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正午を少し過ぎたくらいに自宅に帰る。今日はママが勉強会に行っているので俺がメシ炊き。一人なら昼も夜も外食だが、
「なんかドロボー来たって?」
リビングにて、家事もせずぼーっとタブレット端末を眺めている不出来な娘にエサをくれてやらねばならない。
「おう、よく知ってんな。ママから聞いたのか?」
「んー、タヌキが喚いてるっつってた」
「陰口は陰で叩け。何でわざわざ俺に言ったよ?」
職場のスタッフからは『会話出来るだけで十分良い娘』などと言われるがどうなのか。中学も2年になると父親と外出などしてくれない。かといって『金やるからどっかで食ってこい』なんてのも世間体が悪い。変な噂を立てられても困る。
「ねー財産盗られた?破産すんの?」
「しねーよ。何も盗られてない、ガラス割られた」
「は?ドロボーじゃねーじゃん」
「時間盗られた」
「は?なに、ジジにしちゃ老けすぎだろ」
「そういうんじゃねぇよ、ウソついてねぇし。ジジィってんならベッポだろ大体」
「は?オマエにベッポさんは無理だろ、ベッポさんなめんなよ?アタシの理想の男はベッポさんだからな。もしくはマシュー・カスパード」
最近よく頭悪そうな格好してるが、本は昔から割と読む。容姿端麗とは思わないが愛嬌のある顔はしている。俺以外には愛想も良いそうだ。
俺の子にしちゃ上出来、と言わざるを得ないのがどうにも悔しい。
ジジと評された以上、何か気の利いた事を言ってやりたいが、俺にそんな感性はない。
「そうかよ。おい、昼メシはレンチンだからな。店屋もん頼んでる時間ない」
「なに?午後どっかいくの?」
「ガラス屋次第だがそもそも昼過ぎてるだろうが、腹減ったろ。朝メシどうした?」
「さっき菓子パン食った」
「やめろオマエ、朝メシだけは適当にすんなっつってるだろぉよぉ。あと砂糖食ったらいちいち歯磨いけよ?絶対だぞ。虫歯作ったら勘当だからな」
「いーけどそん時はオマエ出てけよ?」
「さっきからだれがオマエだこの野郎」
文句をいいながらも、帰りがけスーパーで買ってきたサラダとインスタント味噌汁、冷凍パスタを準備する。因みに娘は食卓には付かない。わざわざテレビの前まで俺が、俺が運ぶ。俺が。
「運ぶくらいやれよホントよぉ」
「甘やかせよもう喋ってやんねぇぞ」
下品な口の利き方だ。全く誰に似たのか。
二人ともリビングに居ながら離れた場所に座り、モソモソとカロリーを口に棄てていく。あーヤダヤダ、栄養を摂取するだけなんて食事とはいえない。まるで動物のエサである。
「そういやさ、ドロボーってさ?」
「だから大丈夫だってよ」
「違うって。ドロボーってなによ?」
「違くねぇよ。盗まれてねぇっつーの」
「違ぇっつってんだろハゲ…」
泥棒って何?
娘の疑問に少し首を傾げる。何が聞きたいのかよく分からない。
「それはぁ、あれか?泥棒の語源的なものが知りたいみたいな、そういう事か?」
少し冗談めかしてそう尋ね返した俺に、意外や意外、まさか頷いた娘。珍しく俺の方に顔を向けている。
「泥に棒って変じゃね?窃盗関係ねぇじゃん。何で泥棒っつーの?盗人とか、他にもっとちゃんとしたのあるじゃん。いらなくね?泥棒って言葉」
言葉に要不要を求める。俺には無い感覚だな、これがZ世代というやつか。
「調べればいいだろ、クソ高価いスマホ買ってやったんだから」
「凹んでる父親に、健気な娘がわざわざ話題出してやってんのにぶった切んの?ヤバっ」
「余計なお世話だこの野郎ありがとうございます。最近の子は反抗期無いって聞いたが大丈夫か?ちゃんと反抗心あるか?大人になってからごちゃごちゃ言わねぇだろうな?」
「あーもーちょーうるせーうるせーなー、うるせーなー、じゃあいいよ。キライだよムカつくわー」
うんざりした様にパスタに向き直る娘。まぁ正直今のはなかった。余りの事に戸惑ってしまったのだ。
「あー……そーなぁ…」
「もーいいっつーの、クソ高価いスマホを買って下さったパトロン様にちょっと気ぃ使ってみたんだよ。オマエもう黙って働いてろ。偶に喋ってやりゃあ調子に乗りやがってコミュ障」
ひでぇ言い草だ。概ね正しいのがまた腹立つ。
「……オマエ泥田坊って知ってるか?」
少し考えてからそんな事を話す。別にリアクションは期待していなかったが、娘はあぁだかうぅだか、曖昧に返事した。
「泥田坊。妖怪。ゲゲゲのってやつ、知ってるか?」
「知ってる」
「ウソだろオマエ、何でそんなの知ってんだよ?」
「こっちが無知って前提で喋んなよ。ホント、そーゆーとこだぞ」
こういうところらしいが、俺が驚くのも無理もないだろう。
「いやだって妖怪だぞ妖怪。中学生女子が興味もつコンテンツじゃねぇだろ」
「どんだけ中学女子見下してんだよ。アレだろ?田を返せー、田を返せーってヤツ」
「オマエ実はめっちゃ博学なのか?よく知ってんな」
泥田坊。どこぞの地方妖怪。
田んぼを盗まれた恨みから夜な夜な現れて、返せ返せなんて恨み言をいうとか、なんかそう言う話。鳥山……なんだかのアレでゲゲゲのアニメに出てたヤツ。
「ゲゲゲは知らないよ。小学生んトキ流行ったんだよ、ウォッチッチってやつ」
「あー、あったなぁ…」
何か集めてたな、買いに連れてかれた事もあった。そうか、アレに出てたのか。
「で?泥田坊がなんなん?」
「ん?おお、だから、田を盗まれたんだろ?泥棒に」
「意味わかんない」
だろうな、妖怪の恨み辛みなんぞ俺だって意味分からん。
「いや、だから、泥田坊の『タ』を盗られたから、ドロ、ボウなんだろ?田を返せーってよ」
「………………」
やはり、俺はいいとこジジである。嘘八百で日銭を得る薄っぺらい人間。ベッポにはなれぬ、娘の理想は高い。
「なるほど」
ちょっと苦しいかな、と思ったが娘は存外得心したようで「ふーん…」と気のない様な態度を取りつつも数度頷いた。
「でもそれ盗まれた側だろ、立ち位置おかしくねぇ?」
「言葉の立ち位置ってなんだよ」
「いや、知らんけど。なんかニュアンス的な?」
言わんとする事は分かる。が、言葉など往々にしてそんなもんなのだから。
「ふんだりけったりって分かるか?」
「ん?はい」
「アレも逆だろ」
俺の言葉に娘は少し考えてから、
「おーなるほど」
どうしたホント珍しいな、すごい頷いた。
「いや、やっぱオマエ賢いな。14年振りに尊敬したわ」
「だからオマエって呼ぶんじゃないよ親不孝者。オマエまさかママにもそんな口きいてんじゃないだろうな?」
「訳ねぇだろ、反抗期だからだよ」
いいながらも娘はかなり機嫌が良さそうである。いや、もしかしたら本当に気を遣ってくれているのか。だとしたら心配かけて申し訳なく思うが、父親としてはその顔をされただけで今日一日を『良い日』としてしまえるくらいに嬉しい。
「あ、そーだそーだ。もういっこいい?」
「おお、なんだよ」
うっとおしげな目をしていない娘を見たのは久方ぶりである。迷惑そうでない会話など何時ぶりか。とにかく良い事だ、日記つけようかな。かえって怖いくらいである。さては何か裏でも…
「日曜カレシ家来ていい?」
あった。やはり機嫌を取られていた。一体何を浮かれていたのか。素直に凹んでやるのも悔しいので気取られぬ様こっそりゆっくり溜息を吐く。
「構わないから言葉直せ。気になるんだよ」
ガラス割られて休日潰されて、帰って来たところに彼氏の話じゃあ流石に間が悪いと踏んだのか。どんな話をされても頷くつもりだったのだろう。
これは母親似だ、勝てない訳である。
「娘のカレシより言葉気にしてやんの、ヤバっ」
「やばくねぇよソレやめろ腹立つ。父親に紹介出来るんならちゃんとした奴だろ?じゃあいいよ」
マシだマシ、そう考えよう。反抗期真っ盛りの娘が父親のご機嫌取りをしたのだ。かわいいもんじゃないか。彼氏に挨拶させるなんて、その程度…
「いや、オマエにゃみせねぇし。絶対に部屋から出てくんなよ?」
じゃなかった。現実は残酷である、容赦なさ過ぎだろ。
「俺ん家だ馬鹿野郎」
あーあ、思春期ってのは。
まぁいい、怒鳴る代わりだ。
「買ってやるからゴムだけは着けろよ?それだけはホント頼むぞ?」
あーこれは家鳴りの仕業ですね、って馬鹿野郎。
どうせ嫌われてるのだ、それくらい言ってやった。
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