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私立の付属高校に行きなさいと言われたのは、夏休みに入る前だった。
お父さんは近所の小さなスーパーで雇われ店長をしていて、今年で勤続25年目になる。公立高校を卒業後、就職して、スーパーひとすじ。それはすごいなぁと思うけど、同じ仕事ばっかりしていたせいか、融通が効かないと言うか、こうと決めたらテコでも動かない。なんせカタブツだ。お母さんはわたしが小学生になる前に病気で死んでいて、そのとき弟の彩斗はまだ1歳にもなっていなかった。男手ひとつで働きながら、家事も育児もしているお父さんは、いつも疲れた顔をしていた。
わたしは皆と同じ地元の中学に進み、高校もその流れで、家から最も近いリーズナブルな県立高校に進学する予定だったのに。
「急に私立とか、訳わかんない。わたしの進路だよ?」
「ふーん、だから、喧嘩して家出?」
「そう。篠井県立高校に行けば……」
「行けば?」
私立よりもお金がかからない。それに進学校でなければ、勉強も余裕でついていけるし、アルバイトをして、家計を助けることが出来る。彩斗が進学したくなったら、わたしも協力できる。高校には行きたいが大学まで行ってなりたいものがあるかと言われたら、そんな夢はない。専門学校に行って、何かの資格を取って、就職に有利にはなりたいとは考えているけれど、それはあくまでもまだ先の未来であって、今大切なのはすこしでもお父さんの負担が減ることだ。
「……もう子供じゃないよ」
俯いた頭に暖かい手が乗せられた。煙草の、芳ばしい匂い。オッサンの嫌な匂いで、そんな匂いをつけて帰ったらお父さんは目を吊り上げて怒るだろう。でも、わたしはその手が不思議と嫌じゃなかった。
「うん、子供じゃないなら、違う方法があるのは分かるよな?」
ひとさらいのオッサンは諭すように言った。
「でも、自己主張があるのはいい事だ」
「……オッサン」
「オッサンだけど、オッサンじゃないぞー」
「……ひとさらいさん」
「いや、さっき名前教えたからな?」
「夜風?」
「呼び捨てか。敬意を持て、敬意を」
「……お父さんと話をしてくる」
「そうしろ。で、話が通じなかったらまた来い。夜中は危ないから、せめて、週末の昼間にしろ。でも、なるべく来るな」
来いって言って、来るなって。どっちなの。
立ち上がって、笑うと何故かすっきりしていた。
わたしはお父さんにどうやって伝えればいいのか分からなかった。だから、逃げ出した。逃げたって何もかわらないのに。でも、向き合う勇気は持っていなかった。両親が揃っている友達にもこんな話は聞かせられなかった。知らないオッサンに言っただけだけど、口に出すと、なんだかすっとした。
「夜風」
「あー」
「ありがとう」
「あー」
「ダメだったら、また来る」
「いや、だからひとさらいって言ったろ? また来ちゃダメに一票」
「そうは言っても、来たらふつうに話してくれるに一票」
「……生意気なガキは仕入れても買い手がつかねぇから、いらねぇんだよなぁ」
夜風はそう言って、追い払うように手をひらりひらりと振った。
ふてぶてしいのに全然怖くない。オッサンで、言葉遣いもよくなくて。服装もヘンテコで、なんだかガラが悪いけれど。でも、悪いひと、ではない。夜道に駆け出すと、危ねぇから、と家の近くまで、文句を言いつつ送ってくれたから。
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