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第1章
「部長~~っ! 誰でもいいからスタッフを補充して下さいよぉぉ!」
店長会議後の飲み会で訴えるのは、ひまわり薬局桜台調剤店店長、原圭吾。すると、調剤事業部の部長から なだめられる。
「なあ、あともう少し 他店舗の応援で しのいでくれよ」
「どの店も人手が足りないから気安く頼めないんです」
すると、向かい側に座る大ベテランの岩崎店長が助け舟を出してくれた。
「彼の言うとおりです。ほら、ウチの佐野さん、来月移動するから応援も明日で終わっちゃうし」
それを聞いた林部長は両腕を組むと、渋々こう言った。
「じゃあ、中途採用があったら原んトコに入れるとすっか……」
岩崎店長の口添えで約束を取り付けることが出来た圭吾は心の中でガッツポーズ。しかし、これが薬剤師として――― いや、人生そのものに大きな影響を与えることになろうとは予想だにしなかった。
圭吾が務める桜台調剤店は、F市西区にある病床数二百床の総合病院『桜台中央病院』の院外薬局だ。
『院外薬局』とは、その名の通り病院の外にある調剤薬局のこと。外来を受診した患者が持ってくる処方せんをもとに薬剤を調剤し、患者に適切な薬剤を提供する医療機関である。
圭吾はそこの店長なのだが、先月薬剤師が産休に入り他店舗の応援でなんとか回していた。が、慢性的な薬剤師不足で いつまでも他店舗に頼れない状況だ。
桜台調剤店のスタッフは、薬剤師六名・医療事務三名の計九名。で、男性は圭吾ただ一人。これを聞いた高校の同級生は『まるでハーレムじゃないか!』と羨望のまなざしを向けたが、圭吾は心の中でこう呟いていた。
―― ここで一週間働いてみろ。ストレスで円形脱毛症になるからな
実際、圭吾が初めて店長を任された時(今の店舗ではなかったが)、気の使い過ぎで頭頂部にコイン大のハゲが二~三個でき、今なおスタッフから聞かされる不平不満でストレスを溜め込む日々であった。
店長会議後の飲み会で愚痴を零すと二件目になだれ込み、アパートへ帰ってきたのは午前二時過ぎ。シャワーも浴びずにベッドへ倒れ込み、深い眠りにおちたものの、無粋な電子音に起こされる。
午前六時二十五分。目覚ましは五分早めにセットしてあるからあともう少し―― そう思いながら、鳴っては止め、鳴っては止めを繰り返し、後がないところまでくると尻を持ち上げて体を起こす。スタッフには『遅刻をするな』と言ってある。なので、自ら破ってはしめしがつかなかった。
頭がクラクラして酒が抜けない圭吾は【ウコンの力】の助けを求めるべく冷蔵庫の中の一本を飲み干した。
―― クルクミン30mgよ、俺に力を貸してくれ!
そして、のろのろと風呂場へ行くと禊のシャワーを浴びた。
仕事柄、身だしなみはきちんとしなくてはならない。半覚醒の状態でも髭だけはきっちりとあたり、酒臭い体をシトラスの香りのするボディーソープで洗い流し、浴室から出てきた時には幾分酒も抜けて さっぱりした気分になっていた。
テレビをつけると、【ココ調】が終わって【見たもん勝ち】になっている。『ヤバイ! いつもより三分遅いぞ!』と支度のスピードを上げるが、朝食は絶対抜けない。昼食は十三時過ぎで、それまで腹がもたないのだ。
圭吾は冷蔵庫からストックしていた白飯をタッパーごとチンすると、それに卵と醤油を入れてかき込み、コップ一杯の野菜ジュースをグビグビと飲んだ。一時期、彼女と同棲していた頃はハムエッグやらサラダやら作ってもらっていたけれど、一年前に別れて元の食生活に戻った。まあ焼いた卵が生に、サラダが野菜ジュースになっただけで基本は一緒。たまにハムとか食べたくなることはあるけど……
汚れた茶碗を流しに置いて歯磨きを終えると、圭吾は鍵とヘルメットを引っつかんで外へ飛び出した。
―― く~~~っ、太陽が目にしみる
今日は雲ひとつない快晴。もし休みなら浮き立つだろうけれど、今から仕事の身の上には何の足しにもなっちゃくれない。
いいよな、土日連休が取れるヤツは。俺が最後に取ったのはいつだっけ? 確か、店長職についてからは一度もないはず。土曜日だって病院は開いているわけだし、だいたい休みの希望はスタッフを優先に取らせているから自分は残りで我慢しているし。まあ、今は彼女もいないから連休をとっても時間を持て余すのがオチだけど。
圭吾は鉄筋階段を駆け下りて駐輪場へ向かうと愛車のカブに跨った。
―― よっしゃ、今日も張り切っていきますか
そう無理やり喝を入れると、エンジンをかけて片道十五分の仕事場へ向かうのであった。
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