第1章 欠けた夜を星屑で繕う

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 高校の近くの国道に出れば、総合医療センターまで道なりで行ける。慌てている身としては、幸いだった。  カーナビが予測した到着予定の時間は、40分後だ。  国道の交通量は多いが、渋滞はしていない。  赤信号で停止し、透は助手席の架月に目をやった。架月は、シートベルトを挟んで体をくの字に折り曲げていた。  具合が悪いのか。近くにコンビニがあるだろうか、と透は記憶をめぐらせる。  架月は上半身を起こし、首を横に振った。くう、と腹の虫が鳴き、架月は形の整った眉をしかめた。桜色の形の薄い唇をとがらせる。その唇に目が吸い寄せられる気がして、透は余所見をやめた。  ジャケットのポケットからクランチバーを出し、架月に差し出すが、クランチバーが引っ張られる感じは、無い。傍らを見れば、架月は助手席の窓から外を見ていた。光沢の無い真新しいブレザーからのぞく手は、折り目の新しいスラックスの膝の上でこぶしをつくっている。運転席からは表情をうかがうことができない。クランチバーはドリンクホルダーに立て、青信号で車を発進させた。道中、ふたりとも黙したままであった。  総合医療センターの駐車場に着く頃には、日が暮れ始めていた。駐車場は混んでおり、玄関近くに駐めることはできなかった。 「行くぞ」 「うん」  短い言葉を交わし、駆け出した瞬間、スピードを出した車が目の前を横切る。架月が透の腕を引き、勢い余って透は架月にぶつかってしまった。ふたりの肩がぶつかり、鈍い音が発せられた。 「ごめん!」  透は架月に謝り、架月は首を横に振った。 「本当に、ごめん。俺が周りをよく見ていなかったから」  架月は黙ったまま、肩を押さえて首を横に振る。透が自覚している以上に強くぶつかってしまったかもしれない。 「いこ」  行こう。架月は顔を上げ、透に促す。その目が涙で潤んでいた。  本当に、ごめんなさい。助けてくれたのに、痛い思いをさせてしまって。丁重に謝罪したいが、まずは、連絡をくれた逸樹に会わなくては。  病院の受付で勝呂征樹の名を出し、スタッフに案内してもらった。その間、ずっと架月は肩を押さえていた。  征樹は県議会議員だから、病院が忖度してICUか特別個室にいるのかと思いきや、案内されたのは、内科の多床室だった。 「透くん! 架月!」  ぼてっ、とした低い声が、ふたりを呼んだ。征樹の息子の逸樹だ。以前会ったときより成長し、征樹に似てきた。地元の高校の学ランが似合っている。偏差値の高い進学校だ。 「逸樹、ありがとう。教えてくれて」 「ごめん。俺、どうしたら良いのかわからなくて」 「連絡くれるだけでも冷静な判断だよ。で、征樹は?」 「いるよ」  征樹本人の声が割り込んだ。焦っていると周りが見えなくなるのは、先程実感したばかりなのに、またやってしまった。  征樹はベッドのリクライニングを上げて、椅子の背もたれのように寄りかかっていた。頭には包帯が巻かれている。 「征樹!」 「透、すまなかった。架月の面倒を見てもらったのに、こんなことになってしまって。架月も、ごめんな。せっかくの門出なのに、祝えなくて」  おじちゃん、と架月は言葉をこぼし、首を横に振った。もう肩は押さえていない。逸樹の声を聞いた後だと、架月の声は耳になめらかに通る。 「おじちゃん、痛そう」 「痛くないよ」  征樹が架月に向ける眼差しは、県議勝呂征樹しか知らない人が驚くほど、優しく柔らかい。 「転んだときに、アスファルトで擦り剥いたんだ。でかいたんこぶもあるよ。触るか?」 「じゃあ」 「征樹のお言葉に甘えて」 「きみ達じゃない」  逸樹と透が冗談のつもりで手を伸ばすと、征樹に制された。 「入学式が終わって皆が体育館から移動し始めたとき、大型トラックが敷地に突っ込んできて、俺思わず逃げ切れなかった生徒の前に出ちゃった」 「父さん、その子をかばったままトラックにぶつかって、頭から転んじゃったんだよ。で、念のために検査入院」 「俺は馬鹿だよな。昔から、慌てると周りが見えなくなる」  征樹のその性質は、透にも受け継がれているようだ。 「皆いるから、良いタイミングだな。話がある。架月は」  征樹が話し始めたとき、丸椅子に腰かけて黙していた女性が立ち上がった。征樹の妻で、逸樹の母親。透にとっての叔母だ。  逸樹、透、架月を見やり、ふん、と鼻を鳴らした。びくり、と架月が震え、叔母は迷惑そうに眉をひそめた。 「おいとましましょう。もうここに居る意味はないわ」 「母さん、父さんが話って」  逸樹が言い始めると、遮るようにベッド柵にハンドバッグをぶつけた。金属の金具がピンポイントでぶつかり、甲高い音を発する。架月が苦しそうに耳を塞ごうとしたのを、透は見てしまった。 「帰るわよ」  つかつかとヒールを鳴らし、叔母は病室を出る。3人とも後を追い、玄関を出たところで歩みを止めた。 「あんたって、本当に常識がないのね」  叔母の第一印象は、育ちの良さそうな女性だった。でもそれは、初めて会った20年以上前のこと。今は、あまり良い印象が無い。 「まずは、逸樹にお祝いを申し上げるんでしょう。それから、入学祝いのお包み。パニック状態の逸樹をなだめなかったのも、おかしい。あと、そいつの入学式の資料、まだもらっていないけど」  そいつ、と架月をあごで示した。  言い返す言葉が思いつかず、すみません、と入学式で渡されたプリントを封筒ごと渡す。 「誰のせいで悪態を()かされているんだか、わかったもんじゃないわ。私はとんだ被害者よ。はいはい、ご苦労さま。もう関わることもないでしょう。お引き取り下さいな」  力任せに背中を押され、透はロータリーに突きとばされた。  アスファルトに膝をつき、振り返ると、叔母は逸樹と架月の肩を掴むように両手をかけ、ふたりを連れて離れてゆく。  架月が振り返った。外灯の明かりが届かず、表情は見えなかった。
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