困惑

1/1
504人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

困惑

「おぅ、夏目、また今度飲まねぇ?」 後ろから肩を掴まれ、ぐいっと身体を自分の方へ向けた久喜にドキリとする。 「あ、いや… 」 あの夜の事を思い出してしまった。 「ん?何?つれないじゃん」 眉を顰めて俺を見ると、思わせぶりにニヤリと笑った。 「ああ、アレ?あの事、気にしてる?てか、気分悪くした?」 お前も気持ち良かっただろう、とその顔が言っている様に見えて、カチンときた。 「いや、もう本腰入れないといけない。やめておく」 「就活?」 「ああ… 」 確かにそうだが、飲み会を断るほどの怱々たる毎日でも無かったが、そう答えた。 「夏目は真面目だからな、ちゃんとしてんだな」 久喜が少しため息混じりにそう言うと、横に並んで一緒に歩き始めた。 『真面目』という言葉は俺にとっては褒め言葉ではない。嫌味に聞こえてしまって胸がチクリと痛む。 「俺もなー、何かしなくちゃだよなー」 手を頭の後ろで組んで、天を見上げた。顎から首元まで流れる線が綺麗で、尖った喉仏に見惚れた。 「ん?」 ジッと見入ってしまった。顔が熱くなるのが分かって目線を逸らした。 「夏目はどういうトコ受けんの?」 「… 商社、かな」 本当は公務員試験を受ける予定だが、「やっぱりな」みたいな反応が返ってきそうなのが嫌で、違う事を答えた。 「ふぅん。どうしよ、俺、何にも考えてねぇ」 そう言って口を尖らせた。 「あの、俺、ちょっと急ぐから、いいかな?」 これ以上、久喜といるのが苦しかった。気付いてはいけない感情に気付いてしまいそうで、俺は久喜から離れようと思った。 「え?じゃあ俺も急ぐよ」 と屈託ない笑顔を見せると、走り出そうとする。 そういう事じゃない。でも言ってしまったから、何の用も無いのに急いで大学を出た。 「何?これから何処行くんだよ」 早足で歩きながら、顔を俺の方に向けて笑う。 「…… 何処でもいいだろう!」 何か嘘を吐かなくては、と思ったが思い付かなかった苛立ちに久喜に怒鳴ってしまった。 「あ… 」 「悪ぃ、気ぃ悪くした?」 いつもお構いなしに、他人の領域に土足でガンガン踏み込む久喜が珍しく、申し訳無さそうに言うから、俺はもう、どうにもならない。 「いや、ごめん… 」 謝るしかなかった。 「じゃ、帰るわ俺も。またな」 それでも笑って手を上げて、踵を返すと反対方向へ走って行った久喜の背中を、哀しく見つめた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!