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いつの間にか、私たちは、いつもの結界の内側に降り立っていた。
「お疲れに、なりましたか。生類どもを、ご覧に、なりますか」
いつもの優しい声音で、クサブキさんは私に尋ねる。
「クサブキさん」
私の声音に何かを感じたのか、彼の身体に微かに緊張が走った。
「教えてください。『贄を受け取る』とは、何をすることなのですか」
クサブキさんはしばらく固まって、言葉が出ない様子だった。
「そうですね……真っ向からお尋ねになられると、何ともお話ししづらいのですが。まあ、要するに、男女の仲になる、ということですね」
「それは、肉体的に、という意味ですか」
「……そうですね」
少し怪訝な表情で、クサブキさんは私を見つめる。
「……クサブキさん。私も、あなたのことが好きです」
今度こそ完全に、彼の表情は固まった。
「毎晩、お手紙を読むたび、あなたのことが、恋しいです。……でも、私は、この結界の中に留まることは、できません」
クサブキさんが目を閉じた。
その閉じられた瞼に、私は問いかける。
「それでも、私たちは、ともに在ることが、できるでしょうか」
目を開き、ゆっくりと歩み寄って来たクサブキさんの腕が、優しく私を抱きしめる。
彼の胸から響いてくる声を、私は陶然と聞いていた。
「あなたと過ごす、新月と満月の夜を糧に、私は残りの十といくばくかの夜を、ここで越えよう。幾年でも。あなたが、ここへ、来てくれるのなら」
私たちは、しばらく、身動きもできずにそうしていた。
曙の光が、白い夜空に黒い靄を広げ始める。
彼の腕の力が、強くなる。私は、彼の胸に頬を擦りつける。
そしてやがて、私の視界は、暗転した。
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