〇3本番

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〇3本番

 収録当日、本番前に里中はトイレのなかで、考え事をしていた。息子のために大きな笑い声を送ってやる――。これが一番良いのかもしれない。  息子も満足し、良子も満足する。ネタが盛り上がれば若手プロデューサーの八野の心証も良くなる。三者にとって良い結果になる。  だが……。やはり里中自身としては納得がいかない。息子を戦場のような場所に放り出しておくことが、果たして親心なのだろうか。一時の成功で人生が安泰になるほど、そんな優しい世界ではないのだ。  里中があえて笑わず、場を盛り上げなければ……。もし仮にそれが原因でネタが滑ったら……。息子は芸人を諦めるだろうか。その程度で辞めるほどの心構えではないと思うが、考え直す良い機会になるのではないか。  もし自分が盛り上げなければ、息子も良子も心を痛めるかもしれない。そして何より、仕事をしくじるということは、次の世代のプロデューサーへの反逆になる。プロデューサーは出世すればするほど、現場からいなくなっていく。  食っていくには、次の世代を捕まえておかなくてはいけない。盛り上げないということは、それを反故することになる。  里中が笑わないということが、誰の得にもならない。そんなことは里中自身が一番わかっていた。しかし里中は、息子のネタ中だけ、笑わないということを決めた。  もし仮に吹きだしてしまったり、里中が笑わなくても周りが自然と盛り上がっていたならば、素直に負けをみとめ、息子を応援しよう。そう考えていた。
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