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「源君。私、……あなたが好きです」
彼の顔がはっきりと歪んだ。
私はうつむいて、涙をこらえる。
もしかしたら、今、私は、大切な何かを、取り返しがつかないくらい、ぐしゃぐしゃに壊してしまったのかもしれなかった。
「薫子」
その声は、やっぱりはっきりと、息苦しそうだった。
「ごめん。……少し、考えさせてくれ」
蝉の声が遠のき、私の目の前は、真っ暗になる。涙をこぼさずに、立っているのが、やっとだった。
それから3日後、いつものように、私の家で、隣に座って夕ご飯を食べた後、自分の家に来てほしい、と、源君は私に言った。
私はぎくりとして、それから、覚悟を決めて頷いた。
私の向かいに座っていた時夫さんが、微かに目を細めて、源君を見つめる。
源君は、はっきりと目を見開いて、その目を見返す。私はただ戸惑いながら、普通ではない二人の様子を見つめていた。
しばらくして、時夫さんが、軽くため息をついて、私に言った。
「……薫子。あまり、遅くなるなよ」
久しぶりに訪れた源君の家。ダイニングテーブルの私の前に、彼は以前と変わらない、湯気の立ったカップを置いて微笑んだ。
「ロイヤルミルクティー。……眠れなく、なっちゃうかな」
私がカフェインに弱いのを、彼は良く、知っている。
「ううん。……ありがとう」
落ち着かない思いで、私はカップに口をつけ、そして思わず息をつく。
「……おいしい」
いつかのように、ふ、と彼の笑い声がした。
「薫子。俺も、君が、好きだよ」
不意打ちのその言葉に、私は一瞬、理解が追いつかず押し黙る。
彼のきれいな瞳は、まっすぐに私を見つめている。
「俺は、本当は、人を好きになったりしてはいけない、人間だ」
ひどく苦しそうな彼の声。彼が何故そんなことを言うのか、私には全く、分からなかった。
「でも、……もう、戻れない。どうしても、……どうしても、好きなんだ」
彼の両手が、マグカップを持つ私の手を包み込む。
「それなら俺は、自分の力で、それに値する、人間になる」
私はただ、強い決意の光の瞬く、彼の美しい瞳を見つめる。
彼が何に苦しんでいるのか、私には分からなかった。ただ、私にくれた彼の言葉に、彼の気持ちに、嘘がないことだけは、はっきりと分かった。
いつか、彼が話してくれる時まで、私は黙って、彼のそばにいよう。
私は静かに、心に誓った。
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