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抜けない
待ち合わせの場所で待っていると彼女が現れた。
顔が隠れるほどの大きな帽子にサングラスにマスクという格好だが、変装が大げさなので余計に目立つ。
それも仕方がない。
だって彼女はアイドルなのだから。
僕は、アイドルと付き合っている。
だから、僕たちの関係を誰にも知られてはいけないのだ。
彼女は僕の背中に隠れるように身を縮めて歩いた。
僕の背中に何か得体のしれないものがくっついているので、すれ違う人は、興味津々といった感じで彼女を凝視した。
「アイドルって大変」
彼女はそんなことを漏らすが、目立っている原因を僕は話さない。
だって彼女はいつも真剣だから。
個室レストランに到着し、飲み物を注文すると、彼女はパサーっと髪を揺らし優雅に帽子を脱いだ。
「あー、息苦しかった」
そう言ってマスクとサングラスを外した。
「トモくんもサングラスしてよ」
彼女は口をとがらせて僕に訴えた。
「どうして? 僕は芸能人じゃないからする必要ないでしょ?」
「必要だよ。だって私はアイドルだよ。一緒に歩いているトモくんの顔も隠した方がいいと思う。写真に撮られたらどうするの?」
「僕は一般人だから目線が入るし大丈夫だよ」
そのとき、個室の扉が開いて店員が入って来た。
彼女は素早い手つきでサングラスをかけてマスクをした。
店員は、ぎょっとしつつも見てはいけないと判断したようで伏し目がちに料理を運んだ。
「危なかったぁ」
彼女は、胸をなでおろし再び顔を見せた。
「気が抜けないね」
大げさだとは分かっているが、そんなところもかわいいので見守ることにしている。
「私ね、今、変顔の練習しているの」
「変顔?」
「うん。ほら、バラエティ番組とかでよくかわいい女の子が変顔を披露しているでしょ」
「わざわざそんなことしなくてもいいのに」
「ダメだよ。かわいい女の子が変顔をすれば好感度が上がるし、今はアイドルだって何でもやりますって意欲を見せないと番組に呼ばれなくなっちゃうんだよ」
彼女は、フォークを置くと、僕に向かってアゴを突き出し白目をむいた。
「どう?」
僕は、思わず笑ってしまった。
がんばっている彼女を応援したいと思った。
彼女の好きないちごのショートケーキを買って彼女のマンションに向かった。
チャイムを押しても返事がない。
僕は、合い鍵で部屋に入った。
部屋の中は真っ暗だった。
昼間なのに窓から光の一筋も見えない。
電気をつけてすぐに部屋をまちがえたと思った。
ピンクと白で統一されたインテリアがすべて黒に変わっていたからだ。
黒いデスクに黒いソファ、窓は黒いもので覆われていた。
彼女のお気に入りだった天蓋つきのプリンセスベッドもなくなっていた。
壁を見てぎょっとした。
壁には大量の写真が貼りつけてあった。
全部僕の写真だ。
真ん中に貼られた大きく引き伸ばされた写真は、先日レストランで撮ったものだった。
その僕の顔の中心にはナイフが刺さっている。
息を呑んだそのとき、浴室の扉がカチャッと開いた。
振り向くと、そこには全身黒ずくめの人間が立っていた。
フードをかぶり、長い髪が顔にかかって誰だか分からない。
その人物は髪の隙間から僕をにらみつけていた。
黒ずくめの人間の手にはナイフが握られていた。
ナイフには真っ赤な液体がついていた。
僕が一歩あとずさると、そいつはニヤッと口の端を上げた。
次の瞬間、そいつがナイフを振り上げて僕に襲いかかってきた。
そいつをよけたとき、ショートケーキの箱が落ちた。
よろけたそいつが箱に手をついたので、生クリームがべっとりとそいつの手についた。
その隙に、僕はそいつのフードをはぎ取った。
そいつは、殺人鬼のような顔をした彼女だった。
彼女は、へらへらと笑いながら手についたクリームをなめ、ナイフでクリームをすくってベロを出し、僕の目を見ながらナイフをベロに這わせてクリームをなめとった。
もう僕の知っているかわいいアイドルの彼女ではない。
殺される。
そう思ったとき、再び彼女はナイフを振り上げ僕に向かってきた。
僕は、逃げた。
裸足で玄関を飛び出して、ある場所に向かった。
雑居ビルの一室に逃げ込むと、社長が目を丸くして僕を見つめた。
「一体、どうしたっていうんだ?」
社長は、床に倒れた僕に駆け寄った。
「殺される」
「殺される? 誰に?」
「彼女にです」
「そうか。やっぱダメだったか」
社長は、のん気にアゴを触りながらうなずいた。
僕の彼女は、女優だ。
高い演技力で注目され始めていたが、唯一欠点があった。
彼女は、役を与えられるとプライベートでも役が抜けなくなってしまうのだ。
アイドル役の彼女はかわいかったし、日常生活にそれほど支障はなかった。
しかし、殺人鬼は問題だ。
本当に殺されかねない。
そのとき、事務所の扉を叩きながら、わめく彼女の声が聞こえた。
「社長、彼女に別の役を与えてください。じゃないと、僕、殺されます」
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