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5
運河沿いの道を歩く。
潮風が心地よい。
心がざわついたときは海を見るのがいいなんて言う人もいるけれど、俺にはよくわからない。
夏休みには祭りで賑やかになる道も、まだ観光客向けの看板が並ぶ程度だ。
シーズン外れの観光地は微妙な寂しさを漂わせているように思える。けれどもその風景が嫌いではない。
子供の頃、海が見える公園でよく遊んでいた。
公園でおやつを食べようとすると海鳥に横取りされることもあったなと懐かしい気持ちになる。
下校時間からずっと遊んでいるのだろう。ランドセルをベンチに置いて公園を駆け回っている子供達が目に入った。
俺にもあんな時期があったな。
足の悪い朔に自分の荷物を持たせるやつらがいた。
ただでさえ歩くのが大変だろうに、前も後ろも両手にも重い教科書の入ったランドセル。
あの頃はまだ置き勉推奨なんてされていなくて、教科書は毎日持ち歩かなくてはいけなかった。
あんなの、一種の虐待だ。
普通にランドセルを背負うだけでもその重さなのに、朔はいじめっ子達の分まで背負わされていた。細くて貧弱な体で。
見ていて気分が悪かった。
だから朔からランドセルを奪い取って、元の持ち主へ放り投げてぶつけた。
その後取っ組み合いの喧嘩をして、それを見た朔が困り果ててじいちゃんを呼んだ。
全員がっつし怒られた。けれどもじいちゃんは最後に俺だけ呼び出して「ありがとう」と言ってくれた。
たぶんそれからだ。
学校で朔が時々話しかけてくるようになって、下校時間にじいちゃんと会って……なんとなく朔の家に遊びに行ったりすることが増えた。
じいちゃんの職人技を何度も見せてもらったことがある。物作りがすごいってことはよくわかったけれど、朔みたいに自分もそれをやりたいという気にはならなかった。
俺は生き物が好きだ。海の生き物や爬虫類が特に。
きっかけがなんだったかは忘れてしまった。
たぶん山に入った時に脱皮した蛇をみかけただとかそんな理由だ。蛇の皮は特別な物に感じられた。
変身。
生まれ変わるだとかそんな感覚。爬虫類にはそう言った神秘的な魅力がある。
恐れられるのはみんなその生き物について知らないからだ。ちゃんと知っていけば、世間が想像するほどの危険生物ではないと理解出来るだろう。そもそもペットとして飼育できる程度の生き物がそこまで危険なはずがない。正しい知識と正しい管理さえできれば殺人蛇なんて生まれたりはしないのだ。
たぶん将来の不安なんかもそれと似た感覚だろう。
なにが起こるかわからないから怖い。
自分の向かおうとしている方向は本当に正しいのだろうかだとか、その選択に後悔はないかだとか。
好きなことだけ続けられたらそれが理想だ。けれども理想というのは大きなリスクがある。
もし好きなことでぽっきり折れてしまったら? その先になにが残る?
好きなことをずっと好きでいられるのは才能だ。きっと俺にはその類いの才能も他の全てを犠牲にして打ち込むだけの覚悟も情熱もない。
だから、無難な決断でいい。
この道を歩く度に、朔と過ごした日々を思い出す。
足が悪い癖に杖を忘れて歩いていたこと。こっそりソフトクリームを買い食いしたこと。観光客に道を訊ねられ、外国語に困惑していたら、朔が流暢な外国語で案内をして驚いたこと。
出会った時は考えもしなかった程、長い時間を一緒に過ごした。
けれども、人生の中で一緒に過ごす時間はきっと今年が最後だろう。
朔は音楽の道に行く。それは揺るぎない事実だろう。かといってそれを追いかけることなんて出来ない。俺には俺の、朔には朔の人生がある。
きっぱり諦めるためにも、離れた方がいい。
東京に行けば俺みたいな人間も多少目立たなくなるだろうか。
きっと人の多いところに行けば、ゲイも珍しくなくなる。
そうしたら、もう少し楽な生き方を出来るのだろうか。
今の俺は所謂クローゼット状態だ。
自分を曝け出すことを恐れて、内に籠もっている。
いつまでも隠しておくことはできないだろう。そう思っても、まだ母さんにすらカミングアウトする勇気はない。
失望されたくない。
一応それなりに両親には愛されて生きてきた自覚がある。
だめな息子でごめん。せめて人並みに就職して親孝行くらいは出来るようになりたい。
でも、孫は諦めて欲しい。
身勝手だとは思っている。けれども、たとえゲイでなかったとしても俺みたいなタイプは結婚出来ないと思う。よほど大金持ちにならない限り。
残念だけど今から成金を目指すのも難しそうだ。たぶん商才はない。リスクに挑むだけの度胸もない。
母さんが俺を褒めるときは大抵「優しい子」なんて無難な言葉で、時々「生物が得意」が付く。
勇敢や美形とかいう世の中で求められる、つまり女子ウケしそうな要素がない。
父さんはときどきしみじみと「母さんに似て色白だなぁ」と口にするけれど、それもあまり美点には思えない。むしろ、この外見ならひきこもりだから色白だと思われそうだ。一応外には出ている。
色白と言えば朔も色白だ。色白で細っこくて風が吹けば倒れてしまいそう。
けれどもあいつは美形だから女にモテる。共通点は色白ぐらいだ。
オタクはオタクでも爬虫類は気持ち悪い、弦楽器はかっこいいになってしまうのだから世の中は不平等だ。いや、朔と趣味を交換したって朔ならミステリアスなイケメン、俺はデブの癖に生意気と言われるに決まっている。
結局顔が全てだ。
そう思うと溜息が出る。
俺だって多少は体型を気にしている。太っていると就職に不利だとか、それ以前に受験面接で試験官に不快感を与えないかだとか考えてしまう。
生まれつき太りやすい体質だ。それに加え、料理好きの母さんは食べさせることが大好きで、父さんもころころしている方がかわいいと言ってしまう。
母さんはやや肥満気味。たぶん体質も母さんに似た。父さんはどんなに食べても細い。母さんの手料理を俺の倍は食べているというのに、結婚前から体型が変わっていないだなんて世の中本当に不公平だ。
一人で歩くと毎度こうだ。ぐるぐると余計なことばかり考えてしまう。
顔面に強い風が吹く。
暗い思考を天狗に窘められたような気がした。
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