30人が本棚に入れています
本棚に追加
お盆に帰省した陽風は、僕に会いに家まで来てくれた。スラリと背が伸びてモデル体型になった美丈夫で、とても同い年には見えなかった。
「なんか……緊張するね」
気後れしたまま、僕は自分の部屋に上げた。母はパートで不在だったし、夏の午後は北国でも暑く、外で会う選択肢はなかった。2人切りの部屋で、冷えた麦茶を飲みながら、ポツリポツリぎこちなく近況を話し出す。
「あ。懐かし。まだ持っていてくれたんや」
ますます増えたミニカーコレクションを前に、陽風が呟く。視線の先には、黒く塗られたあの車。インクの経年劣化で、今では紫がかったセピア色だ。
「当たり前だろ」
だって、宝物なんだから。喉まで迫り上がった言葉は、照れ臭くて飲み込んだ。
「本物は……どうしたの」
父親が亡くなり、陽風はまだ無免許だ。処分してしまったのかもしれない。
「あれなぁ、父ちゃんの棺桶になってん」
思いがけない答えに息を飲んだ。暴漢に襲われた父親は、ランクルごと炎に包まれたそうだ。
「ごめ……んっ、んんっ!」
俯いた顔が掴まれて、大きな影が覆う。初めてのキスは、同意なく奪われた。抵抗しようと藻搔いたけど、強い力で抱き竦められて。
「俺、ずっと好きやってん」
至近距離のヘーゼルナッツから、止めどなく滴が溢れた。白い肌をはっきりと朱に染めて、湿り気を帯びた温もりが繰り返し僕の頰に唇に押し当てられた。
「もう、ミナトしか居らへんねん」
必死の涙声に突き放せなくなった。動揺が混乱に変わり、戸惑いのまま流されながら――そういえば、彼は幾度も『大好き』だとか『愛をこめて』なんて文言でメールを締めていたことを思い出す。
「挨拶だと思うよなー」
日付が変わる前に、ポンソルから帰ってきた。2人で暮らす、1人の部屋。空気に温もりがないから、腹は膨れているのに胸はペシャンコだ。
――ピピッ
メッセージアプリが待望の着信を告げる。送信者のアイコンは、盗まれている最中のランクル200。
『今、NY。やっと着いた。年明けには終わるから、待っとってな』
年明け。たったの三文字に、淡い期待が押し潰される。来月末には、僕の誕生日があるし、クリスマスも正月も過ごせない。
『分かった。気をつけて』
それでも、僕は物分かり良く返すしか出来ない。だって、彼は――。
ピコン、と画像と一緒に返信が届く。
『パスポートあるやろ? 休暇申請しといてな』
送られてきた画像を拡大する。「ハワイ州結婚証明書取得申請書」。ハワイでは、外国人でも同性同士の法的効力のある結婚が叶う。
僕は、通話ボタンをタップする。すぐに繋がった。
「本気?」
どこへ吹くとも知れない風を縛りつけるなんて無理だと諦めていた……けれど。
「せやかて、俺の帰る場所は1つだけやもん」
僕達の部屋から、初めて恋人とパンツと黒のランクルが消えたとき――混乱と心配の中で陽風を問い詰めた。彼は、困ったようにクシャクシャの照れ笑いを浮かべた。
『せやかて、持ち出したからには、返しに帰らな窃盗やろ? 俺、泥棒になるのは嫌やねん。堪忍なぁ』
世界中どこへ行っても、返しに帰ることが出来るように。ちなみに、パンツは“僕を感じていたい”から。そんな殺し文句を打ち明けられたら、許さない訳にいかないじゃないか。
「ははっ。準備しておくよ」
青紫色のインクに包まれた1/64のミニカーを見詰める。あの夏――彼の腕の中に捕らえられるより早く、僕は陽だまりみたいな風を捕まえていたらしい。
【了】
最初のコメントを投稿しよう!