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Prologue. 教会の夜
牧師クロエ・マクダーモットは自らの信じるものと自らの愛する者の狭間にぎゅうぎゅうに押し込められていた。何度も自問をしていて、それでも結論が出ない問題だった。
「それでも、死人は蘇ってはならないのです」
クロエの教義はそのように告げる。
神々が最終戦争で悪を打倒した時、最後の審判に備えて全ての死者は蘇り、永遠の命を与えられる者と地獄に堕ちる者を分け隔てる。その時には罪を行った魂と体の双方が必要なのだ。
死後に体が不自然に変質してしまえば審判が受けられない。天国への道は閉ざされてしまう。それを防ぐ為にはその者の死は静謐に保たれなければならない。これ以上の劣化がもたらされないためには、その動きの源となる心臓を止めるしかない。そして時間が無限にあるとも思えなかった。
「ちゃんと死んで、全ての祝福とともに再び天国で巡り会いましょう」
「先生、わいは先生のおっしゃることはようわからんけん、先生の思う通りにして下さんせ」
クロエはその言葉に天でも落ちたかのような悲壮な表情を浮かべ、教会の冷たい寝台に大人しく横たわる勝矢滿四郎の胸に木杭を当てた。そしてひと想いにハンマーをその上に振り下ろそうとして、逡巡した。何故ならその木杭を支える左拳の小指側の側面、つまり滿四郎の胸に接した部分で、確かに心臓がトクリと波打つ振動を感じたからだ。
これは何なのだ。何故死んでいるのに心臓が動いている。やはり生きているのか。
いや、死んでいることは間違いない。けれどもこれは。
改めて滿四郎の首元を眺めると、土気色はしているものの、死人にしては僅かに上気し、何だかやはり、生きているように思われたのだ。けれども同時に、その手の側面が接する肌は泥土のように冷たかった。
「先生。わいも死んだら先生にまた会いたいんや」
クロエがその声に釣られ、見ないようにしていた滿四郎の顔に目を向ければ、滿四郎は戸惑い気味に僅かに微笑んでいた。いつも通りの人懐っこい微笑みだ。滿四郎はクロエのような西洋人と較べると小柄で、子どものようにしか思われない。その美しいつややかな黒色の短髪と月明かりを反射して優しさを満たす黒い瞳は、クロエにとっては悪しきものどころか罪穢れがないかのように見えるのだ。
けれども滿四郎は確かに死んでいた。
それは滿四郎を初めて掘り起こしてから今まで、ずっと疑いえない事実だ。生きているはずがない。何故なら死体として発見された時、滿四郎の首は、確かに体から切断されていたのだから。そしてそれを哀れに思って縫い合わせたのもクロエ自身である。一度首が体から離れた者が生きているはずがない。
クロエの教義では、悪しき者が死体に入って動かしているだけなのだ。けれどもその入った魂はもはや、クロエにとって悪しき者とは思えなかった。
改めてハンマーを持っていて手でその頬に触れても冷たいままで、生きているとは思われぬ。けれどもその愛嬌のある暖かな表情は不思議そうにクロエを眺めあげている。生きているのと何が違うというのだろう。
クロエはふうと一つ息を吐き、ハンマーを手放す。
クロエにはそれ以前の問題が横たわっていることも認識している。滿四郎は洗礼は受けてい入るが、神や神の子を信じていないのかもしれない。それならばそもそも天国には行けないのかもしれない。それであれば死して後、会うことなどできない。それであれば一層のこと、エルリングの言に従ってこの教義を捨ててしまおうか。そうすれば永劫に煉獄で焼かれる未来が待っている。そうすれば終末で滿四郎と再び巡り会えるかもしれない。
それがちらりと浮かんだけれど、やはりその信仰というものはクロエの骨身に染みていた。
クロエと一緒に天国へ行く。そう純粋に信じている滿四郎に天国は訪れないかもしれないという事実。そう思うともはや腕は動かなかった。
「先生?」
「私にもこれでいいのかわかりません。だからもう少しだけ、様子を見ることにします」
「ええんですか?」
「最後の審判は今年来年の話ではないのでしょうから」
明治16年冬。
神津湾沖にある端照島本島協会の外では、真っ黒な世界に灯りを与えるように、ひたひたと雪が降り始めていた。
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