知り過ぎていた男 3

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知り過ぎていた男 3

「宮城の犯罪実況が表版『タナトスの使徒』に短期間UPされた。そうネットで噂が飛び交い、今度こそ首根っこを掴もうと思ったんだが」 「収穫無し、ですか?」 「何らかの理由で、殺人動画が表サイトへ流れたのは事実らしい。しかし今は削除されとる。もし残っているとしたら、裏、すなわちダークウェブの有料会員用だけじゃろう」 「じゃこの際、金を払って有料会員になれば?」  笠松の突っ込みに五十嵐は目を剥いた。 「それが出来たら苦労せん! パスワードさえ判れば、のう」  怒鳴られて咄嗟に富岡の後ろへ退いた笠松が、先輩刑事にそっと尋ねる。 「パスワードって何の、です?」 「表版『タナトスの使徒』なら、通常のネット検索でアクセスできる。まずこちらのパーソナル・データを打ち込んで審査を受け、金を払って会員登録、個人認証用パスワードを入手するんだ」 「へぇ」 「どんなチェックをしているか不明だが、審査に通ると管理人からメールが来る。こちらからは連絡できない一方通行で、その指示通りブラウザを操作し、サイトへログイン。見たい動画毎に視聴用パスワードを買う」  五十嵐が頷き、富岡の後を続けた。 「裏版へのアクセス手段は、既に会員となっている者の紹介を得られん場合、この表版を介し、管理人から裏専用のパスワードを買うしかないんじゃが……」 「ハードル、高いんですか?」 「アドレスや送金先は頻繁に変り、変っちまうと前のは使えん。つまり表版の有料会員になれたとして、裏版の情報を引き出すまで留まる事が至難の業よ」  好奇心に駆られ、笠松はマウスへ手を伸ばした。  ちょいちょい動かし、画面の変化を楽しんでいて……隠されたポップアップ・スイッチの一つに触れたらしい。  ゾンビか、幽霊か?  血塗れの顔が絶叫と共に出現したものだから、笠松は後ろへひっくり返りそうになった。後輩の醜態に苦笑した富岡だが、すぐ表情を改め、五十嵐を見る。 「先生、これまで集めた『タナトスの使徒』表サイト・裏サイトの資料全てを提供して頂きたい」  五十嵐は冷めた眼差しでそっぽを向いた。 「俺はとうの昔に警察を離れとる。協力する義務は無い」 「こちらの情報も教えますよ」 「そもそも、この部屋へ入れてやる交換条件が、その情報の提供だったろ。今更、出し惜しみすんな」 「出し惜しみ所か、これから捜査本部が掴む情報の全てをあなたと共有しても良いと思ってます。勿論、上に内緒でね」  そっぽを向いたまま、五十嵐の眉がピクリと動く。  笠松もギョッとしたが、それに構わず富岡は五十嵐の前に回り込み、その微かな動揺へ追い打ちをかける。 「科捜研で辣腕を振るっていた頃、あなたは何度も上層部へ意見を具申しましたね。場所も手口も異なり、一見無関係な複数の事件が一人の模倣犯の仕業と主張なさってた」 「あん時もお前、俺ン所へ押し掛けて、つきまといおったな」 「良い思い出です」 「こっちは大迷惑だ!」  過去の成り行きに話題を移した途端、五十嵐の態度が一層険しくなったのを、笠松は感じた。 「だが、その半年後、あなたは急に主張を取り下げ、警察を辞めてしまった。間も無く奥様と離婚。一人娘とも絶縁した上、この分譲マンションに一人で引き籠っておられる」 「……お前には関係ない」 「俺との接触も避け続けた。なのに、怪しげな都市伝説の収集は止めず、裏サイトのアクセス手段に頭を悩ませている。誰だって矛盾を感じます」 「だから、何だっちゅうんじゃ!」  激しい怒声を上げ、五十嵐は机の傍らに立て掛けられた金属バットを握り、勢い良く振り上げる。  富岡は怯まず、静かに問い続けた。 「当時、あなたは既に掴んでたんじゃありませんか? 俺を刺した通り魔……あの『赤い影』が何者か」  五十嵐が息を呑む音を、笠松は聞いた。 「掴んでいたからこそ、警察から退かねばならない。そんな事情があったのでは?」 「……やはり、お前なんぞ家に上げたのは間違いじゃった」 「教えて下さい。禁煙してまで長生きしなきゃならない、五十嵐さんの未練って何ですか?」 「帰れ、帰れっ!」  金属バットが風を切る。こうなると話し合いの余地は無い。  持ち前の身軽さで笠松が部屋から飛び出し、富岡も廊下から玄関へ走って、ドアノブを掴むと同時に振り返った。 「又、明日の晩、来ます」 「二度と来ンな!」  バットの風切り音を背に、玄関ドアを抜け、元の寒風吹きすさぶ外廊下へ飛び出す。直後、力任せに五十嵐がドアを閉め、慌ただしくチェーンを掛ける音がした。  ドアの外で一息つき、笠松は肩を落として、疲れ切った眼差しを先輩刑事へ向ける。 「富岡さん……あれが科捜研、伝説の男? 老害そのものだ。当てになんか出来ませんよ」 「ん~、そうかな?」 「本気でまた来る気なんスか、明日?」 「そりゃ当然だろ。折角、餌を蒔いたんだから」 「餌?」 「宮城での事件について、俺達はまだあの先生に何一つ話しちゃいない。一人になって気持ちが落ち着いたら、詳細が聞きたくて我慢できなくなるさ」 「あの……まさか、あれ、本気じゃないですよね?」 「あれ?」 「捜査本部の情報を、上の許可無く提供するって話……ばれたら謹慎じゃ済みませんよ」  巻き込まれたくない本音を隠し、先輩を気遣う調子で言う笠松に富岡はノホホンと間延びした声で答える。  「ああ、あれも餌」 「はぁ?」 「余計なリスクは負いたくないが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。撒き餌は多い方が良いだろ、笠松君」  本音の伺えない答にうんざりし、笠松は肩を落とした。 「朝、東北で捜査会議に出て、夜は東京で偏屈爺ぃに怒鳴られ……体、もたねぇなぁ」 「今度、うまいはっと汁食わせてやる」 「それ、どんな料理か知りませんけど、取り合えず腹減ったんで、その辺で牛丼か、ハンバーガーでもおごって下さい」 「フフ、安上がりで助かるよ、相棒」  富岡は笠松を促し、マンションの外廊下を歩き出す。  日頃、体の弱さをアピールしている割に、その足取りは軽く、楽し気な瞳は獲物を追う狩人の喜びに輝いていた。
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