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泥棒の見る夢は
俺は今、夢を見ているー。
いくら声をかけても、あの人が振り向くことはないー。
遂に、やってやった。
前からずっと考えていた事。それは駄目だと抑えていた事。
それを遂に、実行に移した。
家主の一日の動向、警備員の動き、屋内の間取り、全てを知り尽くしている自分に、それは余りにも容易な事だった。
「ご近所の加藤さん家、ほら宝飾店の。泥棒に入られたんですって。家宝が盗られたって奥さん大騒ぎよ。」
怖いわね〜。と話す声が聞こえ、ドキリとした。しかし、こちらに気づいていない事がわかり、胸を撫で下ろす。
気づかれる前に一気に階段を駆け下り、人目の付かない裏の窓から外へ出る。この時間、この通りに殆ど人がいない事も調査済みだ。
すぐにでも盗んだコイツを隠さなければならない。
場所はもう、決まっている。ずっと以前から思い描いていた計画なのだから。
これまで抑えてきたことが嘘のように、何の迷いも無かった。
隠し場所へ移動し、地面を掘る。自身の荒い息遣いと、ドクドクとなる心臓の音だけが聞こえた。歯を剥き出しにし、唾液が垂れる事も厭わず一心不乱に地面を掘った。
そして改めて、あの女から奪った物を見やる。キラキラとした赤い丸型の箱。一体何が入っているのか、頑丈に閉められ、ビクともしない。しかし、開けやすいようにか、白い棒が付いていた。振ればガラガラと音がなる。
ーこんな物が『宝物』とはー。
何が入っているかはわからないが、恐らく宝石の様な硬い物だろう。俺からしたら、こんな物は玩具も同然だ。
だが、そんな事は関係ない。俺はただ、あの女の大切な物を奪ってやりたかった。
赤い箱を乱暴に穴へ放り込み、ガランと音を出したそれを、埋めた。
遂にやった。やってやった。
これが良いことだとは思わない。だが自分には、その権利があるはずだ。
ーあの女に、大切な人を奪われた自分にはー
荒い息を整え、土にまみれた足をみる。
あの人が見たら怒るだろうか。それとも呆れるだろうか。
どちらでも良い。また昔みたいに笑いかけてほしい。
埋めた穴の上に身を伏せ、小さく、ないた。
「やっぱり、ここに隠してたのね。」
その声に、ドクリと心臓がなった。
「あなたの仕業だと思ったわ、大和。」
ふぅ、という溜息が聞こえた。
振り返る事も出来ず、その場に伏せたまま凍りついた。すると、
「こーんな所にいたのか〜。」
この場にそぐわない、呑気な男の声がした。
警備員の声だ。
「よくわかったなぁ。」
「カメラをつけてたからね。」
カメラという言葉に驚き、振り返る。そんな物、ついこの間までは無かった筈だ。
こちらの思いをよそに、二人はスマホの画面を夢中で見ている。そして、ほら、と自分にも画面を見せた。そこには、赤い箱を奪い、窓から外へ出る自分自身がハッキリと写っていた。
「まさか、夢の為に付けた安全カメラがこんな形で役にたつとはね。」
その言葉に、またか、と思った。
ここ数日で何回その言葉を聞いただろう。
夢の為にベットを置こう、夢の為に玩具を置こう、夢の為に、夢の為に、夢の為にー。
夢ー。俺から大切な人を奪った女。
夢の為に俺の居場所は狭くなり、隔離され、相手にされなくなっていった。
これまで、毎日お散歩に連れて行ってくれた俺のご主人。毎日笑顔で話しかけ、遊んでくれた大切なご主人。
しかし今はもう、散歩も遊びもしてくれなくなった。毎日夢の事ばかり見ている。
そして遂には、これまで室内にあった寝床をも取られ、外に追い出されたのだ。
それもこれも、全てあの女、夢が来たせいだ。
自分の居場所も大切なご主人も奪われた。それならば、俺にだって夢の大切な物を奪う権利があるはずだ。夢が肌見離さず持っている、この赤い箱を。
だがそれも、失敗に終わった。夢のせいで。
もう、自分は捨てられるのだろうか。
自然と耳も尻尾も垂れる。
しかし彼女、俺のご主人はー、
「ごめんね、大和」
そう言いながら、いつものように頭をなで、耳の後ろを優しくかいてくれた。
驚いて彼女を見上げると、少し困った様に
「寂しい思いをさせてたよね。」
と言った。そして、夢はまだ産まれたばかりで、俺と一緒にはいられないこと。
ご主人は産後すぐの為に散歩ができない事を説明してくれた。そして、
「夢の事、守ってあげて。大和はお兄さんになったのよ。」
と、優しく笑った。久しぶりに見た、ご主人の笑顔だった。
正直、話の半分も理解できなかったが、どうでも良かった。彼女が笑ってくれたから。
ほんの少し、照れくさくて俯いた。
ただ尻尾だけは、嘘をつけず左右に揺れた。
「それにしても、まさかうちの裏庭に隠してるとはな〜。」
と、警備員が呑気に言った。
確かにそうだ。カメラで窓から外にでた事はわかっても、裏庭までは特定できないはず。しかし彼女は当然の事の様に答えた。
「大和が物を隠す時は、いつもここだもの。」
…バレていたのか…。道理で隠したはずの物が度々無くなっていくわけだ…。高級ジャーキーの入った袋とか。
警備員が、よく知ってるなぁ、と感心すると、
「あんたねぇ、自宅警備員なんだから、そのくらい気づきなさいよ。」
「…育児休暇中の夫をニートみたいに言わないでくれ…」
と、警備員は反論したが、
「そういうことは、夜中に夢が起きた時に一度でも気づいてから言って。」
と、一蹴されていた。
まぁ、俺には関係のない話だ。
「それに、このくらい当然よ。大和の飼い主だもの。」
ね、とこちらに微笑む彼女を見て、少しは夢を守ってやるかと思った。それで彼女が喜ぶのなら。
それに、俺がアイツの兄貴というのも悪くない。
俺は意気揚々と、隠した赤い箱を取り出し、家に戻る道を歩いた。
赤い箱は、オモチャの様にガラガラと鳴っていた。
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