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「でも亘くんがカウンセラーになってるなんて知らなかったよ」
実家に帰った時はよく亘のことが話題にあがるけれど、どこで働いているかは誰も知らずに昔話をするばかりだったので、気になっていた。亘の母親に聞けばすぐわかることなのだろう。でもそこまで深く聞くのも悪いかと思ってためらっていた。
「うん、大学の時にこの道に進みたいなって思ったんだ」
そういえば、亘が大学で何を学んでいるのかも知らなかった。当時高校生だった里帆の勉強をよく見てくれていたのに、どうして気づかなかったんだろう。
「カウンセリングは、この会社でだけ?」
「いや、臨床心理士の資格持ってるから、いろんなとこでやってるよ」
「……すごいねえ……」
臨床心理士という資格についてよくわからないけれど、ひとつの場所ではなくいろいろなところで仕事をしている亘のことは純粋にすごいと思う。会社という場所が主体ではなく自分が主体だということだ。仕事に振り回されている里帆とは違う。
「里帆の仕事もすごいと思うよ。まさかこんな有名な会社に就職してるとは思わなかった。がんばったんだな」
亘の変わらない柔らかい笑顔にほっとする。
里帆は今の会社に憧れていて、幸いにも入社できた。大好きな商品に囲まれながらする仕事は大変だけど毎日が充実していた――はずなのに、今はただ暗い気持ちにしかならない。
なんとかして、克服したい。
「世間話はそれくらいにして、ここに来たんだからちゃんと話聞くよ」
「あ、そうだった」
昔話が楽しくて、半分忘れていた。どうせならこのままずっと話をしていたい気持ちもあるが彼にとっては仕事なのでそうはいかないんだろう。亘は、両手を開きハッとして顔を上げ、「ちょっとごめん」と一度部屋を出て、すぐに戻ってきた。
「アンケートを書いてもらわなくちゃいけないんだった。ごめん、ご記入をお願いします」
「はい」
手渡されたバインダーに挟まった紙は、病院の初診の時によく見るアンケートだ。名前や部署、それから相談内容について。相談内容の欄にはまず選択項目があり、「雇用について」「人間関係」「ハラスメント」「その他」があった。里帆の悩みはどこに該当するのだろうと考えながら、「その他」にチェックを入れた。けれどその他の場合は内容を書かなければいけない。その先が書けなかった。「処女なのにラブグッズ開発なんて無理です」と叫びたいのに伝えられない。
とりあえず他の項目は埋めたけれど、相談内容の詳細だけが空欄のままだ。
里帆が悩んでいると、亘が「あ」と言って時計を見た。
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