第1章 欠けた夜を星屑で繕う

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 冷たい雨に花が散り、桜の木は柔らかい新芽があらわになる。  仕事は休みの日。透は早朝から電気窯で陶器の素焼きをしながら、金継ぎの作業を再開した。  麦漆を硬化させたて漆風呂で寝かせた皿の、はみ出た麦漆を剃刀(かみそり)で削る。目に見えない細かい溝や欠けもあるため、継ぎ目全体を錆漆(さびうるし)を埋めた。一晩寝かせ、次の作業は明日行う。  金継ぎは、少しずつ、時間をかけて行う。漆が固まるまで時間がかかるからだ。寝かせ過ぎも良くない。あまりに時間が経つと、漆が固くなり過ぎて削る作業が大変になってしまうからだ。  透は深く溜息をつき、作業途中の皿を漆風呂にしまった。スマートフォンで時間を確認すると、もう夕方になっていた。  あれから1週間、架月からの連絡は無かった。透がメールを送っても「送信できませんでした」のメッセージが届き、電話をかけても繋がらない。  無理矢理連絡先を交換してしまったから、嫌がられたのだろうか。勝手にアプリケーションをダウンロードをしたから、嫌われたのだろうか。  楽しかったと言ってくれた。良かったと言ってくれた。少しだけど、笑ってくれた。でも、膝折れしたり痣が見えたりした。  嫌な予感がする。それなのに、手を伸ばすことをためらってしまう。親戚同士でも、どこまで介入しても差し支えないのか、判断ができない。  素焼きが終了し、電気窯を止めると、透はある人に電話をかけてみた。 『……透くん? 俺も電話しようと思っていたんだ』 「逸樹、急に悪いな。今、どこにいる? 話しても大丈夫か?」  従弟の逸樹に対しては、ぶっきらぼうになってしまう。逸樹と同い年の架月には、気持ち悪いくらい猫撫で声になってしまうのに。 『駅の……あのコーヒーショップ。隅っこの席にいるから、電話していても平気だよ』  裕福な子だな、と透は思ってしまった。駅のコーヒーショップは有名なチェーン店で、透が学生の頃からあった。当時は高価に感じたため、利用したことは無かった。 『でも、20分だけだよ。架月と待ち合わせているんだ。俺は自転車通学なんだけど、電車で来る架月を待って、一緒に帰るんだ』  逸樹の声が大きくなり、弾んでいるのが電話口からでもわかる。 「仲が良いんだな」 『うん。架月は最高の友人だと思っているから』  架月はどう思っているか、わからないけど。小声でつけ加えた。 『小学校から中学校まで、ずっと同じクラスだったんだよ。高校も第一志望の同じところに通いたかったんだけど、架月が第一志望に落ちちゃって、逆に俺は架月が合格した滑り止めに落ちちゃって、一緒に通えなくなっちゃった』  逸樹の合格した第一志望校も、架月の合格した滑り止めも、どちらも偏差値の高い進学校だ。ふたりにとっては滑り止めだったが、第一志望にする人もいるくらいレベルの高い学校なのだ。 『でも、縁あって家族になったんだから、時間をつくって一緒に居たい。架月から目を離すわけにはゆかないし』  逸樹の声が沈んだ。 「俺が電話したのは、そのことなんだ。逸樹には、残酷なことを話させることになる」 『良いよ。俺も、覚悟を決めたから、透くんに電話しようとしたんだ』  少しの間、沈黙が訪れた。それを破ったのは、透だ。 「架月は、叔母さんから虐待されている。その認識で間違いないか?」  逸樹は即答せず、ためらってから、ごめんね、と謝られた。 「逸樹が謝ることじゃない。逸樹だって、酷いことをされていたじゃないか。汚い言葉をかけられたり肩を掴まれたり」 『俺は……俺だけは、平気なんだよ。本当に。俺がいないときは、あんな程度じゃないみたい。母さん、部屋の中で架月とふたりきりになると、抑えられないくらい荒れちゃうんだ。入学式の次の日、架月が予定より遅く帰ってきたんだけど……透くんと会っていたんだって?』 「すみません、俺です」 『架月、嬉しそうだった。アドレス教えてもらったって。入学式で撮った写真をもらったって。頂いた作品も大事に飾りたいって。あんなに嬉しそうな架月は、うちに来て初めて見た。それなのに』  透は相槌を打ちながら、時間を確認した。20分。まだ余裕がある。 『母さんが部屋に来て、俺追い出されて……部屋にバリケードをされて』 「逸樹」 『バリケードをどかすと、母さんは金槌を持って泣きながら部屋から出て、架月は部屋の隅でうずくまっていた。怪我はしていないみたいだった。架月のスマホは、透くんのアドレスがブロックされていて、俺も父さんも解除できなかった。写真も削除されて、新しく入ったアプリもアンインストールされて、金槌は……透くんの作品を壊すために使ったみたい。わざわざ米の袋を何重にもして、その中に作品を入れて、粉々になるまで砕かれて……本当に、ごめんなさい』 「マグのことは気にするな。また焼けば良いんだから」  自然と、その言葉が出た。口を開くと力が抜ける感じがして、歯を食いしばっていたことに気づいた。 「でも、なぜ叔母さんは、これほどまで架月を目の(かたき)にするんだ」 『架月は、もともと学校の近くの児童養護施設にいて、母さんは架月に限らず施設の子のこと自体を良く思っていないんだ。学校行事の集合写真に施設の子を入れないでってクレームを入れたくらい。架月は架月で、施設で良くない扱いを受けていたみたいで……でも、犯罪とかじゃないよ。架月は父さんの知り合いの子みたいで、その縁もあって、父さんは架月をうちの子にしてくれた。俺は架月と家族になれるのが嬉しかったけど、母さんは……どんどん架月のことを憎むようになって、自分は酷いことをすることを強要された被害者だと自信を持って言うようになって……俺、架月を助けたいのに、何もできなくて……ごめん。時間だから、切るね』 「待って、逸樹」  透の言葉を待たずに、逸樹は電話を切った。
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