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困惑
「おぅ、夏目、また今度飲まねぇ?」
後ろから肩を掴まれ、ぐいっと身体を自分の方へ向けた久喜にドキリとする。
「あ、いや… 」
あの夜の事を思い出してしまった。
「ん?何?つれないじゃん」
眉を顰めて俺を見ると、思わせぶりにニヤリと笑った。
「ああ、アレ?あの事、気にしてる?てか、気分悪くした?」
お前も気持ち良かっただろう、とその顔が言っている様に見えて、カチンときた。
「いや、もう本腰入れないといけない。やめておく」
「就活?」
「ああ… 」
確かにそうだが、飲み会を断るほどの怱々たる毎日でも無かったが、そう答えた。
「夏目は真面目だからな、ちゃんとしてんだな」
久喜が少しため息混じりにそう言うと、横に並んで一緒に歩き始めた。
『真面目』という言葉は俺にとっては褒め言葉ではない。嫌味に聞こえてしまって胸がチクリと痛む。
「俺もなー、何かしなくちゃだよなー」
手を頭の後ろで組んで、天を見上げた。顎から首元まで流れる線が綺麗で、尖った喉仏に見惚れた。
「ん?」
ジッと見入ってしまった。顔が熱くなるのが分かって目線を逸らした。
「夏目はどういうトコ受けんの?」
「… 商社、かな」
本当は公務員試験を受ける予定だが、「やっぱりな」みたいな反応が返ってきそうなのが嫌で、違う事を答えた。
「ふぅん。どうしよ、俺、何にも考えてねぇ」
そう言って口を尖らせた。
「あの、俺、ちょっと急ぐから、いいかな?」
これ以上、久喜といるのが苦しかった。気付いてはいけない感情に気付いてしまいそうで、俺は久喜から離れようと思った。
「え?じゃあ俺も急ぐよ」
と屈託ない笑顔を見せると、走り出そうとする。
そういう事じゃない。でも言ってしまったから、何の用も無いのに急いで大学を出た。
「何?これから何処行くんだよ」
早足で歩きながら、顔を俺の方に向けて笑う。
「…… 何処でもいいだろう!」
何か嘘を吐かなくては、と思ったが思い付かなかった苛立ちに久喜に怒鳴ってしまった。
「あ… 」
「悪ぃ、気ぃ悪くした?」
いつもお構いなしに、他人の領域に土足でガンガン踏み込む久喜が珍しく、申し訳無さそうに言うから、俺はもう、どうにもならない。
「いや、ごめん… 」
謝るしかなかった。
「じゃ、帰るわ俺も。またな」
それでも笑って手を上げて、踵を返すと反対方向へ走って行った久喜の背中を、哀しく見つめた。
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