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あの時、せまいビニール袋の水中で途方にくれていた金魚が私だったのだと思う。
うちのシンクを三つ合わせたくらいの真っ青な水槽。そこに何十匹と泳ぎ回る小さな金魚たちはあんなに艶やかでかわいいのに、白い薄紙が破れたポイはなんとも不潔でいやらしいものに見えた。今思い返せば、あれが私の思春期の始まりだったのかも知れない。
「ボク、残念だったねえ。ほら、サービスだよ。大切に育てな」
ゴマ塩頭の痩せたおじさんが一番おとなしそうなぶちの金魚を柄杓ですくい透明の袋に落とすと、緑色の細い紐を縛って弟の小さな手に持たせてくれた。弟は私を見上げてニッコリした。
夏空の下、母とおそろいの浴衣をまとった私は幼い弟の手を引きなが、同じクラスの男の子たちと出くわしからかわれたりしないことを祈っていたのだろう。だからこそ、あの瞬間の空気の輝きは高校三年生の今でも私の胸に深く刻印されている。
「浴衣、素敵だよ!」
シュワーっと突風にようなものに追い抜かれる。自転車の男の子が、爽やかな笑顔を振り向け片手を上げる。真っ青な大空を背景に彼の長めの髪の毛が風になびいて、映画の一場面のよう。
嬉しかった。小学生最後の夏祭りに高野君に振り向いてもらえるなんて。それも「素敵だよ」だなんて……。
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