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我々は何処へ行くのか? 10
(35)
陽が落ちてから強くなってきた風は、陸奥大学・青葉山キャンパスを通り抜け、医工学科ビル4階の窓へ吹き付けて、絶えず微かに震わせている。
でも、精神神経医学教室に立て籠もる三人の耳に振動音など届かない。
教育目的のみならず、医療にも使用されるラボの性質を考慮し、防音機能を備えた強化ガラスが使われている為だが、それにも増して、ドアのバリケードへ殺到する連中が喧しい。
金属製の扉を叩き、蹴飛ばし、風の音など綺麗に掻き消す勢いだ。
協調性の乏しさ、廊下の狭さが災いし、襲撃者側は数を活かしきれていない為、守る側がギリギリ凌いでいる状態だったが……
ドカッ!
いきなり無視できない衝撃音が窓を鳴らす。
渾身の力でドア前のバリケードを抑える笠松、正雄、パソコンのデータ保存に勤しむ文恵は同時に振り返った。
「げっ、何や、あいつ!?」
一目で正雄の声は震え出す。
赤いレインコートをまとった奴が二人、屋上からロープでぶら下がり、体を揺する反動を利して窓を蹴破ろうとしているのだ。
視界の悪さを考慮して丸い仮面をつけていないが、その分、窓を蹴る度に血走った眼をひん剥き、喚く表情の狂気が際立つ。
「SATじゃあるまいし……あいつら、何て無茶しやがる!」
「大丈夫です。この窓は強いんで、蹴られたくらいじゃ……」
文恵が言い終わる前に、ガラスの割れる音が響いた。
蹴破るのを諦め、代りに懐から出したスパナをフルスイングしたらしい。さしもの強化ガラスにも割れ目ができ、空いた隙間から内側へ片手を差し込んで、窓のロックを外そうとしていた。
「増田さん、バリケードを頼む!」
パソコンデスクからバリケードへ飛びつく文恵を待たず、笠松は窓へ駆け寄って、ホルスターから拳銃を抜く。
ロックを外した窓を開け放ち、飛び込もうとする二人へ二発の銃声が轟いた。甲高い悲鳴が外の闇へ吸い込まれ、転落と共に消える。
「殺ったんか、刑事さん!?」
「頭の側を掠める様に撃った。そのショックでロープから手が離れたんだと思うが」
転落死したかもしれない。生まれて初めて人に向けて撃った銃を、笠松は苦渋の面持ちで睨みつけた。
「刑事さん、どうだね、初体験の人殺しは? やってみたら意外と楽しかったろう。今からでも、我々の側へ来ないか?」
動画ウィンドウの中から『隅』の顔が嗤う。
「黙れ!」と怒鳴り返すのが、笠松には精一杯だった。激怒と同じ位、大きな虚しさが胸をよぎる。
志賀を追い詰めた時も撃てなかったのに、こんな形で俺は二人も……
「あ、きっと死んではいません。その窓の下に舗道へ沿った植込みがあって、クッションになる筈です」
笠松を気遣い、文恵が声を掛ける。
「それに……ビルの4階というと12メートル前後でしょ? 清水寺の高さと同じで、江戸時代のデータだと落ちても八割の生還率が……」
「姉さん、今、そんなウンチクいるか!?」
正雄のツッコミに文恵自身「ごもっとも」と思ったが、笠松の気持ちは楽になった様だ。実際、窓の下を見ても転落した男の姿は無く、何処かへ逃げたらしい。
廊下の声は一旦収まり、屋上からも後続が来ない。銃の発砲音で、暴徒達も流石に肝を冷やしたのだろう。
取り合えず、威嚇は効く。
残ったロープを切り落とし、笠松はホッと一息ついた。だが、勿論、それも束の間の安息に過ぎない。
「キャッ!」という文恵の悲鳴が聞こえ、笠松が振り向くと、バリケードごと彼女はドアの前から押しのけられていた。
正雄の踏ん張りも限界で、上半身を室内へねじ込んだ『赤い影』の一人が金属バットをガムシャラに振り回し、正雄の頭を狙っている。
「もう良い、二人とも下がってくれ」
ブンと唸るバットを正雄は寸前でかわし、文恵が後ずさりするのに合わせて、笠松は三発残った銃口をドアの方へ向けた。
バットを手に部屋へ入りかけた『赤い影』の一人に狙いを定め、撃った弾丸はそいつの肩を掠めて壁へ穴を穿つ。
効果は抜群。後ろへ身をのけぞらせた『赤い影』はそのまま倒れてドアの向う側へ消え、バリケードを押していた奴らも動きを止める。
ひとまず、ビビッてくれたらしい。又、少しは時間が稼げそうだが、どの位、もつものやら?
「二人とも、もっとドアから離れろ。次に入ってきた奴を、迷わず俺は撃つ。今度は威嚇じゃなく、確実に当ててやる」
張り上げた声は、文恵や正雄だけでなく、廊下の一団にも届いただろう。
奴らのざわめきが聞こえる。
笠松の額に冷たい汗が滲んだ。
あぁ、そうだよ、ハッタリだよ。できれば、誰も撃ちたくねぇ。まして殺すなんて……ネットで叩かれる前に、俺の神経がもたねぇよ。
口の奥で呟き、それでも来たら撃つしかないんだ、と自らに言い聞かせていると、廊下のざわめきが一瞬、大きな叫び声に変わった。
怒号混じりだが、妙に勢いが無く、落胆の悲鳴にも聞こえる。
ラボ内のパソコンにも異変が起きていた。
サイト表示が真っ赤に染まり、判読できない奇妙な文字と共にカウントダウンの数字が出て、目まぐるしく点滅を始めたのだ。
その点滅が早まり、数字がゼロへ近づくに従い、戸惑い、喚きあい、相争うような気配が生じる。そして、次に訪れた静寂は、あまりにも唐突だった。
奴らの気配は残っているが、もうラボへ侵入しようとしていない。それどころか、多数の足音が小走りで遠ざかっていく。
何かと目障りな『隅』の動画ウィンドウも、いつの間にか閉じていた。
恐る恐る正雄が廊下の様子を伺うと、薄明かりの下、赤い服の最後の一人が階段に繋がるホールへ消える。
「……終わったんか?」
「らしいな」
「何でや?」
「俺が知るか」
しばらく息を潜めて、状況を見守る。10分近く経過しても変化は生じず、軽く憎まれ口を交わした後、笠松と正雄は疲れ切った顔で軽~くハグした。
「俺、ゾンビ映画が割と好きやったけど、囲まれて閉じ込められる感じ、トラウマになりそうや。しばらくホラーは見とうない」
「俺は逆だな。今夜取り逃がした憂さを晴らすには、ゾンビを思いっきりやっつける映画をハシゴしたい心境だよ」
「そういう事なら守人に頼んで、あいつのコレクションからめぼしい奴を……」
そこまで言い、正雄は臨と守人の現状を思い出したらしい。パソコン画面に釘付けの文恵へ歩み寄る。
「なぁ、もう一つの画面、臨ちゃん達のライブはどうなっとるの? 今度は姉さんが実況してや」
「無理」
「はぁ?」
「もう消えちゃった」
「なら、消える前までどんなだったか、教えて」
「あ~、一言で説明するのは無理だっちゃ。何かもう、怒涛の展開でね」
笠松も文恵の方へ歩み寄った。
「能代さん、まだ無事か? 富岡さん、高槻を捕まえた?」
「三人とも無事に小学校を脱出したよ。富岡さん、高槻君に刺されたんだけど、その後、復活して、仲直りもしちゃって」
ギョッとする笠松を押しのけ、正雄が言う。
「仲直りっての、訳わからへん。守人の奴、赤い何とかに洗脳されとったンと違うか?」
「だから、説明は無理! それより、見てよ、画面が変わった」
笠松と正雄が液晶モニターを覗き込むと、既に小学校の講堂内を中継するライブ映像のウィンドウは閉じていた。
その代わり、新たに学校の廊下を映すウィンドウが開いていて、その中央、壁へ凭れ、座り込んだままの赤い衣装を着た人影が映る。
負傷による体の痛みと衰弱で動けなくなった様だが、渾身の力で再び立ち上がり、よろめきながらも二階への階段を一歩ずつ上っていく。
「これ……来栖先生やないか!?」
「ええ、高槻君と争って、怪我したみたい」
「ライブは高槻と能代さんが主役の筈やろ? なのに、何故、廊下にまでビデオカメラが置かれてて、こんなん流すんかな?」
正雄に問われるまでも無く、文恵や笠松の胸中でも沢山の疑惑が揺れていた。
その答えを求め、三人はすっかり静まり返った研究室の中で、血まみれのまま進む来栖晶子の映像を見つめる。
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