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「夏目… 」
焦がれていた声が頭の上から降ってきて、固まる。
どうしてここに?
何でも無い様に、普通に応えなければ… そう思えば思うほど、身体は緊張した。
「あ?ああ、く、久喜、ひ、久し振りだな」
座ったまま顔を上げ、言い方は辿々しく、笑顔は引き攣っていただろうと思う。
「お前も飲み会、来てたんだな」
そう言って少し離れた隣りに座り、大きな川に目を遣っていた。
「あ、ああ、そういえば、久喜は来ない筈じゃなかったのか?」
「ん、人と会う約束してたけど、キャンセルになったから」
デートか… 胸が痛んだ。
「久喜でも、デートをキャンセルされる事があるんだな」
「デート? 違うわ。先輩と会う約束だったの」
そ、そうか… 彼女と会う訳では無かったのか、少し嬉しくなった。
でも、彼女、出来たのかな?訊いてどうする? いや、普通の会話だ、訊いて構わない筈だ。
「彼女、出来たって?」
「は? 出来てねーよ」
不機嫌な顔で俺を見た。
ベンチの端と端、二人の間に距離は少しあった。
「… なぁ、俺の事、避けてる?」
久喜の躊躇いがちな声の問いに、胸がズキンと音を立てた。確かに避けてはいたけど、最近は久喜の方が俺を避けていただろう、胸の内でそう問いかける。
「久喜が、俺に会いたくないんだろうと思って… 」
それでも、そう答えた。
「なんで?」
なんでって、食堂で怒らせてしまってから、お前は俺の傍に近寄らなくなった… だろう?
目を泳がせながら、胸の内で訊いた。
「お前に、失礼な事を言ってしまったし…」
性を吐き出せる相手は誰でもいいのだろう、そう言ってしまった。でも久喜が言った言葉は『どっちでもいい』だった。男で女でも、自分の好みならどっちでもいい、久喜が言っていた通りだったのを時が経ってから思い出した。
「ああ、あの時は俺も悪かったよ。ついカッとなって」
謝られて、どうすればいいのか分からない。
「いや、本当に申し訳なかった」
小さな声でもう一度、ちゃんと謝る。
沈黙が流れて気まずい。何か話さなくてはと思うが、少し離れた場所にいる久喜の体温が伝わってくるようでドキドキした。
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