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悔しさのあまりに、お盆を両手で握りしめても、なにもならないことくらいわかっているのに、せずにはいられない。男の背後で俯いて、悔しさを嘆く僕の耳に、マリカ様の声が聞こえる。
「褒めてくださって、とても嬉しく思います」
「このあとお暇なら、一緒に別の店に行きませんか? もっと美味いものを出すところを、知ってるもんだからさ」
「ちょっとアナタ、マリカ様にたいして、とても失礼な口の利き方っ!」
「ルーシア、いいのよ」
お付の方が腰をあげて声を荒らげた瞬間、マリカ様は手をあげてそれを制した。男はチッと舌打ちして、お付の方を見下ろす。
僕同様に、悔しそうな表情をしたお付の方が椅子に座ったのを確認したあと、マリカ様が凛とした声で告げる。
「私はアスィール・カビーラ様との婚姻を控えている身なので、ご一緒することは叶いません」
「か、カビーラ様との……大変失礼いたしやした!」
慌てふためいた男は、頭を何度もへこへこ下げてから、僕の前から立ち去った。それは当然だろう。カビーラ様といったら、この国で知らない者はいない王族の親戚筋で、大地主のひとり。睨まれたりしたら、それこそひとたまりもない。
大きな壁になっていた男がいなくなったことで、マリカ様と話すことができるのに、カビール様との婚姻の話を聞いてしまった手前、これ以上の接触を控えなければならなかった。
「ハサン……」
僕をいたわるように見つめながら、優しく名を呼ばれたけれど、小さく頭を下げてその場をやり過ごし、急いでカウンターに戻る。
僕はしがないジュース売り。マリカ様のようなお貴族様と親しげに会話をしてしまったことが、そもそものあやまりだった。
(これ以上、かかわっちゃダメだ。マリカ様に迷惑がかかってしまうかもしれない)
カウンターにある流しで、俯きながら必死に洗い物にいそしむ。マリカ様の存在を感じないように、何度もコップを磨いたのだった。
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