出会い 上

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出会い 上

 晴夜と初めて会ったのは、蝉が激しく鳴いている暑い夏の日だった。    中学2年生だった僕はその日の分の夏休みの宿題を終わらせると、共働きの両親から頼まれた買い物に出かけた。  暑い日差しを浴びながら両手に荷物を抱えた僕が近道の公園を歩いていると、この辺りでは見慣れない男の子がベンチに座っていた。  その男の子は、不思議な魅力を放っていた。  風でサラサラと流れる黒い髪は美しく、切れ長の灰色の瞳は聡明さに満ち溢れ、育ちの良さを思わせるように座り方も優雅だった。  普段は知らない人に話しかけたりはしないが年齢も同じぐらいに見えたので、僕は公園の出口へと向かわずに、男の子に近付いて行った。  そして、男の子の前に立った。男の子は目の前に人が立ったというのに気にする様子もなく遠くを見つめていた。  その瞳は「何か」を追っているようだった。  僕はなんとも言えない不思議な感覚を覚えたが、勇気を出して話しかけてみた。 「あの…そこで…何をしてるの?  変わった鳥でも見えるの?」  と、僕は言った。  しかし男の子は答えることもなく、ブツブツと独り言を言いながら円を描くように指を動かし始めた。  すると突然、ジリジリと照りつける日差しを感じなくなり、薄気味悪い寒気を覚えた。  狂ったように鳴き続ける蝉の声が、一瞬、止まったように感じた。  木の幹にしがみつくように鳴いていた蝉がポトリと地面に落ちるのを見た。蝉の死骸なんて何度も見たことがあるのに、命が燃え尽きる瞬間を目の当たりにすると鳥肌が立った。  ココにいてはいけないような気がして、踵を返そうとした瞬間、男の子は右腕を上げて「何か」を指差した。 「えっ…?」  反射的にだったのか、僕は後ろを振り返った。  こんなに晴れているというのに、霧のような白い煙が立ち込めていた。 「け…むり…?」  僕は恐ろしさに駆られ、消え入りそうな声で言った。  徐々に白い煙は地面に吸い込まれるようにして消えていき、秋には美しく色づくイチョウの木が現れた。  この公園で最も美しく、木の下には沢山の人達が腰掛けるベンチがある。  そのイチョウの木の枝が、風もないのに、不自然なほどに上下に揺れていた。 「なんか…変だね。  見えないけど…何かがぶら下がっているみたいだ」  僕は木から目を逸らし、男の子に目を向けた。 「あの木の枝にぶら下がっている子鬼を見ているんだ」  と、男の子…つまり晴夜は言った。 「へ…?」  僕は発せられた言葉に驚いて、買い物袋を落としそうになった。  その綺麗な瞳をした男の子が冗談を言っているようにも思えず、僕は口を開けながら振り返った。  木の葉が、バラバラと舞い散っていった。  風もないのに不自然なほど揺れていたのは「何者」かが揺らしているのだと思うと納得がいく。  漫画で見たことがある鬼が遊んでいる姿を想像すると、僕の開いていた口がガタガタと鳴り始めた。  男の子は不思議な笑みを浮かべ、口元にそっと人差し指をよせた。   「驚かせてしまったね。  君には、見えないんだよね。  子鬼が枝にぶら下がって遊んでいるから、あの枝はもうすぐ折れるだろう。だから、あの木に近寄ったら危ないよ。  今の私でもかけられる術を施しておいたから、人に当たることはないけどね。  けれど奴等は何をするか分からない。命を喰らうのが、鬼だから。それは小鬼であっても同じことだ。  小鬼を退治出来る人達がもうすぐ来てくれるけれど、君はココから立ち去った方がいい。  人間の中でも…感受性が強いようだから」  男の子はそう言うと、すくっと立ち上がった。  立ち上がった男の子を見て、僕は一歩後ずさった。  脚が長いせいなのか座っている時は分からなかったが、随分と背が高く170センチは超えているだろう。何かのスポーツをしているのか上半身は引き締まっていて、腕には力強い筋肉がついていた。  背筋がスッと伸びているから立ち姿も綺麗で、誰もが目を惹くような美しさと逞しさに満ちていた。  男の子はサヨナラとでもいうかのように会釈をしてくれると、爽やかな風のようにいなくなってしまった。 (夢か…夢を見てるのかな…)  僕が立ち尽くしていると、ベビーカーを押した母親が公園に入ってきた。  僕は歩き出す力が出るまで、ベビーカーのタイヤが動くのをボッーと見ていた。  三輪のベビーカーは迷うことなく、イチョウの木の下のベンチへと向かった。涼しげなベンチがあるから当然だろう。  人に当たることはないと言っていたけれど、もしその親子に当たったりしたらと思うと僕は怖くなった。  不自然に揺れる枝と澄んだ灰色の瞳を思い浮かべると、見ているだけではいられなくなった。  突然見知らぬ子供に話しかけられた母親がビックリしないかと緊張しながらも、僕は母親がベンチに座る前にと走り出した。 「あの…すみません…」  僕が小さな声で言うと、母親は少しビクッとしたが振り返ってくれた。 「あの…ベンチの真上の枝が腐ってきてるみたいなんです。  さっき公園にいた人が教えてくれたんです。  もうすぐ折れるかもしれないから、危ないですよ」  僕がそう言うと、母親は少し驚いた顔をしたがニコッと笑ってくれた。 「そうなの?  教えてくれて、ありが…」  母親の言葉を遮るように、ザワザワとイチョウの木が揺れ動いた。   《オマエ、イマイマシイナァ》  風に乗って耳障りな声がしたと思った瞬間、大きな音を上げながら枝が折れた。  母親の悲鳴が上がった。  枝は真っ逆さまに落ちることなく、クルクルと回転して幹に激突してから幹を滑り降り、地面にゴロンゴロンと転がった。  木の枝は太くて、折れた部分が不自然なほどに尖っていた。  母親は何度も僕にお礼を言ってくれると、急いで公園を出て行った。公園にいるのが僕だけになると、急に地面に落ちている枝が動いた。  その切っ先は、邪魔をした忌々しい者に向けられた。 《柔らかい赤ん坊の代わりに、お前の肉を頂くぞ》と、怨嗟の声を上げたような気がした。  僕が後ずさると、木の枝は逃げる兎を追うように嬉々としながら浮き上がった。  小鬼がいると思われる付近から鈍い音がして、イチョウの木が激しく揺れた。  僕は恐怖のあまりに目を瞑り、しゃがみ込んだ。ブルブルと震えていると、優しげな風のような何かが僕の頭を撫でた。  恐る恐る顔を上げると、イチョウの木はいつものように静かで、枝も無くなっていたのだった。
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