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春を迎えた桜がスカイブルーを泳いでゆく。その吹雪と太陽のプリズムを浴びながら、校舎の門を潜った。名簿を見て、安堵の息をつく。教室の扉を開けて、自分の席に着くと待ち侘びた予鈴が響く。
教壇に立った男は名簿を置いて、板書を始めた。
「えー、担任の夜風孝太郎です。カゼ先とか、コーちゃんとか、気軽に呼んで下さい。間違っても、夜風とか、オッサンとか、ひとさらいとか、先生の尊厳を奪うあだ名は、つけないで下さい」
先生と、目が合う。
瞳の奥に凛としたものがあって、それはこれだったのかとやっと納得ができた。髪は整えて、スーツなんか着ちゃって、言葉遣いは適当だけど、板書の文字はバランスは良くて、読みやすくて、ひとさらいの影はない。
―――その気になればどれでも演じれるつーの。
―――ひとつ、ひとさらい。ふたつ、優秀な公務員。みっつ、ただのオッサン。さあ、どれ?
夜風は矛盾している。どれ、って言いながら、ぜんぶが答えだったなんて。
ロングホームルームが終わって、夜風に呼ばれた。
数学準備室まで彼の背中について歩く。見たかった肩甲骨が案内する先で、椅子に座らされた。
物理と数学とよく分からない英字の公式が入り混じっている埃っぽい部屋。この風景が似合ってしまう夜風は、やっぱり先生なんだろう。
「えー、首席合格おめでとう」
言って欲しかった言葉をさらっと言われて癪に障る。
図星で、お見通し。
そして、初めて会った日もそうだった。
家を飛び出したことを心配したお父さんは、市が委託している団体、『夜廻りボランティア』へすぐさま連絡した。スーパーの常連だった夜風は、スーパーでも中高生の安全を護るための活動宣伝をしていたのだろう。高校のパンフレットを見せたとき、お父さんは夜風の名前を見つけて驚いていた。だから、冷戦をしばらく続けた後、最終的には納得してくれた。
夜風はその活動を、ひとさらい、って言っていたけれど。そんなことはなくて、真逆だった。
優秀な公務員が、中高生を優しく見守っていただけ。しかも、愛が溢れているから、見守る対象がひろかったのだ。その中に含まれていたのが在校生、卒業生、そして、入学前のわたしまで。
まんまと、演じている夜風に、感化された。
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