第五話 紫龍の物思い

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第五話 紫龍の物思い

◇  ◇  ◇ 「結婚したその翌日に、もう夜離だなんて、 いくら男の花嫁とはいえ、お気の毒だわ」 そういって侍女たちが しんみりとした視線を紫龍に向けた。 (その視線、なんだか居た堪れないんですけど) 紫龍はうんざりとした表情で庭を見つめた。 切り取られた空間の中ではあるが、 春を迎えて花々が美しく咲き競っている。 東洋の趣を好む紫龍の故郷、 アストレアを思い出せるようにとの心遣いから、 紫龍の暮らす離宮の庭にも和花が植えられてあった。 中央に染井吉野が儚げに花弁を散らし、 その根元には里山を模して菜の花が配されていた。 紫龍は花の香りに誘われて、庭へと降り立った。 染井吉野に背をもたせ掛け、何げなく翳した掌に、 ひとひらの花弁が舞い降りた。 そしてふと見上げた空の色に、 紫龍は一瞬、苛っとした。 (あんの馬鹿は一体どういうつもりなんだ!) 男同士の婚姻に対して、 最初に予防線を張ったのは、クラウドの方だった。 しかしその予防線をあっさりと越えてきたのもまた、 クラウドの方だった。 下腹部に押し当てられた生々しい感覚を思い出すと、 今更ながらに紫龍の蟀谷に怒りの青筋が走るのだが、 しかしそれから一週間というもの、 クラウドが紫龍の元を訪れることはなかった。 それは紫龍を複雑な気持ちにさせた。 正直ほっとする気持ちが半分と、 この政略結婚への白けたバカバカしさが半分だ。 紫龍はいつもの洋装とは異なり、 アストレアの正装である袍に身を包んでいる。 袍といっても紫龍の着ているそれは日本古来の直衣とは異なり、 どちらかというと中華風の装いに近い。 白絹の地に金糸で豪奢な鳳凰が縫い取られた袍を 見事に着こなした紫龍に、侍女たちは知らず秋波の溜息を吐く。 「それにしてもなんてお美しい方なのかしら」 「一人寝の無聊をお慰めして差し上げたいわ」 「あんたじゃ無理よ。ずうずうしい」 そんなことを言って、互いに喧嘩を始める侍女たちに、 紫龍はやれやれと溜息を吐いた。 そして袍の片袖を脱ぎ、 日課となりつつある剣の稽古に勤しむ。 紫龍がこの国に入ったころには満開だった桜は、 だいぶ散ってすっかり葉桜になってしまっていた。 それでも、過ぎ去っていく春を惜しむかのように、 ひらひらと桜の花弁が風に舞っている。 紫龍は軽く目を閉じて呼吸を整えると、 気を練って一気に剣を繰出した。 宙に舞う桜の花弁が更に小さく切り刻まれて、悲しげに地面に落ちた。 (なんか虚しい)  剣を握りしめて、ふと紫龍はそう思った。 体のいい人質。 それが政略結婚であるということは重々承知している。 国家間の和平のために、ということを頭では理解しているつもりでも、 実際にそんな環境に身を置いていると、 なんだか自分が毎日少しずつ死んでいくような気がしてならないのだ。 政略結婚で、しかも同性なのだから、 紫龍を避けるクラウドの気持ちもわからなくはない。 しかし知り合いのいない不慣れなこの地において、 せめて友としてでもクラウドと情を通わせることができれば、こ こでの暮らしもまた違ったものになるのではないか、とも思う。 (寂しいのだ、自分は) ふとそんな感傷が沸き起こって、紫龍は自嘲した。 刹那、侍女の声がした。 「紫龍さま、クラウド様からお花が届きました」 離宮にその姿を見せることがなくても、 クラウドからは、毎日律儀に花が届く。 「まあ、早咲きの芍薬ですわ。なんと見事な」  それが形式上の愛情であることは解かっている。 そしてクラウドに夜這われても、 紫龍にはそれに応えることができないということも立証済みだ。 それでも紫龍は、贈られた芍薬に顔を埋めた。 青磁の小さな鉢に植えられた濃い紅の芍薬が、 健気に空に向かって咲いていた。 「美しいもんだな」 小さく呟いた紫龍に、侍女たちが互いに顔を見合わせた。 (俺も、この芍薬に負けないようにちゃんと生きなきゃな。 環境がどうの、相手がどうのと文句垂れてても、はじまらねえ。 たとえ窮屈な環境の中であっても、 俺は俺らしくちゃんと背筋伸ばして生きなきゃな) 紫龍は空に手を翳して、大きく伸びをした。 そのとき一人の侍女が庭に降りて、紫龍にお辞儀をした。 「紫龍様、王妃様への謁見が許可されましたので、 至急お部屋に戻ってお支度をされますように」 ◇  ◇  ◇ 謁見の間に通された紫龍の顔を、 王妃が深い眼差しでじっと見つめた。 「どうやらあなたはまだ、 クラウドに心を開いてはくれていないようね」 クラウドの夜離れの件を聞き及んでの発言なのであろうが、 紫龍にとっては少々不本意である。 王妃の言葉に、紫龍は顔を上げた。 (つうか、心を開いていないのは、 てめぇの息子のほうじゃねえのか?) そんなツッコミも、嫁という立場である以上、 紫龍はのみこまざる負えない。 「政略結婚で、しかもご覧の通り俺は男です。 普通のカップルのようにはいきません」 そういって紫龍は愁傷気に下を向いた。 「ですがあなたは……」 そんな紫龍に王妃は躊躇うように言葉を切った。 「なんですか?」 紫龍が真っ直ぐに王妃を見据えると、 その一途な視線に応えるように、王妃は口を開いた。 「あなたは龍の一族の血を引いているのでしょう?」
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