待ち合わせ

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 すれ違いでスーパーに入って来た女性が、突然こちらに振り向いた。うわ、美人だ。田中の知り合い? 田中が美人と挨拶してる。あ、この美人、もしかして。 「すみません、帰りましょう」 「今の人、もしかして前にナンパされた人?」 「覚えてましたか。たまにスーパーとかコンビニで会うんですよ。ほら早くしないと雨ひどくなるから」  田中が傘をさしたので、俺は慌ててその中に入った。「傘、俺が持とうか」と言ってみたら、「俺の方が背が高い」と笑われた。言わなきゃ良かった。男二人で相合傘かよ。でも、あまり空しくはない。空しくはないが、今の美人が気になる。ナンパされたんだよな、でもそれっきりだよな。だけど挨拶とかしちゃうのか。 「ナンパされたのに、特に何もリアクションしないですれ違ってるんだな」 「は? 何ですか急に」 「田中さんあの美人にナンパされたんだよね? 付き合わなくていいの?」 「はあー? 意味わかんない。どうしてあの人と付き合わなきゃいけないんですか」 「いや、ナンパされたから」 「恋人いるからナンパされても関係ないです、俺は」 「恋人って誰?」 「今俺と相合傘してる人以外に誰がいますかね。いたら教えて」  そうだよな、いないよな。こいつの恋人って俺だよな。そういえば、付き合い始めてもう一ヶ月以上経った。中秋の明月の夜に声をかけられたのが、遥か昔のことのような。てことは、俺の恋人って田中なのか。やっぱり田中は俺の彼氏なのか。でも田中って狼男だぞ。同じ人間じゃないんだぞ。俺はいつもそのことで頭が一杯だった。助けてくれよ、LINE女。こういうぐるぐる思考の時はどうすればいいんだ。マジで何かご馳走するから、心が軽くなる秘訣教えてくれよ。  スーパーからアパートまではそれほどの距離はないのだが、どんどん強くなる雨脚に俺は憂鬱になってきた。スーツが濡れる。拭くのが面倒。俺は雨があまり好きじゃない。田中の部屋に辿り着いたら、田中がタオルを持ってきてくれた。申し訳ない。うわ、肩が結構濡れてる。買ってきたものを冷蔵庫に放り込むのを手伝う。ポカリの残量チェックをしたら、まだ半分ほどあった。つまり1リットルは飲める。 「ちょっと、服、着替えてくる」 「そうしてください。俺、飯作りますんで」 「ありがとうございます、すぐ来ます」  俺は自分の部屋に戻って、スーツからいつもの普段着に着替えた。スーツをハンガーにかけて、離れた場所にかける。明日は明日で別のスーツを着るから、これが濡れても大丈夫だけど。明日のネクタイどれにしようかな。まあいいや。ネクタイのことなんか、今は考えなくてもいい。スマホを持って部屋を出ようと靴をはきながら、ふともう一度さっきの田中のメールを開いてみる。 『山本さんのこと物凄く好きです。あなたのこと考えると気絶しそう。今すぐ抱きたい。仕事も手に付かない。上司に叱られました。さっきのメールで昇天。完全保存版。もう死んでも離さない』  玄関に突っ立ったままで軽く三回は繰り返して読んだ。なんだこのメール。上司に叱られたとか、俺のせいか。これ、田中の本心かな。本心だよな。  まただ、鼻の奥がツンとしてくる。我慢しろ、俺。メールを閉じて、玄関を出た。歩いて三歩で晩飯が食える。
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