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デート当日、わたしは黒い服を着た。いつもは女の子らしいワンピースだったり、レースの付け襟だったり、王子様の隣に少しでも見合うようにと頑張っていたけれど、今日でこの恋は終わりなのだ。少しくらい喪に服してもいいだろう。
待ち合わせ場所に居た結斗くんを、遠巻きにちらちらと見る女の子達の視線。本来なら、わたしもあちら側だ。以前はその目が嫌で仕方なかったけれど、もうすっかり見慣れた光景だった。
「お待たせ、結斗くん」
「いや、俺も今来た所……あれ、姫依、珍しいな」
「え……」
デートに似つかわしくない洒落っ気のない黒い服を見咎められたのかと一瞬戸惑うけれど、彼の大きな手は優しくわたしの髪に触れる。
「リボンのピン、今日は付けてないんだ?」
「あ、えっと……うん。今日は、たまたま……」
「そっか、良かった」
彼からの贈り物を付けなくなったわたしに対して、良かった、とは。
もしかすると、今日は結斗くんの方から別れを告げられるのかも知れない。そんな一抹の不安に、思わず表情が固くなる。
同じ別れだとしても、引き金は自分で引きたいなんて、どこまでも自分勝手な思考に自分で自分が嫌になった。
その日のデートは、定番のテーマパークだった。遊園地でお馴染みのジェットコースターやコーヒーカップ、他にも目を惹く色んな乗り物がある。
けれど人気のアトラクションにはあまり乗らず、のんびり歩いて各所の建物やオブジェで童話のような可愛い世界観を楽しんだり、カラフルな食べ物や飲み物を買い食いしたり、たまにゆったりした乗り物で遊んで、まさにわたしに合わせたデートプラン。
もっと絶叫マシーンとか、ホラーハウスとか、結斗くんが楽しめそうなものもたくさんあるのに、わたしの行きたいところや好きそうなものを優先させてくれる。
色んな話をして、彼の笑顔が見られるだけでアトラクションの待ち時間だって退屈しない。歩く速度だって、こんなに身長差があるのに隣に居て苦痛に感じたこともない。
優しくされて、嬉しい。大切にされて、幸せ。彼との一分一秒が、大好き。
別れを告げようと決めたはずなのに。現金なもので、一度幸せを自覚してしまうと、どうしてもこの繋いだ手を振り払うことが出来なかった。
「……姫依、何かあった?」
「え……? えっと、何が?」
「今日一日、何だか思い詰めた顔してるからさ」
デート終盤、ロマンチックな夕暮れのテーマパーク。彼に手を引かれエスコートされて乗り込んだのは、園内を一望出来る大観覧車だった。
向い合わせに座り、ようやく二人きりになったところで彼から告げられた、その言葉。
わたしはそんなにも分かりやすい顔をして居たのか。癖でヘアピンを弄ろうとして、そこに何もないことに気付いて我ながら苦笑する。
「何か、話しにくいこと?」
「……、え……と」
そんなに優しい顔で見ないで欲しい。たくさん甘やかしてくれて、たくさんわたしのことを考えてくれる、世界一の恋人だ。自分勝手な別れ話をしに来たなんて、言える訳がない。
わたしの沈黙に、結斗くんは話題を変えるように、不意にポケットから小さな箱を取り出した。
「あのさ、これ……」
「……? なあに?」
「開けてみて」
あのヘアピンに似た赤いリボンのかけられた、可愛らしい小箱。促されるまま受け取り開けると、中にはティアラを模したシルバーの指輪が入っていた。
「え……」
「今日、記念日だからさ。姫依にプレゼント。昔あげたリボンのピンも可愛かったけど……今度こそ、お姫様のティアラを、きみに」
そう言って、彼がわたしの手を取って、まるで結婚式のように薬指にその指輪を嵌めようとする。
窓から差し込む沈みかけの夕陽が色素の薄い彼の髪を美しく照らし、宝石みたいな瞳は熱を帯びる。
女の子なら誰でも憧れるような、映画のワンシーンのようなその光景。しかしわたしは咄嗟に、その手を引っ込めてしまった。
「姫依……?」
「ご、めんなさい……でも、わたし、お姫様なんかじゃない……」
「姫依は俺のお姫様だよ」
「ううん……わたしは、お姫様になんかなれないよ!」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。けれど結斗くんは優しく宥めるような声音で、続きを促した。
「どうして、そう思うの?」
「……だって、わたし、こんなだし……それに、絵本なら、王子様と結ばれてハッピーエンドでしょう? ……その先なんて、あると思ってなかったの……」
「その先、って、今のこと?」
「うん……今は、ハッピーエンドの続き……とっても幸せ。……でも、いつか、この幸せが壊れちゃうのが、怖いの……」
ついに口にしてしまった不安。本音を言葉にすると、涙が勝手に滲むのは何故だろう。俯くわたしの泣きそうな横顔も、観覧車のガラスに映し出されてしまう。
「でも……『こんな』か。姫依は『こんな』に可愛くて、今が怖くなるほど幸せって伝えてくれる良い子なのに?」
「……、いいこなんかじゃない。わたしは、どっちかというと王子様に呪いを掛ける悪い魔女で……」
「はは、姫依の呪いならいくらでも歓迎するよ」
「ダメなの!」
わたしの不安を笑って包み込もうとしてくれる彼に、嬉しくもあり、悔しさも感じた。わたしの真剣な悩みを、完璧な彼はきっとわかってくれない。
「とにかく、わたし……もう、結斗くんの傍には……」
「……、それって、別れたいってこと?」
「……う、ん……」
ついに言ってしまった。
響くのはゴンドラの稼働音と風の音だけ。まだ観覧車は四分の一しか進んでいない。解放まで遠い密室。重苦しい静寂が、やけに痛い。
けれどしばらくして、先程彼を振り払ってしまったわたしの手を、彼は再びそっと握った。
「……もしも今、このままこの手を離して、きみがもう二度と俺に会わないようにと北と南に別れてしまっても……俺は地球の裏側でまた姫依と出会うよ」
「え……?」
「……西と東でも同じ。何度離れても、何度だってお姫様を迎えに行く。終わりなんて来ない。俺が終わらせない。……そうしたら、何度でも出会った俺に、一からまた恋をしてくれる?」
「……」
予想外の返答に、思わず呆然としてしまう。いつかの終わりが怖いなら、終わりが来る前に何度でも最初からやり直そうと言うことだろうか。突拍子もない解決策に、思わず戸惑いが隠せない。
「なに、それ……」
「ダメだった? それじゃあ……やっぱりお別れなんて、受け入れたくないな」
「でも……」
「俺は姫依のこと、小さい頃からずっとずっと大好きなんだ……それはこの先も、変わらないよ」
「そんなの、わかんないよ……ずっとなんて、永遠なんてない」
仲睦まじかったはずの両親だって、そうだった。絵本のお姫様だって、その先どうなるか描かれていない。
それは、その先にそれ以上の幸せなんてなかったってことでしょう?
「なら、何度も重ねればいいよ」
「え……」
「ずっとがないなら、二人で幸せの瞬間を重ねていこう? そうすれば、不安な遠い未来じゃなくて、俺達には幸せな今ばかりだ」
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