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「おい秀治、秀治ってば!」
振り向いた時、大我は明らかに狼狽していた。
僕に伸ばした手がピタリと動きを止める。
「本当に、どうしたんだよ」
その声が優しくて、どうしようもなく泣きたくなる。
どうしたもこうしたもあるか。
自分だってよく分からないのだ。
分からないけど不安で焦ってどうしようもなくなってしまう。
こんなこと今まで一度たりともなかったのに。
自分自身のことなのに、この感情がなんなのか皆目検討もつきやしない。
大我は僕に歩み寄り、来た時と同じように僕の手を取る。店のすぐ横の細道に連れて行くと向き合うようにして立った。
表の陽射しから遮られた薄暗い小径に人影はない。
中程まで入ってしまえば表通りからの死角に入り、僕たちの姿は隠れてしまうだろう。
ここには僕と大我の二人だけ。
そう思うことでようやくまともに呼吸ができるような気がした。少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「…落ち着いたか?」
薄暗がりの中でも微かな光をうけて大我の金色の髪はキラキラとして綺麗だと思った。
そしてそう思ったと当時に大我との距離の近さが急に意識された。
狭い小径なので仕方ないのだが、そう意識するとまた心臓がうるさく鳴る。
本当に僕はどうかしてしまったんじゃないだろうかと眉を顰めると、不意に頬に熱を感じた。
それが自分の目から零れ落ちたものなのか、そっと拭ってくれた指のものなのかは分からなかった。
「ごめん、なんか気に触ることしたかな、俺」
僕はうまく言葉を出せずに首を振って否定を表そうとする。
「俺、嬉しくてさ、仲良くなりたかったんだ。欲張ったから、いけなかったのかもしんない。わりぃ。秀治と話すと楽しくてさ、つい一緒にいてえなって思っちまって。でも秀治は優しい奴だから、なんか思ってても言い出せなかったのかもしんないよな。気付くべきだった。ごめんな」
大我の言っていることは僕からすると的外れもいいところで、そんなことを言いながら綺麗に笑うこいつの顔がなんだか無性に憎らしく思った。だからつい、ぽこんとその胸を叩いた。
「違う。そうじゃない。勝手に結論つけて謝んな」
我ながら無茶苦茶だと思っている。
急に泣き出したかと思えば文句を言う。
めんどくさすぎてそんな自分が嫌になる。
でも、そんなめんどくささすら、大我は真正面から受け止めてくれた。
「だったら、なに?理由を聞かせて」
僕はどう伝えるべきなのだろう。
言葉を探す余裕など、なかった。
「自分でもわからない。でも、大我が杏子さんと話したり笑ったりする時、いつもとは違う雰囲気になって、僕の知らない大我がそこにいて、僕はそれが怖くて、嫌だった」
「うーん…」
大我はちょっと悩んだようにしながら、恥ずかしそうに頭をかいた。
「なんだよ」
「それはもしかして、嫉妬というやつでは?」
嫉妬…?
「どうして僕が」
「だから…あーいや、これ俺から言うとすごい俺が自意識過剰マンな感じになるから嫌なんだけど」
「いいから、話せよ」
えーと言って思い切り眉を寄せ、しばらく言葉を濁していたけれど、根負けしたのかついに大我は言葉にした。
「秀治、俺のこと好きなのでは?」
「は」
途端にぶわっと火がついたように顔が熱くなった。
「な…ななな何でそうなるんだよ!第一、僕たちは男同士でだな…!!」
こんな否定じゃむしろ肯定にしかなり得ないだろうに、僕は必死で、そんなことにすら気付かなかった。
「でも俺は、とっくに好きだったよ?」
「へ?」
「初めて声を掛けたあの日からずっと」
「は?」
混乱しきった頭では、は?とかへ?とかしか言葉が出てこなかった。
冗談だろうと思ったけれど、目の前に立つ大我の目が嘘ではないと物語っている。
状況が飲み込めない。
自分の置かれた立場が理解できなかった。
「僕は…」
なんて言えばいいのか分からないまま口にした言葉は、突然柔らかな熱に塞がれた。
両手を掴まれ、壁に軽く押されるような態勢で僕は大我にキスされた。
世界から音が消えたみたいに静かで、だけど自分の鼓動の音だけが馬鹿みたいにうるさい。
それはもう、はじめてのキスがどんな味だったかなんて、吹き飛んでしまうほどだった。
「信じられないって顔してたから。これで信じただろ?俺は本気だって」
ようやく唇が離れた時、大我にそう訊かれ、僕は呆けたようにこくんと頷いた。足から力が抜けて今にも崩れ落ちてしまいそうだ。大我はそんな僕を支えながら、赤面して目を逸らす。
「ったく、なんて顔してんだよ」
「え…?」
「お前は本当、無自覚でそれなんだもんな」
意味が分からなくて首を傾げると、大我は僕の目をまっすぐに見据えて言った。
「俺は秀治のことが好きだ。付き合いたいと思ってたし、こういうこともしたいってずっと思ってた。…返事は、すぐじゃなくていい。でも俺は本気だから、それをきちんと伝えたかった。先走ってキスして悪かったけどさ、これが今の俺の本音」
少しの間の後、先に口を開いたのは大我だった。
「俺、先に戻ってるよ。落ち着いたら戻ってきたらいい」
そう言って店の中に戻ろうとする大我の手を僕は無意識のうちに掴んで引き止めていた。
「?なに、秀治?」
まだ自分の中で答えがはっきりと出たわけじゃないのに、僕の体はいうことを聞かず、掴んだ大我の手をそのまま自分の方に引き寄せて、今度は自分から大我の唇にそっとキスをした。
重ねた唇の隙間から息が漏れると身体中が熱くなった。
「…やだ」
咄嗟に声に出てしまったのは紛れもない僕の本音だった。
理性が吹き飛んで抑制の効かない頭が叩き出した言葉。
大我は眉間に皺を寄せて僕を見た。
その顔を見て、僕はさらに余裕を無くしてしまう。
「一人で先に行かないで。置いてかないで。僕はまだ答えてない」
「でも」
僕はただ、認めたくなかっただけなんだ。
大我とキスをした瞬間にわかってしまった。
「僕は…僕だって…大我のことが好き…だから」
うまく言葉が出てこなくて随分と辿々しい口調になってしまう。それでもきちんと言わなければいけないことがある。
「付き合うって初めてで、どうするのかとか分かんないけど…でも、それでいいなら…僕は大我と…そうなりたい」
大我は僕が最後まで言い切るかどうかというところで急にぎゅっと強く抱きしめてきた。
「大我…?」
「好きだ。秀治、俺、どうしようもなくお前が好きだ」
僕もまた、大我の背中に腕をまわし、しがみつくように抱きしめた。
「秀治、俺の恋人になってください」
改めて耳元でそう言われて僕はまたバクバクと心臓が高鳴って、どぎまぎしながら頷いた。
こうして僕達の関係は友人から恋人に書き換わった。
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