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 翔一は「どいてくれ」と母親を押した。が、母も踏ん張り「行かなくていい」と譲らない。「行く」「ダメ」「行く」「いいかげんにしなさい」と今度は身体を張った押し問答となり、翔一は、しまいに母を「うるさい」と力任せに突き飛ばしてしまったのだ。  母は勢いよく吹っ飛び、鈍い音をさせて崩れ落ちた。  駆け寄ろうという意思はあるのだが、足が動かなかった。身体中の筋肉という筋肉、関節という関節が硬直している。口の中は、からからに乾いていた。  台所の片隅で、母は床に倒れ伏したまま両手で頭を抱え、身体を海老のように縮め、呻き声を上げている。  何かしなくては。  何とかしなくては。  でも、何をすればいいのだ。 「い、痛い」  母の、絞り出したような小さな声で、翔一の頭の中に閃いたものがあった。 (あ、き、救急、車だ)  呼吸していたのかさえ自覚のなかった翔一は、ようやく動き出すことができた。呪文のように「そうだ、救急車を呼ぶのだ、救急車だ」と何度も呟き、顔を上げる。  電話はどこだ。スマホは、とズボンのポケットを探った。バッグの中を探した。机、テーブル、椅子の下。どこにもない。
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