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睦月 新月 邂逅
「珍しいな、ここに客人とは」
目の前の彼は柔和に微笑んでいる。
私は黙ってその顔を見つめていた。……正確には、言葉が出なかった。
ここに来るまでの流れは全く記憶にない。
気がつくとこの人物の前で立ち尽くしていた。
ただ分かるのは、ここが、私が普段暮らしている世界ではなさそうなこと、そして、目の前の人物が、ただものではなさそうなことだ。
これ、どうしたらいいんだろう。
私はぼんやり考える。
これまでの私の乏しい人生経験からは、この事態を切り抜ける正解を導くことは、まあ、無理だった。
「いずこからお見えになられた。壁を通ってこられたのかな」
彼の表情も、声も、変わらず柔和だったが、何となく、この問いかけには、適当に答えては、いけない気がした。
とはいえ、私にできることは、正直に答えることだけだ。
「……分かりません。ここに来るまでの記憶が、全く、ないのです」
「ほう」
口元に微笑みを張り付けたまま、彼の目がわずかに細まった。
怖い。
ここまでだいぶぼんやりしていたが、ここで私ははじめて、はっきりとそう思った。
だってこの人……角、生えてるし。
牙っぽいの、見えてるし。
どう考えても、悪魔とか鬼とか魔王とかその辺のお方ですよねわかります。
周りの景色も、こう言ってはなんだが、だいぶやばい。
木も、岩も、山も、見たことのあるような形をしているが、とにかくやばい。
初めは何なのか分からなかったが。
ちらりと見上げた、真っ白い空に浮かぶ黒い点々……夜空に浮かぶ星を見た時、私は理解した。
景色が全部、白黒逆転しているのだ。写真の、ネガのように。
「まあ、客人はもてなさなければならないでしょう」
にやり、というのが一番しっくりくる笑顔を浮かべた、目の前の人物だけは、私の知っている、普段通りの色をしていた。
「ようこそ、影の国へ」
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