決意

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決意

「《一樹は、私の大事な友達だ》と言ったんだ」  と、晴夜は答えた。  晴夜は僕が来る事を予期していたかのように、連絡もなしに行ったのに驚かなかった。  ただ、リビングのソファーに座っている晴夜は先程とは違い全身が黒ずくめだった。  その色は夜の闇に溶け込むほどに漆黒で、黒を纏う男の瞳は鋭くて異様な怖さを覚えた。 「あの女に、何か言われたのか?」  晴夜の口調は鋭くて、晴夜らしからぬ乱暴さがあった。 「晴夜のこと…いろいろ聞かれた。  名前とか…何をしてる人なのか…って」  僕がそう言うと、晴夜はため息をついた。  その時、由香からの連絡が入った。  僕が携帯に目を通していると、晴夜が立ち上がりカーテンを勢いよく閉めた。 「あの女からなら、なんて書かれているのか、教えてくれないか?」  と、晴夜は言った。 「え…?あっ…分かった」  その口調には有無を言わさぬものがあったので、僕は書かれていた文言をそのまま読み上げた。 「今日は、ありがとう。  サークル以外でも、一樹君と会えて嬉しかった。  もしよかったら…今から会えないかな?  電話じゃなくて、一樹くんの顔を見ながら、お話したいの。  その…一樹君の友達に…今度2人で会おうって誘われちゃって…。  でも私…一樹君の事を想うと…どうしたらいいのか分からなくて…」  僕は最後まで読み終わると、携帯を持つ手が震え出した。 (誘われた!?バカな!  晴夜は友達が気になっている女の子に手を出すような男じゃない…)  僕は眉をひそめながら顔を上げると、晴夜は呆れたような顔をしていた。 「忠告したんだがな。  アヤツ、焦り出したな。  やはり、今夜動くつもりだな」  と、晴夜は言った。   「へ?あやつ?動く?  晴夜…それって…一体…」 「それでも一樹が喰いたいか。  それほどまでに美しさを欲するか。  自滅の道も選ばせてやったのに…斬り殺される道を選んだか」  晴夜は独り言のように呟くと、真剣な瞳で僕を見つめた。 「一樹、あの女は鬼だ」  と、晴夜は言った。 「え?なんで?  晴夜は一度会っただけなのに…そんな…」  僕は途切れ途切れに答えた。 「一度、会っただけだ。  だが、一度会えば十分だ。  私は、鬼喰いだ」 「けど…そんな…由香は人間だよ。  それにサークルにも来てるし、他の女の子と同じだし…人間の言葉も話すし…カプチーノだって飲んでたし…」  僕の頭の中はひどく混乱して、訳の分からないことを話し始めた。 「人に姿を変えて、鬼は存在する。  はじめは人間だった鬼もいる。  由香の素性は確かではないし、人間とは違い突然いなくなる。  他にも、何か違和感を感じた事はなかったか?」  晴夜がそう言うと、僕は由香の顔を思い浮かべた。 「そういえば…何かを食べているところを見たことがない。  太るからだって…言ってたけど」  僕は真っ青になりながら、華奢なのにそれでも体重を気にしている話をした。 「ろくでもない男につかまったんだろう。  女性をトロフィーのように扱う男とな。  美の意味を知らぬ男に狂わされ、鬼に魅入られたか」  晴夜はそう言うと、僕の肩に触れた。 「それに私は一樹の体を調べたんだ。  何も言わずに、勝手にすまなかった」 「体を!なんで?どうやって?」  僕は訳が分からなくなって、素っ頓狂な声を上げた。 「何度か一樹の肩に触り、鬼喰いの力を使って、鬼が触れていないかを調べたんだ。  右腕に、鬼が触れた形跡があった」  と、晴夜は言った。 「嘘だ…」  と、僕は呟いた。 「少し痩せたし、食欲がない時もあったはずだ。  鬼に生気を吸われ、体が悲鳴を上げていたからだ。  アヤツは、一樹を喰うつもりだ。  私は、忠告したんだがな。 《一樹は、私の大事な友達だ。  次にまた人を喰うなら斬るぞ、さもなくば死を選べ》とな」 「そんな…まさか…」 「アヤツは、一樹が喰いたくて、我慢できずに行動に移した。  アヤツは鬼の力を使って一樹を魅了し、獲物に触れたのだ。次に喰うのは、一樹でなければならない」  晴夜はそう言うと、人差し指を出して軽く左右に動かした。その動きを見ていると、僕は由香の耳を飾るパールを思い出した。 「まさか…あのピアス…」 「そうだ。  獲物の思考を鈍らせる。  一樹、私はアヤツを斬らねばならない。  君が、好意を寄せた女性を殺す」  晴夜は僕を真っ直ぐに見ながら言った。     (信じたくない…でも、由香は鬼なんだ。  僕を喰おうとしている鬼なんだ) 「…わかっ…た」  と、僕は言った。 「駅まで呼び出して欲しい。  私の式神をつけているから、他の人間を襲うことはない。  アヤツは焦っているから、深くは考えずに来るだろう」  晴夜がそう言うと、僕は由香に連絡をした。 「30分後ぐらいに…来れそうだって」  僕は由香からの返信をそのまま晴夜に伝えた。 「了解した」  晴夜はそう言うと、リビングを出て行った。  しばらくすると晴夜は例の折り紙と黒い羽織、そして日本刀を持って戻ってきた。  晴夜は折り紙を人型に折ると、優しく口づけをした。 《汝に生を与え、声を授けよう。  その身を「かの者」とし、鬼喰いである我に使えよ》  晴夜が唱えると、僕そっくりの男が姿を現した。 「私は、行ってくる。  一樹は、ここで待っていろ。  ここにいれば安全だ」  晴夜はそう言うと、式神と一緒に出て行こうとした。 「嫌だ!僕も行きたい!  僕を騙していたのか…本当に鬼なのか…」  僕が声を震わせながら言うと、晴夜は悲しい顔で僕を見た。 「鬼になったら、すぐに斬り殺す。  その瞬間を、見たいのか?  鬼といえども、一樹が好意を寄せた女性だ。  おそらく体調が悪くなるだろう。  意識を失うこともある。  そして鬼といえども、死ぬ瞬間は酷いものだ。  生涯、忘れる事が出来ぬぞ。  それでも、いいのか?」 「最後まで…見届けたいんだ…」 「そうか、分かった。  こうならないように以前に鬼喰いの話をしたんだがな。  一樹の望み通りにしよう。  一樹が意識を失えば、私が連れて帰ってやる。  目を閉じろ」  と、晴夜は言った。    僕がゆっくりと目を閉じると、晴夜は僕の瞼に触れ、小声で何かを唱えた。その言葉の意味は僕には分からなかったが、唱え終わると瞼が温かくなっていった。 「別の空間には連れて行けないが、見えるようにしておいた。気持ちが悪くなったら、目をつぶれ。  他に何か聞いておきたいことがあるか?」  と、晴夜は言った。 「真名の事なんだけど…真名を知られたら、この仕事を続けられないって、どういう事なのか…」 「今、知りたいのか?」  晴夜は困ったような顔をしたが、僕は頷いた。 「ならば、軽く話しておこう。  真名は、最も秘密にしなければならない。  名はその者が生まれてから、一生その者と在り続ける。  その者が何を感じ、何を見、何をするのか、全てその名のもとで行われることだ。  名は、ただの文字ではない。  その者の全てを刻んでいる。  今までの鬼との戦い方も刻まれる。どう攻撃をされたら、どう防ぐのか。だから名を知られれば、戦法と癖を知られてしまう。そうなればその鬼喰いは死ぬしかない。  さらに氏は、祖先から受け継いできたもの。鬼喰いの力は祖先と共にある。水は水、火は火、風は風、他の幾多もある別の根源にはなれない。祖先によって、力の根源が定められている。  力の根源が分かれば、鬼は対極の力で戦ってくる。  だから鬼喰いは、真名を誰にも明かさない」  晴夜がそう言うと、僕は恐ろしくなり体が震えた。 「由香に…名前を教えたんだ。  晴夜っていう名前だと…真名じゃないから大丈夫かな…って。大丈夫…だよね?」  僕は震えた声で言った。   「さぁ、どうかな?  偽りの名ですら、鬼に知られた事がないから分からない。  ただ…偽りの名でも何年も呼ばれ続けると、その者と在り続けるのかもしれないな」  晴夜がそう言うと、僕は自分のした事を後悔した。  大切な友達を危険に晒してしまうかもしれないと思うと、立っていられなくなってその場にヘナヘナと崩れ落ちた。   「冗談だ。  偽は偽であり、真にはなれん」  晴夜はそう言うと、崩れ落ちている僕の腕を掴んだ。 「なんだ…冗談か…良かった…」  僕はヨロヨロと立ち上がった。 「そうだ。  それぐらいの余裕がある。  一樹は、何も、気にするな」  晴夜が日本刀を強く握り締めると、僕は初めて近くで感じた日本刀の迫力に圧倒された。 「これが、私の刀だ。  鬼喰いの刀だ。  この刀に、鬼の血を吸わせ肉を喰わせる。  その度に、刀は強くなる。  絶対に守ってやる。  安心しろ」  晴夜はそう言うと、僕に微笑みかけてくれた。 「晴夜…あの…御礼は…どうしたらいい?」  と、僕は言った。  僕を気遣う微笑みを見ると、胸が苦しくてたまらくなった。 「御礼?そんな事は気にするな。  一樹は、大切な友達だ。  幸せになってくれたら、それでいいと言っただろう。  一樹が幸せになる為に、それを阻もうとする鬼を斬り殺すだけだ」  晴夜が僕を見る瞳は、どこまでも優しかった。 「それでは…僕の気がすまない。  晴夜を危険に晒して…命を助けてもらって…何もしないなんて…」 「本当に、いいんだ。  友達だろう?気を遣わないでくれ。  それに一樹の方こそ、今まで何度も私を助けてくれたんだ」  晴夜はそう言ったが、今度は僕の方が首を横に振った。   「ならば、一樹が一番好きな日本酒を持ってきてくれ。  共に、その酒を飲もう。楽しみにしているぞ。  そろそろ時間だ。行こう」  晴夜は灰色の瞳を光らせた。
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