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我々は何処へ行くのか? 3
金槌をゆらゆら揺らし、ゆっくり『赤い影』はこちらへ近づいてきた。
富岡は拳銃を構えて狙いをつけるが、それはまったく気にしない様子で、
「能代さん、君、前に面白い事を言っていたね。確か、人の心の中に怪物はいない、だっけ?」
挑発的に臨へ訊ねる。
「信念です、あたしの!」
「間近に迫る私を前にして、まだ同じ事が言えるか?」
臨は一瞬口ごもり、
「……可哀そうな人だと思う、あなたは」
相手から目を逸らさず言う。
「うん、実に良い。心の闇と向き合う覚悟、そこだけは負けないと宣言していたね。愚かしい程、ポジティブ。我々にはそんな君こそ必要だ」
又、臨の表情が恐怖で強張る。
「その馬鹿馬鹿しい理想主義を、君はもうすぐ苦痛と絶望の淵へ投げ捨てる。残酷な真実を受け入れざるを得なくなる。その瞬間に息の根を止める事こそ、イベントのクライマックス」
奇妙な違和感が臨の胸の奥で膨れ上がった。強いデジャブを感じたのだ。こんなやり取りを前に誰かと交わしていた様な……
「それは高槻守人の中で育まれた隅亮二の魂が転生する瞬間でもある。即ち、私が待ち望んだ再会の時」
「生まれ変わる? 待ち望んだ再会?」
富岡が鋭く言い放つ。
「事件を引き起こした張本人にしちゃ、妙な言い草じゃないか。何処か、他人事みたいな口ぶりだぜ。えっ?」
芝居じみた身振りで高揚感を示していた『赤い影』が動きを止め、少しだけたじろいだ気がする。
富岡は更に畳みかけた。
「詰まる所……お前は高槻守人では無く、隅亮二本人でもない……だろ?」
拳銃を構えたまま、富岡は臨の拘束を解こうとする。しかし、石造りの祭壇に合成樹脂製のロープできつく縛られており、中々ほどけない。
その間に『赤い影』は平静さを取り戻し、理路整然と言い放つ。
「重要なのは、私の正体ではなく、目的だ。親の愛情に飢えていたエミル・ケンパーは、最初に育ての母である祖母を手にかけ、母親の殺害が最後の犯行になった。最大の執着を滅するのがケンパーのゴールだが、高槻守人の場合は愛する者を自ら手にかける事で、人格の変容が完成する」
「そんな真似、させるか!」
接近し続ける『赤い影』へ富岡は威嚇射撃した。弾丸は赤衣の足元へ穴を穿ち、その前進を止めるが、
「君への対処もちゃんと考えてあるよ」
レインコートのポケットから『赤い影』は小さなスイッチボックスを取り出し、富岡の方へと翳す。
ようやく拘束から逃れた臨と富岡が同時に息を呑んだ。五十嵐のマンションを爆破した際、守人が使用したスイッチボックスとそっくり同じ代物なのだ。
「ここにも爆弾を!?」
「そりゃ勿論、仕掛けてある。今時のイベントに打ち上げ花火は付き物だろ」
「なるほど……そりゃ一理ある、な」
完全に追い詰められた状況下にも拘らず、富岡は敢えて場違いな薄笑みを浮かべ、再び『赤い影』の戸惑いを誘った。
「富岡刑事、銃を捨て給え! あのマンションの時より多量の爆薬を用意している。起動したら最後、脱出する余地は無い」
「ほう、これまた、一理ある」
富岡は銃口を下ろし、尚も挑発的に笑って見せる。
「……何のつもりだ、その言い草?」
「それはこっちが聞きたいよ、来栖先生」
名を呼びかけられた途端、赤い仮面が揺れる。明らかな動揺の兆しに富岡は頷き、言葉を継ぐ。
「前に、五十嵐さんが言っていたんだ。高槻守人が何かの心理操作を受けているなら、その不安定な精神を監視し、意図する方向へ誘導する為、少なくとも最終段階では誰か側で見守る必要があるだろう、とね」
「だから?」
「高槻が宮城で受験する前後、来栖晶子は東京の職場で得た好待遇を捨て、陸奥大学へ移ってる。それ以前の履歴も調べたが、海外にいた期間以外は高槻との接触が容易な住所を選び、移り住んでいる事が判ったよ」
富岡と『赤い影』の会話を聞き、臨は茫然と立ち竦んでいた。
「能代さんによると、陸奥大学の研究室であんたと顔を合わせた時、高槻は初対面と認識したそうだな。おそらく別の人格が表面化していた時のみ、ネットを通して、彼と接触していた。違うかい?」
富岡の言葉を聞く内、臨が晶子の研究室で時折り感じた違和感、心の何処かで抱いていた疑惑が、明確な形を成していく。
「そして、必要に応じ、『赤』と言う名で志賀を操り、高槻へ接触させていた。志賀は伝説の殺人鬼・隅亮二に心酔していたから、隅からの指令と思わせておけば、扱いやすかったんだろうな」
「ふふ……扱いやすい反面、『赤い影』を真似る態度が目障りだったよ。予言や品の無いライブ等、余計な真似を繰返し、劣化コピーにもなれない粗悪なフェイクだ」
「幻覚剤PCPを志賀に提供したのは操る為の餌だろ。あれは日本では入手困難だが、ダークウェブで海外の業者にアクセスすれば何とかなるらしい」
「入手より日本国内へ持ち込む方が難しかった。ま、海外生活が長かった分、色々と伝手はあるがね」
「一つ、どうにも不可解だったのはバッドトリップした志賀が暴走し、陸奥大学へ直接乗り込んできた件だが、ありゃ、あんたの計算違いか、それとも……高槻守人の不安定な精神を揺さぶる為の荒療治。一か八かの賭けって所かな?」
富岡の問いに対する沈黙は肯定の証しに思えた。
「でも、富岡さん、『赤い影』は男性の筈じゃ?」
困惑を拭いきれない臨が呟くと、富岡が即座に答える。
「少なくとも気仙沼の事件、荒生岳の事件は主犯が女性でもおかしくない。気仙沼の被害者は男女、両刀使いの男娼で、女性が誘いを掛けても犯行現場へついてきただろう。幻覚剤を飲ませてから殺している為、特に腕力は必要ない」
「荒生岳の方は?」
「路上でヒッチハイクする女性を車で拾う場合、拾う側も女性の方が警戒を受けにくい。犯行現場にはインターネット・ライブに備えて協力者が待機していただろうし、目論見通りの場所で車を停めてしまえば、後は被害者を好きに料理できる。それにあの衣装も正体を隠すには都合が良い」
「赤いテルテル坊主みたいな、仮面とレインコート、ですか?」
「やたら目立つ分、犯罪に不向きな悪ふざけと思えるがね。仮面は頭をすっぽり覆い、声も電子化、大き目のレインコートは体のラインを分らなくする。容姿、年齢、性別を隠すのに最適だよな」
「そうか、ネットライブの中じゃ姿を晒さなきゃいけないから……」
「それに成り行きによっては、志賀や動画ライブのスタッフと直接顔を合わさなきゃならない場合もある。そんな時には、いつもその恰好で『隅』を名乗っていたんだろ?
伝説的な衣装が『タナトスの使徒』メンバーのシンパシーをくすぐる上、女性としては長身で体格の良い来栖先生がヒールでも履けば、男を装っても気づかれる事は無い。まさに一石二鳥という奴だ」
富岡の推理を一通り聞き、『赤い影』は感心した素振りで拍手をして見せた。
「なるほど、一理あるわ」
「ん~、やっぱり、その口癖、あんたの方が似合うねぇ」
「富岡さん、あなたもイイ。脇役として悪くない」
穏やかに告げると『赤い影』は仮面を取り、その下でまとめていた美しい長髪をさらりと掌で撫でる。
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