の空いたデスクにふたり分の昼食を置き、透は自分のデスクからキャスターつきの椅子を引っ張ってきた。  段ボール箱を畳んで壁に立てかけた架月は、椅子にちょこんと座った。大きな目で、弁当包みを見つめる。この辺りではメジャーなチェーン店の鶏飯弁当だ。 「よく見るお弁当」 「食べたこと、ない?」 「ない。初めて」 「頂きましょう」 「いただきます」  小さい一口で咀嚼し、美味しい、と感想がこぼれた。 「ごめんね。せっかくの休みなのに、どこにも遊びに行けなくて」 「俺、遊んでいるようなものだよ」 「可愛い子を()き使うなんて、できません」  透は仕事を休むことができず、架月を独りで家に置くことに抵抗があった。それなので、臨時のスタッフという名目で連れてきた。単発のアルバイトスタッフにしたかったのだが、学校側からアルバイトの許可が下りず、無償なら許容ということで、ボランティアスタッフになってもらったのだ。 「ごちそうさまでした。ごみ集めてくる」  鶏飯弁当を半分も食べないうちに蓋をして、架月は席を立った。事務所を出ようとしたとき、架月、と外から声をかけられ、逸樹、と返していた。  架月を訪ねてきたのは、逸樹だった。 「架月、元気そうで良かった」 「逸樹こそ。部活は? 野球部に入ったんだよね」 「休んじゃった。父さんに連れてきてもらったんだ」  逸樹の後ろから、征樹が顔をのぞかせる。おじちゃん、と架月の声が弾んだ。 「征樹、わざわざこんなところまで」  どうしたの、とは訊かない。スーツでなく私服の征樹は、仕事で来たわけではないのだろうから。  外は騒がしい。征樹を事務所に通し、昼食は片づける。 「ふたりは遊んでおいで」  架月の背中を軽く押すと、俺はスタッフなのに、と架月が頬を膨らませた。 「架月、行こう」 「うん」  市指定の可燃ゴミの袋を手に持ち、架月は事務所を出た。 「征樹は緑茶派だっけ」 「何も要らないよ。誰が見ているかわからないから」  征樹はプライベートでも、賄賂の授受に見られないよう気をつけているようだ。 「架月のこと、本当ありがとう。元気になったようで、何よりだ」 「特別なことはしていないよ。逸樹の方は?」 「特別落ち込む様子は見られないな。見せないようにしているのかもしれないけど、今日の様子を見ると、悪くなさそうだ」 「ありがとう。逸樹を架月に会わせてくれて」 「ほんの思いつきだったけど、連れて来て良かったよ。ふたりとも、楽しそうだ」  征樹は事務所の窓際に立ち、外を見つめて目を細める。昔の遊び体験のコーナーで、架月がお手玉に挑戦していた。その隣で、逸樹が器用にお手玉を投げている。小さい子どもが集まり、ぴょこぴょこと跳ねて見学していた。 「妻は、架月のことを思い出さないようにしているようだ。今は、かなり落ち着いている。あのことを公にしないことが良いことだとは思えないが、逸樹のためにも、妻のためにも、掘り返したくない」  叔母の発言の一部を架月が録音し、今も保存している。今のところ、透も架月も、告白するつもりは無い。今後はわからない。何かの切り札に使ってしまうかもしれない。 「一度だけ、妻が話してくれたことがある。逸樹を愛せなくなるのが怖かったのだ、と。架月が可愛い顔立ちをしていることは、昔から妻も知っていた。頭が良いことにも気づいていた。逸樹より成績が良いことも、心根の優しい子だということも。架月を逸樹と比較して架月を認めたら、逸樹を見放してしまうと思ってしまったらしい」  透には、それだけの理由ではない気もしたが、気持ちの一部であると受け止めても良い気もした。 「透は大丈夫なのか?」 「俺は何ともないよ。毎日が充実している」 「そうでなくて……お前若いんだ。まだ、自分のために時間を使う余裕があるだろうに。その……色々と」  征樹は言葉を濁したが、結婚や再就職と言いたいのが、わかった。 「俺がそういうことに向いていないのは、あんたが一番わかってるだろう。それより、架月が伸び伸びと生きてくれるのが、俺も嬉しい」 「うん、まあ、無理しないでくれるのが一番だが」  征樹はこれ以上言わなかった。  屋外では、お手玉をしていたはずのふたりが、腕相撲をしている。逸樹が勝ち、もう一回、と架月がせがむ。  シャツを肘までまくり上げ、細い腕があらわになる。すっかり痣が消えた白い肌を、初夏の陽光が照らしていた。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

72人が本棚に入れています
本棚に追加