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里中は八野に教えてもらった部屋の前まで来ていた。
ノックをしようとする手が震える。別にこのまま無言で立ち去っても良いのではないか。そんな気もする。だが里中はその誘惑を押し切り、ドアをノックした。
「はい」
ドアが開いた。そこには勇人が立っていた。勇人は目を丸くして、里中をじっと見た。小さな声で「親父……」とつぶやくのを、里中は聞き逃さなかった。
「……見たよ」
里中の一言に、勇人は目を逸らした。
「なんだよ、あの爆笑は親父のおかげか……」
勇人は勘違いをしている。里中は慌てた。
後半は確かに里中の力があったが、里中を笑わせるまでに至ったのは、二人の実力があったからのこと。里中は「それは違う」と力説した。
勇人は素直に喜んだ。
「親父にそう言ってもらえるとは思わなかった」
勇人の目には微かに涙が浮かんでいた。里中はそれを観て見ぬふりをし、楽屋の中を覗き込んだ。
「隼人君はいないのか?」
「八野さんに呼ばれててね」
「お前は行かなくていいのか?」
「あいつは打ち合わせ担当だから」
「じゃあ、隼人君にもよろしく」
里中は後ろを向き、ドアノブに手をかけた。
「親父!」
勇人は里中の背中を見た。
「お笑い、続けてもいいんだよね?」
「いいもなにも、何言っても続けるんだろ?」
「そうだけど……。俺、怒られると思って嘘ついてたし……」
里中は振り返って肩越しに勇人を見た。
「認めるさ……」
里中は微笑み、勇人を見て頷いた。勇人は崩れ落ち、「ありがとう、親父」と言って、すすり泣いた。里中もつられて泣きそうだった。
「誘い泣きの才能あるなぁ、お前」
そう言って、里中は涙を隠すようにドアから出て行った。
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