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☆☆彡.。
みずから、かかわらないようにしていたのに、しばらくすると、お付の方がカウンターに現れた。
「あの、すみません」
「どうしましたか?」
濡れた手をタオルで拭い、カウンター越しで対応する。マリカ様は、まだあの席に座ったままだった。
「さっきの男が、まだ外でうろついていても危ないので、馬車を待たせているところまで送っていただけませんか?」
「いいですよ。喜んでお送りします」
にこやかに二つ返事で了承し、お付の方と一緒にマリカ様が待つ席に向かった。僕が現れたのを見、彼女はどこか安堵した笑みを浮かべる。
「ハサン、ごめんなさいね。呼びつけてしまって」
「いいえ、気にしないでください。さ、お手をどうぞ」
彼女が立ち上がりやすいように手を差し伸べたら、白くて小さな手がやんわりと僕の手を掴む。皮膚に伝わってくる体温がえらく低くて、思わずぎゅっと握りしめてしまった。その瞬間、華奢なつくりをしている指を感じて、握りしめていた力を少しだけ緩める。
「ハサンの手、とてもあたたかくて、安心感があるわ」
「ありがとうございます。足元に段差があるので、気をつけてください」
彼女の歩幅に合わせて、少しだけ前を歩く。僕の視線の先にはお付の方がいて、馬車を待たせている場所に案内してくれた。
「ハサン、お願いがあるの」
僕が立派な馬車を目視したタイミングで、マリカ様が唐突に話しかけてきた。
「お願いですか?」
少しだけ背後にいるマリカ様に振り返ったら、握りしめている手が引っ張られ、僕の足をとめた。
「砂漠の月を見てみたい」
「え?」
「ハサンが見た砂漠の月を、私の目で見てみたいわ」
小首を傾げながら色の違う左右の瞳を細めて、僕に頼むマリカ様。まるで小さな子どもがお菓子をねだるような口調に聞こえてしまい、呆気にとられてしまった。
「えっと……」
「マリカ様、夜の外出は大変危険でございます」
言い淀む僕の傍に、お付の方が駆け寄ってきた。
「ルーシア、私に残された自分だけの時間は、あとどれくらいだったかしら?」
「そんなことを言われても――」
「私がカビーラ様のもとへ嫁いでしまったら、もうこんなふうに外に出られない。鳥かごの中の鳥になってしまうことが、わかっているのよ。その前に、いろんなものをこの目で見てみたいと思っちゃ、ダメなのかしら?」
マリカ様はお付の方ではなく、僕の顔を見て問いかけた。
(僕がマリカ様を安全に砂漠までお連れして、月をちゃんと見せて無事にお送りすることができれば、まったく問題ないのかな)
「マリカ様、目立たない格好で、ここまで来ることができますか?」
「ハサン!」
「闇夜に紛れて移動すれば、昼間よりは安全だと思います。それと砂漠の夜は思っている以上に冷えますので、厚着でお越しください」
「ハサン様、本当に大丈夫なのでしょうか?」
お付の方が、心配そうな表情をありありと浮かべる。まだ二回しか逢っていないジュース売りの僕のことなんて、信用できるわけないのは当然だ。
「マリカ様になにかあったら、店のすぐ傍にある灰色のテントで暮らしている両親を訴えてもかまいません」
そして店が終わる二時間後に、ふたたびここで待ち合わせることになったのだった。
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