いつか彼女の奇跡に巡りあうために

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 オレは桐野さんを直撃するという暴挙に出た。  日曜日、桐野さんのバイト帰り。  シフトを把握しているオレは、そろそろストーカーだという自覚をせねばならない。  昼過ぎの明るいときだったからか、後ろから唐突に声をかけても、さして驚かれることもなかった。 「あ、竜波くん。家、このへんなの? たまにコンビニで見かけるけど」  ……バレていた。  彼女がバイトするコンビニに立ち寄っても、彼女と視線が合ってしまわないように気をつけていたのだが、彼女もオレを見かけても見て見ないふりをしていたのだろう。  ちっともそわそわした様子をしていなかったから、オレのことなんて気にとめる存在でもないってことが露呈してしまったが、気を取り直して用意していた嘘をついた。 「家が近いっていうか、今から歯医者に行くとこ」 「ふうん」  ここで会話が打ち切られてしまいそうなほど味気ない返事に打ちのめされつつ、本題に迫っていく。 「このあいだ、治療をするのにレントゲン撮ったんだけど。桐野さんは撮ったことある?」 「え? レントゲン? あるけど。なんで?」 「どうだった?」 「どうって」  いぶかしげにオレを見返すが、ここで心折れるわけにもいかない。  強行突破で話を続ける。 「なんか問題あった?」 「問題あるから医者に行くんでしょ。わたしは親知らずを抜くのに撮ったけど」  なるほど。  仕組みがどう違うのかわからないが、奇妙な騒ぎが起こることなく撮影できたってことだろう。 「そうなんだ。胃カメラはある?」 「ないよ。できれば一生やりたくないよね」 「どうして?」 「口とか鼻の穴からコードを差し込むんだよ。苦しくて吐きそう」  その様子を想像したのか彼女は顔をしかめた。  苦しそうだから、ただ、それだけだろうか。  オレだって気がついたのだ。  彼女が気づいていないはずはない。  だからこそ彼女はいつもファインダーの向こう側に立って、被写体になることを避けている。  けれども、その件と病院での撮影を結びつけるところまでは行き着いていないらしい。 「……なに。なんか病気でも見つかったの?」  黙って考え込んだオレを、深刻な悩みでも抱えているのかという勘違いをして気遣ってくれる彼女。  悪いなぁって恐縮しながらも確かめずにはいられなかった。 「ううん。違うんだ。ちょっと、気になって。桐野さんって、撮影されるのを極端に嫌ってるから、病院でも拒否しているのかと思った」 「え――」  彼女はなにか思考が行き当たったかのように絶句した。  無意識なのか胸のボタンをいじっている。  普段そこにはカメラがぶらさがっているが、ひとりでいるときはほとんどカメラを身につけていない。  友達から撮影を迫られるという不測の事態が起こらないからだ。  人とのコミュニケーションを避けるためにわざとイヤホン付けて音楽を聴いているふりをしたり、スマホをいじっていたりしてブロックすることがあるが、彼女にとってカメラは自分を撮影させない盾みたいなものだった。 「そうか。胃カメラか。そこまで考えてなかったな」  オレにってわけでもなく、ぽつりとつぶやく。  そりゃそうだ。  超現実的な医療現場でこんなことが起こってしまったら。気味が悪いとか、それどころの話しじゃなくなってくる。 「――桐野さん。ゴメン。オレ、桐野さんのこと、こっそり撮影しちゃったんだ」 「えっ! なんでよ」  彼女はつかみかかってきそうな勢いで詰め寄る。まともに目を合わせられなくてうつむいてしまう。 「ごめんなさい。つい、出来心で。だって、桐野さん、徹底的に撮らせないし。桐野さんの写真が撮りたくなって、盗撮といっても下心じゃなければいいかなって」 「そういう問題じゃないでしょ」  それ以上罵らないのは彼女の上品さだが、彼女の怒りはわかる。  本当ならいいたくはなかった。  つけ回したあげく、断りもなく写真を撮りまくっていたなんて。  無関心な男から嫌いな男に成り下がっても、いわなきゃはじまらない。 「ほんとゴメン。桐野さんのこと、もっと知りたかったんだ。でも、1枚撮影してみたら、へんな影が写ってて。おかしいなって、もう一回撮ってみたら、また奇妙な影が写ってて、カメラがおかしいのかと思って別のものを撮ったら、全然普通で、それでまた――」 「もういいよ。何回写しても一緒だよ。わかってる。誰が撮ってもそうだから」  桐野さんはあきらめの境地ってかんじで、うなだれそうになるところを顔を上げて息をついた。  レンズを通さない彼女の顔はクリアでつい見とれてしまう。  レンズを向けられるのを極端に嫌う彼女は、自分の秘密を隠したがっていたのだった。  毎回心霊写真が撮れてしまう特異体質だなんて信じられないけど、実際、彼女はそうだった。  こんなにもかわいらしい普通の女の子なのに。  撮影ボタンを押す前から、レンズでとらえた映像がスマホの画面に映し出されるだけで現実世界にはない影がかかってしまう。  場合によっては人にしか見えない得体の知れない影がいつの間にか写り込んでいた。  写真なんて別にどうでもいいのだけど、彼女の胸にあるカメラを見ると、SOSのマークにしか見えなかった。  首からカメラをさげていない彼女は、なんだか心許ない。  なのに、彼女は勢いよく右手をさしだした。 「撮った写真見せて」  削除するつもりだろうか。  たくさんありすぎてあきれられてしまいそうだが、オレはポケットからスマホを取り出して、桐野さんのホルダーを開いた。  彼女はそれを受け取ると、スワイプして自分の写真を閲覧していった。  プリントしたくなるほどいい表情もあるのに、この世のものではない影に邪魔されて全部台無しにされていた。 「わたしと、写真撮る?」 「いいの?」 「え? 本当に撮るの?」 「え? どっち?」  混乱していると、彼女はぷっと吹き出した。  ますますわからない。 「はじめはさ、こんなふうにおもしろがって写真撮られるけど、いざ自分とわたしが一緒に写るとなったら、気味が悪いってなっちゃうんだよね」 「そんな、おもしろがるだなんて……」 「遠足とか修学旅行とか、集団写真撮るじゃない。あと、卒アルの写真撮影とか。その日は学校に来るなっていわれるの。だから、みんなで写真撮るってわかってるときは学校休んでた。卒アルに載ってる写真も隅っこに小さく写ってる、あれね。いるはずのない人影が写っていても修正してくれてるみたいだけど、そんなかんじだから、わたしは誰とも写真を撮りたくないし、自分が写ってる写真を見たくないの」  そういいながら彼女はまた自分の写真を見ていった。  彼女の日常を勝手に撮っていたとはいえ、写真を見るときに無言でいるなんてそうそうないことだ。  このときはああだった、こうだった、わざと不細工に撮っただろとかなんだとか。  むしろ会話を引き出すのに有効なツールなのに。  彼女は仏頂面で眺めている。  そしてすべてを見終わらないうちにカメラを起動させてインカメラにし、あろうことかオレの隣に並んで自撮りした。  撮った写真は二人とも視線がレンズからわずかに外れてしかめっ面をしている。  レンズではなく、スマホの画面に映っていた自分たちを見ていたのだ。  桐野さんから湧き上がる半透明の灰色のモヤがオレの頭をかすめ、画面の外にまで流れ出している。  シャッターを切る前からそれが画面に映っていた。 「やっぱり。わたしの負のパワーが(まさ)っているね」 「お(はら)いしないの?」  つい口から出てしまったが、オレも、そしてたぶん彼女も、同時に馬鹿だなぁと思っていた。  微妙な面持ちでスマホを突き返された。 「本当にそう思ってる?」  彼女はつかつかと自宅に向かって歩き始めた。  そのすきにこっそりツーショットを保存し、なにごともなかったかのように彼女のあとを追った。 「ごめん。お祓いに効果があるのかないのか、それはちょっとわかんないけど……」 「それでなんとかなるのかな。だいたい、わたし、呪われてると思ってないし。今までこうして無事に生きてるし。なんだったらわりと平和だし。今まで写真に写っている幽霊以外見たことなくて、霊感だってないし」  だけども本当は気にしている。  気味が悪いと思われるのを避けるためにカメラを持ち歩いているのだから。  オレが何とかしようとしたところで、その体質は変えられないだろう。  けど――。 「じゃあ、奇跡の一枚を撮ろうよ」 「え?」 「普通のひとだって、奇跡的に心霊写真が撮れちゃうじゃん。だから、桐野さんも、奇跡的になにも写らない写真が撮れちゃうかも」 「なにそれ。いいよ。別に。写真なんていらないし」 「オレ、卒アルの委員やるよ」  彼女から卒業アルバムの苦い思い出が聞けるとは思っていなかったが、想像はしていた。 「なにいってるの。あと2年も先じゃない」  いぶかしげにこちらを見る彼女を制した。 「そんなことはいいんだよ。兄ちゃんから聞いたんだけど、1クラス見開きで2ページ与えられて、1ページはプロが撮る集合写真で、1ページは卒アル委員が集めたプライベートショットをコラージュするんだって。だから、オレが撮るよ。桐野さんの写真を。絶対、絶対撮る。クラスが違っても、桐野さんのクラスの卒アル委員に託す」  オレは背中のリュックを下ろし、中をかきわけてフィルムカメラを取りだした。  今日のオレは準備万端だ。 「フィルムだよ。インチキなし。合成なしで絶対撮るから」  じいちゃんが持っていたレトロな雰囲気のカメラだった。  小さくて、巻き上げも手動だ。  使い方がわからなくてじいちゃんからレクチャーを受けてきた。  ファインダーを覗き込む。  スマホと違うそのスタイルも慣れない。  小さな枠の中で彼女が戸惑い気味に立っていた。  オレと彼女を隔てるカメラが一層よそよそしい。  静かな手応えでシャッターを切る。  フィルムだけが知っている一瞬の出来事を、オレは大事に抱えた。 「ねぇ。いつ撮れるかわかんないから。いい顔してよ」 「なによ。勝手に。どうかしてる。バカじゃないの」 「撮らせてくれてありがとう」 「撮らせてあげたわけじゃないし……」  カメラを向けられて、レンズを手で覆わない彼女をはじめて見た。  あれだけ隠し撮りをされて、まだ許してくれてないかもしれないけど。  後まで付けて、気持ち悪い男だと思われていても。  オレは、彼女を撮りたかった。  彼女の笑顔を。 「オレに、撮らせて。カメラは初心者だけど。ビギナーズラックを信じよう」 「いってることめちゃくちゃ」 「いいから、いいから」  もう一度ファインダーを覗く。  さっきよりはスムーズに、観念したようにこちらを見ている彼女を、とらえた。  なんたってオレは学園の裏側まで知っている。  カメラを首からさげることは校則違反ではない。  生徒会のお墨付きだ。  ならば、オレもカメラをさげて登校しよう。  もう秘密はおしまい。  堂々と彼女の写真を撮りたかった。
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