第1章 欠けた夜を星屑で繕う

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 コンビニで荷物を発送し、早めの昼食を買おうとサンドイッチのコーナーを眺める。  昼からの式典だと、ゆっくり食事を食べることができない人も多いのではないだろうか、と透は思ってしまった。もしかして、架月もそうかもしれない。  迷った末、栄養食品のコーナーにあったクランチバーを手にとった。  車を運転しながら、赤信号で止まったときにクランチバーをかじる。カーナビを見ながら、架月はどの経路で通学するのか考えた。  山の中である透の家からは電車の路線が無いが、架月が身を寄せているであろう征樹の家は大きな駅の近くだ。その駅から電車に乗って、高校の最寄り駅まで向かうことができる。最寄り駅から高校まで徒歩で20分くらいかかりそうだが、若者の健脚では大したことないのかもしれない。  最寄り駅の通りに出ると、駅から歩いてゆく人々が見えた。ブレザーが真新しく見えるのは、入学式に出席するであろうという推測と、若者の隣を歩くスーツ姿の保護者のせいかもしれない。  透は、自分の学生時代を振り返った。小学校の入学式は、両親が出席した。中学校に上がるまえに父親が亡くなり、小学校の卒業式から高校の卒業式までは母親が来てくれた。大学は、上京したこともあり、病気の母親は東京まで足を運ぶことができなかった。のっぴきならない理由を除けば、透の親は息子の門出を祝ってくれたことになる。  高校の近くまで着くと、臨時駐車場の案内が出ていた。臨時駐車場に車を駐め、車を降りる前にネクタイを締め直す。スマートフォンを確認したが、電話もメールも来ていない。征樹からは前日に「架月をよろしく」とメールがあったが、今日は無い。架月は中学生当時は携帯電話もスマートフォンも所持していなかったので、高校生になったからといって所持しているか怪しいところだ。  正門前に行けば会えるだろうと安易に考え、人の波に従って正門に向かった。  葉桜の枝がたおやかに揺れる正門前。人であふれかえる中に、その姿はあった。 「架月!」  彼の名を呼ぶと、黒目がちな瞳が大きく見開かれた。 「おにいちゃん」  おにいちゃん。そういえば、そう呼ばれていた。人前で呼ばれると、懐かしさも相まって、こそばゆい。 「架月、背が伸びたな」 「うん」  最後に会ったときは10cmくらい低かったのに、いつの間にか同じ身長になっている。中学生のときは制服が学ランだったが、高校はネイビーのブレザーとダークグレーのスラックスだ。スラックスは、よく見ると薄くチェック柄になっている。ボルドーカラーとネイビーのストライプのネクタイが、垢抜けた綺麗な顔立ちに似合っている。やはり、1年前より大人っぽくなった。 「入学おめでとう」 「ありがとう」  架月は口をつぐみ、俯く。その唇が恥ずかしそうに結ばれるのを見てしまうと、透は自分の口も真一文字に結んでしまった。  校門の前でたむろしていると、他の人の迷惑になってしまう。受付を済ませ、式典の会場である体育館に入った。生徒と保護者は座席が離れてしまうため、ここで一時お別れみたいになってしまう。 「じゃあ、式が終わったら、また校門の前で」 「うん」  架月は、控えめに頷いた。相変わらず、大人しい。口数も少ない。友達ができなかったらどうしよう、と透が不安になってしまった。口の達者な輩に言いくるめられはしないか、透がひやひやしてしまう。  式典が始まる前に、受付で渡されたプリントを読んだ。式の後は、生徒は教室でホームルームがあり、保護者はこのまま体育館で説明会が行われることになっている。解散は、夕方だ。  ただ席に居れば良いと考えていたのが、甘かった。入学後の学校行事の日程や、保護者が関わることを、説明されるのだ。しっかり聞いて、征樹に伝えなくてはならない。否、征樹ではなく、架月の養母にあたる征樹の妻――透から見れば叔母にあたる人に伝えなくてはならないか。  式典の最中も、ひとりプリントを黙読していた。ボールペンを持ってこなかったことを悔いた。架月に渡し損ねたクランチバーはスーツのポケットに入っているのに、ボールペンは手帳ごと車の助手席に置いてきてしまったのだ。  学生のときは早く終わってほしくて仕方なかった式典も、こういうときは早く終わってしまう。  説明会が始まる前に車に戻って手帳とボールペンを持ってこようと思ったが、保護者席から離れる人が誰もおらず、透も離席をためらった。  動けずにいたところ、後ろからつつかれた。振り返ると、斜め後ろの女性がボールペンを差し出している。透と同年代か、年下に見える女性だ。スーツがいわゆる「入学式のお母さん」ではなく、リクルートっぽい。下ろした前髪と黒のボブヘアが余計にそう思わせた。  女性は手元にもボールペンを持っている。透は軽く会釈し、ボールペンを借りることにした。  説明会で話を聞きながら、プリントにメモを取る。入学後にかかるお金の話には、特に意識が吹っ飛びそうだった。何だ、この金額は。子どもを持つ親は、普通にこの金額を支払っているのだろうか。  必死に話を聞きながらメモを取り、透は自分がいかにゆるふわに生きてきたかを痛感した。自分と同じ年齢で子どもを持つ人は多いのに、独身の自分は呑気なものだ。社会に弾かれた自分は自分なりに必死に生きているつもりになっていた。  説明会が終わり、席を立つと、斜め後ろの女性に声をかけた。 「ペン、ありがとうございました。本当に、助かりました」  女性は目を丸くし、鼻まで脹らませてしまった。いえいえ、と首を横に振り、耳にかかる髪を耳の後ろにかけた。 「筆記用具を探していたように見えたものですから」 「面目ないです」 「お役に立てて、何よりです」  女性はボールペンをリクルートバッグのポケットに刺し、頭を下げる。 「初めまして。わたくしは、1年2組の酒々井(しすい)千絵(ちえ)の姉、千津(ちづ)と申します」 「あ……勝呂(すぐろ)架月の親戚の者です」  架月と自分の間柄がすぐに思い当たらず、とっさに親戚と言ってしまった。 「勝呂さん、千絵と同じクラスですね。出席番号も隣同士でしたよ。これから3年間、よろしくお願いします。そうだ、連絡先交換しませんか? 妹と同じ中学校の子が誰もいなくて、知り合いもいなくて、心細かったんです」 「でも、自分は、代理で来て……」  話をさくさく進められる千津に押され、透は連絡先を交換してしまった。  体育館を出ると、お姉ちゃん、と女の子の声が弾んだ。真新しいブレザーと格子柄のダークグレーのプリーツスカートに身を包んだ女子が、千津にとびつく。 「お姉ちゃん、ただいま!」 「こら、千絵。こちら、勝呂架月さんのお兄さん」 「初めまして、千絵です。架月くんのお兄さん、格好良いですね!」  さくさくと話を進めるのは、姉妹とも似ている。  千絵の後ろを、静かに架月がついてきた。 「架月、おつかれさま」 「おにいちゃんこそ、おつかれさま」  こちらは、会話が続かない。 「勝呂さん、お写真撮りましょうか。弟さんと、並んで」 「良いんですか? じゃあ、お言葉に甘えて」  透はスマートフォンを出し、カメラ機能を起動しようとして、複数の不在着信に気づいた。発信者は、勝呂逸樹。征樹の息子で、彼は地元の高校の入学式に出席しているはずだ。メールも1件来ていた。 『父さんが事故に遭って救急車で運ばれた! 病院は、駅西口の総合医療センターです。透くん、すぐに来て! 母さんだけだと不安!』
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