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「仕事が忙しくて……ごめん。デートの約束だけど……」
「しょうがないよ、お仕事だもん。気にしないで?」
――――あなたの要領が悪いだけでしょ? このノロマが!
「今日も残業なんだ」
「大丈夫? 身体壊さないか心配だよ」
――――ほんと、仕事のできない男よね! かっこわる!
「疲れ気味だから人混みはちょっと」
「じゃあ、おうちデートしよっか。わたし、ごはんつくるよ!」
――――疲れた疲れたって年寄りかよ! 体力ないなー
「新しく転属されてきた後輩が仕事遅くてさー」
「まだ慣れてないんだよ。根気強く教えたらきっと上達するよ!」
――――えっ、自分は仕事早いと思ってんの?
「営業のヤツがまったく使えないやつでさ」
「ひどいよね。なんで使えない人が回されてくるのかな? あなたはこんなに頑張ってるのにね」
――――ていうか、おまえも使えないやつだって分かってる?
「部下の女の子たちから食事に誘われちゃってさ」
「上司として頼られてるんだね。えへへ、彼女として鼻が高いよ!」
――――単なるゴチ目当てに決まってんだろ! 馬鹿かよ
我ながら大女優だと思う。
考えてることと言うことがまったく正反対。
特大級の猫かぶり。
もうここまでくれば二重人格レベルかもしれないと一時期悩んだが、でもきっちりと自覚はあるし、今のところ特に弊害はない。
常に相手の立場になって考えろ。
それが私のモットーだ。
自分だったら相手にどう返されたら安心するだろう。
どういう言葉をもらえれば嬉しいだろう。
元気出るだろう。
癒やされるだろうか?
常にそう自問自答しながら彼に接していたら、いつの間にやらそれが癖になっていた。
自分の心の声は常に聞こえるけれども。
絶対に表に出してはいけない声だと分かっているから、内なる私をひたすらに奥へとしまいこみ、今日も私は理解ある女を演じる。
そもそものきっかけは彼からの熱烈なアプローチだった。
最初は気乗りしないまま適当に受け流していたが、やはり女というのは追いかけられると弱いもので、まぁ、よくある話。
気が付けば私の方が彼にぞっこんになっていた。
そう、罵倒ばかりしているが、私は彼が好きなのだ。
多少愚痴は多めの彼だが、普段はとても優しいし、真面目だし、何よりちょっぴり頼りないところが放っておけないのだ。
だからこそ、私はせっせと彼の援護をして、彼の望む言葉を放つ。
自分を偽ってるわけじゃない。無理をしてるわけでもない。
強いて言えば、彼になりきって、彼と完全同化して、彼の理想とする彼女を日々分析する製造機となっているのだ。
彼と私は同一。
もはや一心同体である。
彼のことなら何でも分かる。
心の奥底に秘められた願望だって、私が見事察してみせる。
だから、どんな情けないことでも私に言って欲しいと切に願っていた。
私があなたの望む言葉を返してみせるから。
「ごめん! 実は後輩との間に子供ができちゃって……」
私は彼。
彼ならどうされれば幸せか――――?
考えろ考えろ考えろ。
私は彼。
自分のことなら分かるよね?
「避妊失敗しちゃったんだね。でも大丈夫! 」
私は自分の心臓に包丁を刺し入れて、にっこりと嗤った。
「来世はあなたの子供になるから、ずっと一緒だよ」
ああ。
初めて心の声と実際の声が一緒になった。
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