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6
相変わらず朔はいつも通りで、俺はまだ進路を濁している。
昼飯の弁当がやや豪華になっているのは母さんが俺を励ますつもりなのだろう。とても元気がないと思われてしまっている。
ちょっとエイミーが食欲不振になっているのが心配なだけだと言ったのに、信じてくれなかったらしい。
「昨日うっかりマリアさんを譜面台にぶつけちゃってニスが剥げちゃったんだ」
相変わらすチョコチップメロンパンに紙パックのココアという成長期の男子とは思えない昼食を持って来た朔が、当たり前のように俺の席に椅子を置く。
悲しそうな様子で悲劇だと言われても、自分で直せるのだからいいだろうとしか思わない。
けれども楽器を大切に扱う朔にしては珍しいなと感じた。
「転んだの?」
足が悪いから不安定になるときもあるのだろうと思ったが、朔は首を振る。
「ううん。座って練習してたから。でもなんかぼーっとしちゃって、うっかりぶつけちゃった」
ぼーっとしているのはいつものことだからあまり気にはならなかった。
「塗り直したばっかりだったのに」
「また塗ればいいだろ」
「そうだけど……アリスさんに浮気するのはちょっとマリアさんに申し訳ない気がして」
楽器全部に女性の名前をつけているのだろうか。
驚くと言うより呆れてしまう。
「楽器に女性の名前ばっかりつけてるの?」
「うん? なんとなく女性かなって思ったら女性の名前で、男性かなって思ったら男性の名前だな? こないだじいちゃんとはじめて作ったチェロはトニオさんだよ。チェロは弾かないからお店に置いて、弾きたい人に弾いて貰うことにしたんだ」
嬉しそうに語るのは、じいちゃんに腕を認められてきたからだろうか。
「そうだ、きーちゃん、今日の放課後空いてる?」
「その呼び方やめろって」
「あ、ごめんなさい」
朔は叱られた子犬のような表情を見せる。
別に朔がそう呼ぶのはいつものことで、何度注意したって直らないから諦めてはいるけれど、やっぱり形だけでも拒絶しておくべきだろうと思った。
それにしてもわざわざ放課後の用事を確認するなんて、当番を押しつけようとでもしているのだろうか。
「空いてるかは内容次第だな」
そう言うと、朔は少しだけ恥ずかしそうな表情を見せた。
彼にしては珍しいもじもじ感。
「えっとね、きよしに見てほしいものがあるんだ」
これはたぶん、新作の楽器。なにかものすごく気に入った出来なのだろう。
けれど俺には楽器の善し悪しなんてわからない。
かといって朔の誘いを断ることも出来ない。
「……ペットショップに寄って冷凍マウスを受け取ってからでもよかったら」
「うん。じいちゃんも喜ぶよ」
嬉しそうに笑う姿にどきりとする。本当に子供の頃から変わらない表情だ。
あのいじめられっ子だった朔が今じゃ人気者で、体だけでかかった俺は今じゃカーストの下層だ。
そう思うと、じいちゃんに会うのがなんだか気まずくなってしまう。
じいちゃんは間違いなく歓迎してくれる。見た目も性格も穏やかな人で、仕事が丁寧。わざわざ遠方から客が来るのはそういう人柄も大きいのだろうと思わせるような人物で、ブレない軸を持った職人。
小さい頃から俺もかわいがってもらっているからこそ、近頃会いに行っていない。
なんとなく、今の自分を見せることを恥じている。
いや、きっと俺は恐れているんだ。じいちゃんの、なんでも見透かしてしまいそうな職人の目が、あなたの孫をふしだらな目で見ていることに気づいてしまうのではないかと。
軽蔑されたくない。
あの人には幼い頃から自分を慕っている孫の友人だと認識されていたい。
気が重い。
けれども、もう行くと返事をしてしまった。
それを誤魔化すように半分に割ったハンバーグを弁当の蓋に乗せ、朔に差し出した。
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