如月 満月 月下の笛

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「……やはり、私の送った文字は、届いていたということですね」  クサブキさんが、うなずきながら、考え深げにつぶやく。  ナマケモノが、無事に木を登りきり、枝にぶら下がったことを見届けて、私たちはそれぞれの飲み物を口にして一息ついているところだった。  思った以上にスローな木登りで、もう今夜は、夜明けが近い。 「これで、アマネ殿と私が、同じ時間(とき)に生きているということが、はっきりしました」  その言葉に、何となく、私の胸は暖かくなる。 「この紙は、お返ししますか」 「……いや、ご迷惑でなければ、お持ちください。今回のように、ご相談できると、私としては、有難い。もうこれからは、火急の時以外は、(ふみ)を差し上げたりは致しませんから……」 「分かりました。でも、火急の時だけなんておっしゃらずに、動物たちの様子、教えてくれたら、うれしいです」  クサブキさんは、目元を緩めて頷いた。 「それはそうと……私からクサブキさんに、同じように連絡を取ることは、できないんでしょうか」  今回のことで、いざという時、一方からしか連絡できないのが、相当不便だということを思い知った。 「……難しいでしょうね」  クサブキさんはあっさりと言う。 「当然のことながら、術の心得がなければ、道具は扱えません」  それはそうか。残念だが、あきらめるしかなさそうだ。  クサブキさんは、私の手元の懐紙を眺める。 「その紙を作ったのは、あの当時、最強の力を持った術者でした。その後も、彼の方を超える者は、おそらく出て来てはおりますまい。(あやかし)も、術者も、時代が(くだ)るごとにその力は弱くなりつつあります」    決して悪いことでは、ないですが。クサブキさんは微笑む。 「クサブキさん、何のお仕事を、されていたんですか」  ごく軽い気持ちで聞いてしまったが、途端に固くなる彼の顔を見て、失敗した、と私は思った。  それでも律義に彼は口を開く。 「(あやかし)相手の、検非違使のようなものと言えば、良いでしょうか。……今となっては、笑い話ですが」  自分が(あやかし)になった身ですからね。  全然笑えないことを、冗談めかして彼は言い、すらりと立ち上がる。 「壁越しでも、今宵の月は、良いですね。(つたな)い手だが、一節、お聞かせしよう」  ふわりと浮き上がり、岩に座り片膝をつく。その手元には、いつの間にか横笛があった。  煌々と光る満月の下、白黒の世界を、寂し気な笛の音が満たしていく。  彼が鬼になる前に、一体何があったのだろう。いつかは、私はそれを知ることができるのだろうか。  毛皮に仰向けに横たわり、全身に月の光を浴びながら、彼の奏でる美しい音色に耳を傾け、私はぼんやりと考えていた。
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