愛しの王子に絶望フラグが立ちました

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愛しの王子に絶望フラグが立ちました

私、杉本(すぎもと)千春(ちはる)の大学生活は講義とバイトの一色だった。 実家は裕福とは言えず、金銭面で頼ることができなかった。 大学で学ぶことは自分で選択したのだから、この苦労は当然と割り切っていた。 当然のこと、みなが謳歌している恋愛なんて遠い夢のまた夢。 私にはとんでもない贅沢品だ。 と思っていたのに。 私は運命の人に出会ってしまった。 1つ年上の霧島(きりしま)桜二(おうじ)に。 作家志望だった桜二は他の学生とは一風変わっていた。 装いは白のコットンシャツとデニムが定番。 太陽とは友達にはなれないくらいの色白。 そしてなにより私を虜にしたのは、高身長から見下ろすあの切れ長の目だ。 桜二の流し目にはアンニュイな色気が溢れんばかりに漂っていた。 小学生の頃読んでいた少女漫画の中の王子そのままだった。 私はいとも簡単に恋に落ちてしまったのだ。 桜二はいつも一人で本を読んでいた。 校内の芝生の上、バス停、講義に移動するときまでも。 華やかなキャンパス内でイケメン王子が孤高で過ごしているなんて、まさに少女漫画のシチュエーションだ。 桜二を見つけると私は目が釘付けになり、ばれないように彼の顔をそっと盗み見する日が続いた。 学生生活も順調な私は欲が出てきた。 『彼氏』が欲しい。 人生初の告白をしようと決めた。 たとえ振られても、それも人生の糧と前向きに取ればいいって。 いつだって逞しく生きてきたじゃないかと自分に言い聞かせた。 私は桜二に告白をした。 初めての告白は緊張しすぎて、何をどう伝えたのか記憶がないほどだった。 ただ桜二があの色気一杯の目を丸くさせて驚いていたのはよく覚えている。 「君、よく僕のこと見ていたよね?」 と桜二がクスリと笑った。 私はこっそりのつもりだったが、どうやらしっかりと桜二を眺めていたらしい。 私の頬がボワっと紅潮した。 「ありがとう。千春ちゃん。よろしくね」 そう言って桜二が白魚のようなきれいな手を差し出してきた。 私は嬉しさのあまり両手で桜二の手を握りかえしてしまった。 その日から私たちは付き合うことになった。 ほどなくして桜二が私のアパートに転がり込んできた。 「桜二、今日は何食べたい?」 『うーん。なんでもいいよ』 「桜二は食のこだわりはないの?」 『ないね。生きるために仕方なしに食べるってタイプだから、僕は』 またあの流し目で微笑まれた。 なんとも愛らしい私の王子。 彼は相変わらず本にどっぷりはまっており、三度の飯より読書優先だった。 私は桜二が本に没頭している間は決して声をかけなかった。 作家になるためにはたくさんの本を読んでおく必要があるのだろうと思っていたから、絶対に邪魔はしなかった。 しかしそんな生活が祟って、桜二が大学4年の時に肺結核にかかってしまった。 自分の健康には無関心の桜二だったから、発症するのも仕方なかった。 「森鴎外は肺結核で亡くなったんだ。 文豪と同じ病気なんて、俺に箔がついたみたいだ」 そう軽口を言うけれど、連日の発熱と咳で体力を消耗した桜二はさらに青白く軽くなっていた。 このままの生活では本当に死んでしまう。 今までは自由にさせていたけど、これからは私が桜二の健康を管理していこうと決めた。 桜二が嫌いな野菜は、これでもかと細かく刻んで混ぜ、鶏ガラ出汁で味付けした。 魚も細かくほぐしてご飯に混ぜた。 食べやすいように一口おにぎりを作り、いつでもつまめるようにした。 とにかく桜二が健康な身体に生まれ変われるよう工夫した。 「作家は体力勝負でしょう。 創作するのも文字を書くのもエネルギーがいるのよ。 食事はきちんと採ってね!」 「ありがとう、千春」 桜二はあの白く細い手で私を引き寄せ抱きしめた。 私は桜二のためにもっともっと尽くそうと誓った。 桜二は結核を発症したこともあり就職活動ができなかった。 それでも、無職でしれっとアパートにいる桜二に文句の一つも言わなかった。 「千春、僕の夢は作家なんだ。 なんとか頑張って新人賞を取りたい。 お前にためにも頑張ろうと思う」 「うん、私も応援しているから」 「だから、その……」 桜二が目線を逸らせ言葉を濁す。  伝えたいことはわかっている。 本人からは言いにくいことだろうから私から話題を振った。 「大丈夫。生活費は心配しないで。 私が何とかする。 桜二は何も心配しないで執筆に集中して頂戴」 「千春だってオシャレしたいだろ?  可愛い服着て、お化粧して。 我慢してないか?」 「桜二……、洋服や装飾品は私の中で優先度が低いの。 我慢なんてしてないから安心して」 「それは本心?」 「それが私の幸せにつながるから、それでいいのよ」 「千春……。 お前のためにも俺は絶対に結果を出す」 「うん、応援しているからっ」 そういって私から桜二に抱き着いた。 まだまだ細かったけど、少しづつ肉がついてきた桜二の体は以前より抱き心地が良かった。 桜二の夢を叶えたい、その思いだけで彼の側に居たんだ。 「桜二、必要ならここのお金を使ってね」 私はまだバイトの身だけど、無収入の桜二にお小遣いを渡すことも当然だと思った。 「千春、いつもありがとう」 桜二も気持ちよく感謝をしてくれる。 それで執筆に集中できるなら私はどんな我慢でも出来た。 当然、家計は苦しかった。 必要生活費以外は徹底して節約した。 ヘアカットも自分でしたし洋服は古着で済ませた。 この程度の我慢なんて私には朝飯前だった。 私も4年生となり懸命に就職活動に取り組んだ。 私は他の誰よりも気合が入っていた。 狙うは給料と福利厚生が手厚くて、休みがしっかり取れる会社。 だって私は一馬力で2人分の生活費を稼がなくてはならないから。 しかもその期間がどれくらい続くかわからない。 場合によっては一生養っていくことになるかもしれないのだ。 だから条件のよい会社だけに絞るしかなかった。 愛する桜二の前では口が裂けても言えないけどね。 そして私の今までの努力が報われて、見事に志望企業に就職が決まった。 晴れて私も社会人。 安定した収入が確保でき、生活の基盤が整った。 これで桜二にも心配かけずに済むと嬉しかった。 ある日、桜二が占いをしたいと言い出した。 有名な寺院の中にある、当たると評判の占い師だ。 「占うというより、未来や過去が視えるらしい。 少し胡散臭いけど、興味があるんだ」 しかし、金額を聞いて驚いた。 鑑定料は3万円と高額だった。 支払うには躊躇する金額。 この頃の桜二は焦っていた。 自分の作品をいくつか応募していたが、箸にも棒にもひっかからない日が続いていたから。 だから占いに頼って未来の自分を覗いてみたくなったのだと思う。 私はそれが桜二の自信に繋がるならと、占いの予約を取った。 こんな事があるから、やはりお金を少しずつ貯めるようにしないといけない。 噂の占い師は中年太りの普通のおばさんだった。 無表情でよく見ると左目が斜視だった。 それが人には無い力を持っていそうな雰囲気を醸し出していた。 桜二がワクワクを抑えて質問する。 「僕はこの先、どんな人生を歩みますか?」 「知らん。 ただお前は何があっても85歳まで生きる。 今、お前の周りにちょろちょろしている女を断ち切れ。 でないと取り返しのつかないことになる」 私と桜二は目を丸めて顔を見合わせた。 それって私のことなのだろうか。 「あの……ちょろちょろしている女って私のことですか?」 「知らん。わかっているのは本人だけだ」 そんなこと言われてもと桜二は困った顔で肩を軽く上げた。 「あの、僕は作家になりたいのですが、その夢は叶いますか?」 「……叶う。  苦しみ抜いた経験を自叙伝にすれば、うまくいくだろう」 なんともしっくりこないアドバイスをもらい占いは終了となった。 本当に3万円分の価値があったのかはわからない。 でも桜二は少し嬉しそうにしている。 「俺は長寿の文豪になるのかな」 「きっと桜二は大器晩成タイプなのよ」 「うん、これからが頑張りどきなのかもな」 私が好きな桜二の流し目が優しく三日月になった。 私はそれだけで嬉しかった。 そんな時、桜二が応募した小説が新人賞の佳作に選ばれた。 「千春ーーー! やった、入選したぞっ。 夢が叶ったっ!」 桜二が両手を広げて私を抱きしめた。 「……やったね、桜二……。 よく頑張ったね」 2人で手を取り合って泣いた。 ここにきて占いの信ぴょう性が出てきた。 3万円も無駄ではなかったのかもしれない。 しかし、桜二の夢が叶ったとは言えなかった。 佳作を受賞した桜二の作品が本となって刊行されることはなかった。 「霧島桜二」は一時期だけ持ち上げられたが、その後は泣かず飛ばすであった。 そしてあっという間に世間から認知されない作家に戻った。 桜二は悔しがったり怒ったりはしないけど、内心はものすごくショックだったはずだ。 今は我慢の時、と私は何も言わずに見守るだけにした。 ある日、私の財布のお金がすっからかんになっていた。 桜二には自由に使っていいと伝えていたが、半月で1か月分を使い込むのはおかしい。 そしてその頃から、桜二が出かけると帰りが真夜中になる日が続くようになった。 そんなある日だった。 「千春、話があるんだ」 「どうしたの、桜二」 「一人暮らしがしたいんだ。 いい歳して世話になるのが嫌になった。 男として去勢されている気分になるんだ」 桜二はそう苦しそうな顔で呟いた。 結果がでなくて本人も苦しんでいるのだ。 私は桜二の世話をやくのは構わなかったし、それを苦労とも思わなかった。 でも、桜二の願いは変わらなかった。 「俺、出て行くよ。 申し訳ないが、引越しの初期費用を用立ててはもらえないだろうか」 「稼いだことのないあなたがどうやって暮らしていくの?  心配でならないわ」 「千春、俺を心配するのはわかる。 でも、ここらで覚悟を決めて変わらないと一生うだつの上がらない男になってしまう。 わかってほしい」 「桜二……そんなに思い詰めていたの?  ……わかったわ」 一緒に住まなくても桜二の人生を応援することは変わらない。 だから彼が家を出ると申し出た時、私は母親の心境で見守ることにしたんだ。 陰ながら桜二を応援しようと引越し費用も喜んで渡した。 「ありがとう、千春。 落ち着いたら連絡するから」 桜二はそう言って消息を絶った。 私は怖かった。 生活力のない桜二がどこでどうやって生きているのか。 心配で心配で仕方なかった。 大袈裟かもしれないけど私は探偵に頼んで桜二の居場所を探してもらった。 事実を知って驚いた。 なんと桜二は大学の同級生と結婚し婿養子になっていたのだ。 地元でも有名な和菓子店を運営する会社の令嬢、藤川(ふじかわ)麗奈(れな)と。 桜二が他の女と結婚しただなんて信じることが出来なかった。 もしかしたら何か脅されているのでは? 事故あって記憶喪失で私を忘れてしまったの? この時はまだ桜二を愛していたからこんな平和な想像しかできなかった。 桜二を助けないと、という頓珍漢な正義感で私は藤川宅に乗り込んでいった。 お屋敷のような豪邸だった。 大きな門構えがあり中には入れない。 私は話をするためにインターフォンを押した。 「はぁい。どちら様?」 間延びした若い女性の声が聞こえた。 これがあの令嬢なのだろうか。 私の拳に力が入った。 「私は杉本千春と申します。 こちらに霧島桜二さんいますよね。 彼に話があるんです。 会わせて下さい 「…………」 返答がなかった。 私は訝し気にインターフォンを覗く。 耳を澄ますと遠くの方で男女の声が聞こえていた。 「……めんどう  ……追い返して  ……なんで俺がっ……」 切れ切れの音声だけど、険悪な雰囲気が伝わってきた。 何を言い争っているのか。 私が来たのにどうして桜二は嫌がっているのか……。 でも私だって馬鹿じゃない。 徐々に自分の勘違いに気づき始めていた。 「千春? なんでここがわかったの?  なんでわざわざ来るの?」 桜二のこの一言で決定的だった。 桜二はこの女と結婚するために私の家を出たということが。 ということは、私は……。 「……桜二、どういうこと?  落ち着いたら連絡くれる約束でしょう?」 動揺して私の声が小さく震えていた。 「この状況で本気でそんなこと言っているの?  すまないけど俺はもう結婚している。 話すことは何もない。帰ってくれ」 私のことなんてどうでもいいような言い方。 ショックを受けたくなければ深追いするなと、頭の片隅で説得する自分もいる。 でもこの十数年間の思い出たちがそんな簡単に引き下がることを拒否した。 「待って! きちんと姿を見せてよ! インターフォン越しなんてあんまりだわ!」 「……わかった。待ってて」 大きな重厚な扉が開き、中から桜二が現れた。 そしてその真横には、これまた長身の女性が一緒だった。 これが妻の藤川麗奈だった。 食事を作っているとは思えない長いネイル、不必要に輝く装飾品。 彼女の服装は身体のラインがくっきりと出るカットソーの上に、わざわざVラインの胸元。 私が最も嫌いな、女と金を強調する下品女だった。 麗奈は私に見せつけるかのように、桜二の腕に絡みついていた。 門を開けることなく麗奈がしゃべりだした。 「過去に何があったかは知らないけど、 こういうのやめてくださる?  すっごく迷惑なの」 そう言って眉を寄せて私を睨みつけてきた。 私も負けじと睨み返す。 「桜二と突然連絡が取れなくなったんです。 誰だって心配になります。 桜二の身に何があったのかって! 「そう、でももう理解したわよね?」 藤川麗奈はそういうと桜二の二の腕に自分の顔をぴったりと寄せた。 私に見せつけるために。 私の拳にさらに力がこもる。 「私は桜二の口から聞きたいんですっ! あなたは黙っていて!」 こんな女の挑発に乗ってはいけないと頭ではわかっていても、今にも爆発しそうな感情を押し殺すので精一杯だった。   「往生際の悪い女ね。 あのね、桜二は自分の意志で私を選んで結婚したのよ。 私は一度だって、あなたと別れてなんて頼んだことはないわ」 「嘘よ……」 「名家と名声持ちがお互いのために結婚するのはよくあること。 で、何も持たない奴が簡単に捨てられるのもよくあること、でしょ?」 そう言って鼻をフフンと鳴らした。 見てくれは綺麗にしているけど、心の中はギトギトに汚い女だ。 どうか嘘だと言ってほしい。 桜二がこんな女を選ぶなんて。 作家になる夢を諦めてでも手にしたい女ではないわよね? 「……桜二、あなたには夢があったわよね? もう諦めたの?」 私は小さく震える声で訊ねた。 「ごめん、千春……。 僕もこれで執筆活動に専念できるんだ。 わかってくれ」 「私だってあなたが執筆に集中できる環境を作ってあげたじゃないの!!」 「藤川はもっと素晴らし環境を僕に与えてくれたんだ。 自費で俺の本を出版してくれたり、執筆教室を開いてくれたり。 お前にこんな環境を準備できるか?」 あまりにも突拍子もない告白に私は言葉を失った。 自分の利益を天秤にかけたら、この女のほうが価値が高かったってこと? 息が詰まるような女と一緒にいて、桜二は平気なの? 桜二が別人に見えた。 今、目の前にいるのは本当に桜二なのだろうか。 そんなお膳立てで作家気分を味合わせてもらうことに何の価値があるというのだ。 「……できないわ。 どんなにお金があっても、あなたのためにもそんなことしない」 「藤川はそれができるんだよ。僕の願いを次々叶えてくれるんだ。 千春だって僕の立場だったら、きっとこうするさ」 「だとしても、せめて正直に言ってほしかったっ!!」 「言えるかよ。 俺はお前の執念が怖かった」 「執念?」 「ほら環境は整えた。 早く立派な小説を書け。 無言のプレッシャーが辛かった」 「自分の無能を棚上げして、結果が出なかったのを私のせいにするの?  その上感謝もなく消えて! 人でなしすぎるわ!」 「俺は最後にありがとうって伝えたぜ。 忘れてるのは千春だ」 「何それ……」 話が通じない。 いや、わざとそうされているんだ。 なんで桜二はこんなにも変わってしまったのか。 「ねえ、桜二。そんな女相手にしないて、もう家に入りましょう」 そう言って藤川麗奈が桜二の腕をグイグイ引っ張った。 桜二はこんな修羅場でも大きく表情を崩さずに私をじっと見ていた。 変わらずアンニュイな目元を見ると、かつて桜二にときめいていた自分を思い出す。 あの頃の桜二に戻ってほしい。 気づけば涙が流れていた。 仲良く鼻水まで垂れていた。 それを見た桜二が一瞬苦しそうな表情をする。 「……千春」 あの頃の気持ちを思い出してくれたのかと期待して私は微笑みかけた。 しかし、そうではなかった。 「もっと女らしくしろよ。  哀れだな、おまえ」 そう吐き捨てると、なんの余韻も残さず2人で仲良く腕組み家に帰っていった。 とどめを刺された。 最後の最後に容姿をバカにしてくるなんて。 着の身着のまま上下スウェットなのも、うっすら染み出す肌のシミがそのままなのも、桜二が心配で駆けつけたからじゃないの!! 藤川麗奈と私はお金の使い方が違うだけだ。 私は身なりに散財するのは価値がないって思っているだけ。 私がおしゃれを知らないわけじゃない。 貧しいわけでもない。 あなたは知らない。 私はきちんと蓄えだってもっている。 いつか必要な時に使えるようにってね! ああああっっ、可愛さ余って憎さ無限大っっ!! 私、絶対に、桜二を許さない!! ♦︎ ♦︎ ♦︎ それから私は風俗で働いていた。 こんな世界に自分の身を置くことになると、誰が想像出来ただろう。 それ程私の復讐心は深かった。 この世界にいる目的は2つ。 復讐の為の資金作りと、黒社会と繋がりが持つことだった。 窓のない地下室。 あんなことがなければ一生かかわることはなかった世界。 目の前にはいかにも黒い仕事請負人といった風貌の男が座っている。 「200万でこの依頼内容でいいのか?」 「ええ、上手くいったら追加200万でどうかしら」 風俗で色んな人間に出会った私は度胸がついていた。 こんな依頼も堂々を一人で出来るようになっていた。 「姉ちゃんよぉ、大金はたいてるのに殺しはするなってどういうことだ」 男は訝し気な顔つきで私に訊ねた。 「絶対に彼は殺さないでほしい。 殺したら減額するわよ」 男は頭をひねる。 「まだ愛しるってことか?  気持ちが残ってんだったら、こんなことやめておいた方がいいぜ」 「違うってば。 憎いから絶対に殺さないでほしいのっ。 彼は作家風情の貧弱男なの。 難しくはないでしょう?」 長年汚い仕事をしてきたであろう男のどんよりとした眼が私をじっと見つめる。 そしてフッと小さく笑った。 「なるほどな、おめぇ恐ろし女だな。 そうとう憎まれてんだな、そいつは 「そう、殺してやりたいくらいにね」 私は桜二に復讐できるなら黒い世界とも簡単につながることができた。 ある日、私は朝食をとりながらニュースを見ていた。 『散歩中の男性が見知らぬ男2人に因縁をつけられ暴行されました。 被害に遭った男性は重症です。 男たちはその場から逃走し、現在も捕まっていません。 なお重症の男性ですが、命には別条はないということです』 私は驚きと嬉しさのあまりティーカップをひっくり返しそうになった。 すぐに席を立ちある人へ電話をかけた。 「うまくいったのね?」 『言われた通りに仕上げたぜ。完璧だ』 「ありがとう。約束通り追加で支払うからっ」 私は胸がジーンとして同時に清々しい気分になった。 これで風俗のバイトから足を洗える。 大方の復讐は済んだのだ。 あとは私がトドメを刺しに行くだけだ。 ♦   ♦   ♦ しばらくして、私はとある病院にいた。 3階ナースステーションの前まできて看護師たちが何やらこそこそ話しているのが耳に入った。 柱の影に立ち、側耳を立てる。 「藤川さんち、家族が引き取りたくないから施設を探して欲しいって言ってきてるの。 どうやら奥さんが離婚を考えているみたいよ」 「あー、あの奥さん派手だもんね。 旦那があんなことになったら簡単にポイしそう」 柱の陰でそれを聞いていた私は思わずほくそ笑む。 そして再び歩みを進めた。 「面会をお願いします」 「あっはい、そこの面会者リストにお名前をお書きくださいね」 看護師の1人が振り向いてそう伝えると、再び噂話に戻っていった。 病室に向かう途中に姿鏡があった。 私はその前で足を止め、全身を眺めた。 ふわっとした栗毛カールにつやつやの肌、上品にゆれるお気に入りのワンピースをチェックした。 「どの角度からも完璧に綺麗、ねっ」 私は気分よく病室のドアをノックした。 すると中から男の声がした。 「どうぞ」 「失礼します。桜二、元気だった?」 私はゆっくりと入室した。 「えっ誰?」 桜二には私が見ていなかった。 私はコツコツとハイヒールの音をならし桜二のベッドサイドに近づいた。 そうしてようやく桜二の視界に私が入った。 「千春⁉︎  どうしてここに?」 「お見舞いに来たわ」 ありったけの笑顔を桜ニに向けた。 突然の再会と私の変貌ぶりに、桜二が圧倒されているのがわかった。 「あ、ありがとう、雰囲気が変わったな。 ずいぶん綺麗になって……」 「大変ね。こんなことになって」 「心配してきてくれたのか?」 「どうなったのか知りたくて」 そう言って私はベッドの上に横たわる桜二の頭から足先までを目で流した。 桜二は少し居たたまれない表情になっていた。 そして申し訳なさそうに口を開いた。 「てっきり俺は恨まれているかと……」 よくみたら桜二の目じりに光るものがあった。 でも私はそれを表情を変えずに見つめた。 「恨んでいるよ」 「えっ?」 「ねえ、桜二。 お花を持ってきたの。 受け取ってくれる?」 「あ……、ごめん。 嬉しんだけど……その、」 桜二は言葉を濁した。 「受け取ってくれないの?」 私はわかっているのにわざと彼に言葉を促した。 「実は俺……、 あの事件で首の骨を折られて…… 首から下が動かないんだ」 そう言って桜二はアンニュイな目を伏せた。 「まあ、そうだったの。 それじゃ、お花は受け取れないわね。 サイドテーブルに置いておくわ」 私は驚きもせず白々しくそう答えた。 桜二はあの日、私が雇った暴漢に襲われ、頚椎損傷で首から下が麻痺していたのだ。 動かせるのは顔の表情だけだった。 私はそっと桜二の手を握った。 「もう書けないのね」 眉を下げ悲しそうな表情を作ったけど、どうしても口の端が笑ってしまう。 桜二が何か怪しむ表情になった。 「千春……?」  私はワンピースを翻し窓の外の景色を眺めた。 「ねえ、桜二。 昔、一緒に占いに行ったよね? あの占い師、本当に霊視が出来るそうよ。 警察から未解決事件の捜査依頼を受けて、何件も解決してるんですって」 「そうなのか……。それがどうかしたのか?」 「覚えているかしら?  あの時、桜ニは85歳まで生きると言われた」 私はくるりと軽やかな髪を躍らせ桜二に振り返る。 そしてとびっきりの笑顔でこう言ってやった。 「首から下が動かないまま、あと50年も寝たきりなんて、大変ね!!」 桜二は今35歳。 占い通りにいけば85歳まで生きる桜二の余生は50年もある。 「……千春、おまえっ、何が言いたくてここに来たっ」 唯一、桜二の感情が出る表情からは私に対する怒りが見えた。 「さっき看護師たちが言ってたわよ。 奥さん、面会に来ないんですってね。 しかも離婚するから引き取り拒否されて、あなた行く当てがないそうじゃない」 奥歯を噛む桜二。 「千春、おまえ…おまえの仕業か?」 私はうんともすんとも言わず、桜二を見下ろしている。 「……千春、責任を取れ。 責任取って俺を殺せっ」 「絶対に嫌だ。 死にたきゃ、自分で窓から飛び降りたら?  あっ、そっか、それも出来ないのか」 私はとぼけるようにわざとらしく言った。 そして最高にさわやかな笑顔で桜二にエールを送る。 「残り50年、自殺も出来ない絶望の中でがんばってっ!」 「くっ……おまえっ」 「占い師も言っていたでしょう、絶望の中から自伝を書けばいいって。 きっと大作ができるわよ。 何年かかってもいいじゃない。 あなたは大器晩成だものねっ」 桜二は唇を噛んでいる。 私は構わず続けた。 「そういればあの時言われたウロチョロしてる女って誰のことだったのかしらね?」 そう言って桜二を横目で見た。 悔しそうに眉を歪ませていた。 しかし目を閉じ何かをグッと飲み込むと桜二は苦し紛れにこういった。 「ちは……るっ、俺が悪かった。 許してくれっ。 お前には本当に感謝していた。 藤川との結婚は気の迷いだった。 本当に愛しているのは千春、おまえなんだっ」 桜二からこんな情を絆すようなことを言われたのは初めてだった。 少女漫画にでてくる王子がヒロインに告白しているみたい。 心を打たれたように、私は切ない顔になった。 「ありがとう。 でも桜二に言われたあの言葉、そのままそっくり返すわ」 私はゆっくりと桜二に近づく。 そしてかつて愛した王子の顔を穏やかな気持ちで眺める。 「あんたって哀れね」 そう言ってワンピースとカールの髪を揺らし病室を出ていった。     -復讐、完ー
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