パーティナイト 4

1/1

33人が本棚に入れています
本棚に追加
/106ページ

パーティナイト 4

 幼き日の記憶を語る守人の唇が強張り、言葉が止まった。蘇る恐怖に耐えきれず、その場に蹲って顔を覆う。  もうこれ以上は思い出さないよう、何処かに脳のスイッチがあるなら切ってしまいたかった。  臨も言葉を失い、立ち竦んでいる。  美しいプロムナードの真ん中で、他の通行人にはさぞ場違いな男女に映った事だろう。    誰もが見ないふりをして足早に通り過ぎていくが、唯一、ダイニングバー「小十郎」から追ってきた男だけが木陰に隠れ、二人の様子をスマホのカメラで撮影し始める。  守人は尚も数分、座り込んだままだった。  このままでは埒があかない。  臨には彼女なりの目的があった。どうしても守人に聞いてみたい事が幾つも残っている。 「高槻君、あなたはその時、正体不明の通り魔が女性を殺害する現場に居合わせてしまったのよね」  彼を傷つけるのは極力避けたかったから、恐る恐る言葉を選びながら声をかけてみる。 「あなた自身も、危うくその通り魔の犠牲になる所だった」  守人から返事は無い。 「偶然、パトロール中の警官があなたの悲鳴を聞き、その場へ駆け付けてくれた。重傷を負いながら、あなたを庇った」  守人は記憶の中で渦巻く惨劇の幻にすっかり我を忘れていたが、確かに誰か、飛び込んできた気がする。  赤い怪物に誰か飛び掛かり、争っている光景がフラッシュバックし、消える。 「お陰であなたは無事だったけれど、あなたとあなたの家族が暫くの間、マスコミに追い回されたそうね。それが御両親の不和と離婚に繋がってしまったんでしょう?」  守人は小さく息を吐き出し、顔を覆っていた掌を下ろして、ふらりと立ち上がった。  瞳が虚ろで感情の起伏に乏しい。面持ちも何処かあどけなく、年端のいかない少年へ精神が逆行してしまったようだ。 「あ……ごめんなさい、トラウマなのね」  もう質問なんて出来る状態では無い。  前のめりの好奇心が臨の中で急激に冷め、激しい罪悪感にとってかわる。 「ごめん……許して下さい。あなたの古傷を抉るような事、してしまって」  臨は強い後悔を言葉に込め、深く頭を下げた。 「高槻君が事件を乗り越え、孤独な環境の中で人生を立て直したのだとしたら、凄い精神力だと思ったの」 「……え?」 「本当に強い人だなって、入試の噂も気になるし、一度会ってみたくて」 「強い? 僕が?」 「犯罪による痛みと向合い、克服を目指す人への精神的サポートがあたしの研究テーマなんです。だから、できれば、その強さの秘密を教えて欲しかったんだけど……」  自己嫌悪を含む臨の静かな声が守人の意識をかき乱し、同時に意外な反応を引き出す。 「……ふざけんな」  その声は、最初は聞き取れないほどに小さかった。だが、臨を睨む瞳は、激しい怒りに震えている。 「ふざけんな! ふざけんな!」  声は次第に大きくなり、臨は身を竦ませた。  守人は激情に駆られ、彼女の肩を掴んで、近くの常緑樹の幹へ力任せに押し付ける。その光景は、惨劇の記憶の中で、赤い通り魔が女性を殺害する姿に酷似していた。 「お、俺は良く覚えてない!」 「……俺?」  自分を指す言葉が「僕」から「俺」に代わっただけではない。守人の表情や声音が、何かしら大きく変化してしまったように、臨には思えた。 「確かに俺、何かの事件に巻き込まれた……医者にも行った気がする……でも、人殺しの話なんて、そんなの……」 「事件の記憶がぼやけているの?」 「知らねぇよ! 大体、何だよ。何でお前みたいな奴がしゃしゃり出て、蒸し返すンだ?」  胸元を掴まれ、苦し気に顔を歪めながら、臨は「ごめんなさい」と繰り返す事しかできない。 「俺は思い出したくない。思い出す気も無い。でも畜生…… 何で、こんなにビビってンだよ!?」  怒声を浴びても臨は抗わない。  それは彼女の罪の意識の表れだが、猜疑心に囚われた守人には何か別の企みがあるかに思え、一層の怒りが溢れ出す。 「おい、今の話、誰から聞いた?」 「それは……」 「十年も前の事件だぜ。偶然知ったなんて嘘は言うなよ」 「所属しているゼミの研究室に、備付けの古いパソコンがあるの。この前、起動してブラウザを立ち上げたら、『タナトスの使徒』というウェブサイトの閲覧履歴が目について……」  守人はサイト名を聞くなり、反射的に眉をしかめた。 「高槻君も知ってるサイト?」 「知らないけど、何処かで聞き覚えが……」 「覗いてみたら、世界中の様々な猟奇事件のデータを扱ってて」 「つまり、そのサイトで俺の情報も見たってのか?」 「ええ」 「それで、つい好奇心が刺激された? それとも他に何か、狙いがあって俺に近づいたのか?」  守人の言葉にはシニカルな毒が含まれていた。臨に対して好意を抱きかけていた分、裏切られた気持ちが激しい反感に結び付いているようだ。 「さっき、研究テーマがどうとか言ったな。俺をモルモットにして実験でもすンの?」 「あたし、そんなつもりじゃ!?」 「なら、卒論のネタか? 良かったじゃん。ラッキーじゃん。まだ卒業までたっぷり時間あるから、幾らでも観察できるよね?」 「違うわ! あたしはただ……」 「ただ、何だよ!」  守人は臨の首筋を両手で締め上げ、一度引き付けて、改めて木の幹へ押し付けた。  手加減は感じられず、その表情も更に変化している。  唇を歪めた冷酷な笑みと、瞳の奥に燃える暗い炎の瞬き。先程までの草食男子とは別人のようだ。  凶悪な犯罪の被害者と言うより、彼自身が犯罪者だったのではないかという恐怖が、臨の胸にこみ上げてくる。 「あんたのモルモットにされる前に、俺があんたを実験台にしてやろうか?」 「いやっ!」  本能的な恐怖がこみ上げ、臨はもがいた。  更に木の幹へ押し付ける守人に何かが背後から差し出され、反射的に受け取って……  握る感触に馴染みがある。  それが赤錆の浮く金槌だと気づき、守人の表情が強張った。  悪夢の中で見た血塗れの凶器がフラッシュバックし、胸中で渦巻く高揚感や残忍な衝動を更に駆り立てる。    赤い仮面の殺人者が視界の片隅で蠢き、「殺せ」と囁く声まで聞こえてきた。  押し寄せるデジャブ。  悪夢の中ではこのまま手を下す。  そうだ。女の息の根が止まるまで、金槌を振り下ろしてしまうんだ、俺は。  
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加