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今日はどれにしよう。化粧品店に足を踏み入れ、俺は店内を物色する。
俺は男だが、不審な目で見られることはない。なぜなら、薄紫のニットにピンクのロングスカート、大きめのピアス。どこからどう見ても「女子大生」の格好をしているから。「可愛い自分」でいられているから。
俺は都内で一人暮らしをしている社会人。だが、化粧品など可愛いものに目がない。女装をするのも大好きだ。世間一般的に言うところの「化粧男子」や「女装男子」という位置づけだ、と自負している。
でも、女の子になりたいというわけではない。ただただ、可愛いものを着て、自分を可愛く飾っている瞬間が幸せだというだけだ。
自分が周りの男子たちと違うと自覚したのは、小学校3年生の後半。もともと男子グループに所属しておらず、もっぱら女子と行動していた。少なくとも女子たちは俺を奇異な目で見てはいなかった(と思いたい)が、男子たちは違った。
「お前、女みてえで気持ち悪いんだけど」
その言葉がきっかけで、小学校高学年は壮絶なものとなった。朝は自分の上履きを探すところからはじまり、帰りはかならずアンモニア臭いトイレの水を頭からかけられる。「生き地獄」だった。
―――――どうして、自由に生きられないの?
―――――可愛いものが好きじゃダメなの?
―――――ぼくは男子の中での「異物」なの?
中学に入るまで、俺の心は疑問にさいなまれ、ついには腐ってしまった。そんな俺を見て両親は、とある学校のパンフレットを俺に渡してきた。
その学校は、女子も制服にスラックスを選択でき、男子はスカートを選択することができた。その瞬間、俺の心には一筋の光がさした。
この学校に行こう。俺はここで自由に過ごそう。
そして小6の2月、青息吐息で私立浜西学院に合格。夢だったスカートを堂々と履くことが許されたのだ。合格通知を見た瞬間手が震えた。
ただ、中学に入ったら入ったで別の苦労があった。俺は自分が女子になりたいのではなく、女子の格好をしたいだけだということに気づいてしまったのだ。
一人、性同一性障害に苦しんでいる同じクラスの女子がいた。すっきりとしたたまご型の顔に、清潔な印象の一重まぶた。菱沼未来という子だ。その子は俺の仲のいい友達で、一緒に出かけたり学校内でも馬鹿をやったりしていた。
その子に手を差し伸べたいと思って話を聞いていたとき、「辛かったんだね」と言ったら。
すごい勢いでにらみつけられた。「海里は性同一性障害じゃない」「そうだけど、それに近……」
「近いとか遠いとかわかんないよ!海里はただの女装癖だろう。本物の女の子になりたいんじゃなくて演じてるだけだろ!分かったような口きかないでよっ……」
何も言えなかった。だってそれは、事実、だったから。
未来が去ってから、俺はうわごとのようにつぶやいた。
「そうだよね。――ごめん、未来」
あれからもう10年。俺は東京の国立大学にすすみ、一般企業に就職し忙しい日々を送っている。会社では男として過ごしているが、休日だけは女の子の格好をして外出している。おしゃれして、メイクして、好きなものに囲まれている時間が俺の生きがいなのだ。
ただ――――時々、苦しくなる。
未来は今、何をしているのだろう。まだ悩んでいないだろうか。1人で泣いていないだろうか。どれだけ忙しくても、未来のことを思い出さない日はなかった。未来に会いたかった。
「演じているだけ」という一言は確かに重かったし、当時はそれでずっと苦しんだし、今もその傷は痛むけれど、やはりそれは……間違ってはいないのだ。
化粧品を買って外に出ると、雲がオレンジ色に輝いていた。
雲はところどころ灰色の部分もあり、どこか不気味で人工的だ。だけどそれは、間違いなく自然のものだと言いきれる何かがあった。
俺には、ああいう自然さがない。俺が女性の格好をしても、どこか不自然さが残る。俺はあの雲のように、自然なやわらかさを纏えない。
過去を引きずっている限り。未来のことを、思い出にできない限り。
「馬鹿なこと考えてないで、帰ろう」
俺は駅に向かって一歩踏み出した。ミュールがコンクリートを踏むコツンという音が鳴る。その音を聞きながら、俺は雲を見ないようにうつむいた。その瞬間、誰かにぶつかった。自分よりがっちりとした体格の誰かだった。「あっ、ごめんなさい」謝りながら顔を上げる。
俺の目に見えたのは、大きめのパーカーを羽織ってジーンズを履いた男性。清潔な印象の一重まぶたに、すっきりとしたたまご型の顔。
「未来……?」その人は目を見開いた。
「海里……」
俺たちを、行きかう人が不思議そうに見ている。
つながった俺たちの目と目から、お互いの感情が見て取れる。
―――――――ずっと、ずっと、会いたかった。
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