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ひとさらいをしないように見張っている、というのは勿論口実で、わたしは図書館で勉強するのをやめて、天気がいい日は公園のあずま屋で参考書を開いた。夜風は居たり、居なかったり。わたしも雨が降った日や日が短くなると徐々に行く回数は減った。それでも、寒くなって、受験シーズンが近づく頃にはマフラーを巻いたり、ブランケット忍ばせたりして、内容なんて全くない、どうでもいい話を、夜風とした。
何度も通っていて、分かったことがある。
夜風はさらうひとを物色していると言ったけれど、見ている人物は特定されていた。ハンサムショートのパンツスーツのお姉さん。休日出勤をしているバス停のスーツのお兄さん。メガネを掛け、犬の散歩をしているわたしより1歳上ぐらいの女の子。それと、部活帰りの高校生たち。宣言通り、中学生や高校生が中心で、それ以外にも少し上の年齢も混じる。男も女も関係ない。若者が中心だ。物陰から見ている時もあれば、向こうが先に気づいて手を振っているときもある。
「なぞなぞみたい」
参考書から顔を上げて、夜風、通る人、夜風、通る人と交互に見るけど、答えとなるような関係性を導き出せない。
「どれ、見せてみろ」
夜風はひょいっとわたしから本を奪い、あー、数Ⅲは公式暗記だもんなぁ、と呟いた。
「……違うよ。勉強じゃなくって。夜風のこと。一体何者なの? わたしをさらうって言ってたくせに全然そんな感じしないし、休みの日に公園でタバコ吸ってダラダラしてるだけで。夜もウロウロしてるし……」
「だから、ひとさらいって言ったろー。それにな」
ぐいっと顔を覗き込まれ、ふいに驚く。意地悪そうな顔は髭が生えていて、なんなら髪もボサボサで、シャツも皺くちゃなのに、この人の眼の奥は違っていた。
凛とした光は意志を持って、ここにいるように思えた。
「よく聞け、よだか。ひとはな、ひとつの顔しか持ってるやつはいねぇんだよ。お前だってそうだ、公園で俺と喋ってるよだかと、家で親父と冷戦してるよだかと、学校で優等生きどってるよだか。全部、お前だろ?」
「……なんで、学校で優等生きどってるって思うの?」
「あぁ? お前が持ってるリュックやトートバッグにはいつも問題集やら参考書やら資料集が入って重そうだし、休日なのに律儀に勉強してる。休みの日は休むんだよ、これ俺の常識」
「それは受験生だから……」
「受験生でも、適当に力抜いて遊んでるやつもいる。よだかは進路も真面目に考えてるし、生意気だからな。学校ではせいぜいいい子ちゃんぶってんのかなーっていう俺の洞察」
図星だ。
なんで、このオッサンにはお見通しなんだろう。どこかでわたしの行動を見ていたのだろうか。いや、でもこの、適当男がそんなことをしている姿が全くと言っていいほど想像できない。
「夜風って何者?」
にぃっと意地悪そうに笑って、夜風はわたしを見た。
「さて、夜風オッサンは何者でしょう? ひとつ、ひとさらい。ふたつ、優秀な公務員。みっつ、ただのオッサン。さあ、どれ?」
「……全然分かんない」
「その気になればどれでも演じれるつーの」
「演じてるの?」
「当たり前だろー。人間、素でひとの輪で過ごせる神様仏様みたいなやつはそうそういねぇよ。だから、みんななりたい自分になるために演じるんだろ? よだかもそうだろ? 親父に苦労させたくなくて、勉強好きなのに、遠慮して近場の公立行こうとしてんだからよ」
ぴゅうっと風が吹いて、近くの木の葉が揺れた。葉脈もわかる影が足元に落ちていて、持っていた本を膝に置いた。
「わたしがわたしの進路を選んでいいんだよね」
「当たり前。よだかの人生」
「もし、高校を選べなかったら……、夜風、さらってくれる?」
夜風は、面食らった後、
「うーん、まぁ、愛をもってさらってやるよ」
と、少しだけ困ったように仕方なく笑った。
オッサンだけど、一瞬だけ、不器用な顔の夜風が出てきた気がして、髭もなくて、綺麗なシャツを着て、髪を整えればこのひとはそれなりになるのではないかと思った。
そう、思えた自分の心臓が、とくん、と、跳ねた。
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