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よく晴れた夏の日。
なくなった牛乳の紙パックを左右に振りながら、私は首を傾げた。なにか違和感があるときに比喩じゃなくて本当に首を傾げてしまうのは、私の癖だ。
今からでも僅かに胸が大きくならないかと期待して風呂上がりに毎日飲んでいる牛乳がなくなってしまったこと自体は別にいいんだけど、問題なのは私以外の家族全員が、牛乳が大嫌いということだ。
賞味期限だって切れてなかった
捨てられたってことはないだろう。
戸惑う私の後ろ。
ばさばさと乱雑にバスタオルで髪をふきながら
いつのまにか弟が立っていた。
「あぁ、ごめん姉ちゃん、それ飲んじゃった」
「……あんた、熱ある?」
「なんで?ないけど」
「……ならいいんだけど」
まあ、別にアレルギーなわけではないのだから、おかしなことではないだろう。謝ってくれてるんだしゆるそう……とは、ならなかった。私はさらに膨らんだ違和感から後退り、そのまま自室へ籠もった。
枕の横に放り投げたスマホ。ずっと音が鳴っているが、肝心の彼氏からのメッセージはない。
出前の追加クーポンのメッセージばっか
ブロックしようかな本当……
って、それどころじゃなくて。
「姉ちゃん……姉ちゃんねぇ……」
弟、清は私のことを千代、と下の名前で呼ぶ。
姉ちゃんと呼ばれたことなどさっきがはじめてだ。正直気持ち悪くてまだ鳥肌が立っている。
細かい癖が、以前となにもかも違うというか……。
嫌いな牛乳を飲んだり、姉ちゃんて呼んだり……
うん、はっきり言おう。
ここ一週間、なんかおかしくない?って。
キャラ変しようとしてるなら、痛々しいから前に戻しなって。
もやもやは抱えず、本人に聞いてスッキリ解決すればいいや。
そろそろ夕飯の時間。米だけ炊いといてと言われたので下に降りよう。
私達姉弟は、まあ仲悪くはないが、仲良くもない多分普通の距離感だ。
昔はよく手繋いで、どこにいくにも一緒だったらしいけど、思春期入ってそれぞれ友達ができて、今じゃもう二人きりで買い物とか映画とか無理無理気持ち悪いていうくらい。
でも家族旅行行くのに置いてくのは申し訳なくない?とか、いいとこ行ったからお土産くらい買ってやるか。とか、駅までむかえにきてよとか。
理由があっての一緒の行動なら抵抗感がないし、特に喧嘩もしない。
もっと仲が悪かったら、なんとも思わなかったのかな。
この、些細な違和感に。
「あ、ねえ明日ゴミ出すから部屋のゴミまとめて持ってきてくんない?」
私が米炊いてるのに弟が部屋でだらだらしてるのはなんかむかつくので、なんだかの家事を押し付けてやろうとおもい、部屋の戸をたたく。
すると、妙なものに触れた。
「えっ、なにこれ……」
いつのまにか見たことがないような錠が何個もつけられていた。
そこではじめて私は本気でゾッとする。
エロ本を隠してるとか、そういう類のそれではなくて、犯罪性があるような、病んでるような、そういうレベルだ。
ギッ……と遅れて戸が開く。部屋の灯りをつけていなかったのか、廊下の光でやっと全体が見えるほどの暗さだった。
「……なに?」
「い、いや、なんでもない……」
あんた変だよなんて、言える空気ではなかった。
再び閉じた戸。
「清……」
私は思わず、弟の名を呼んでいた。
返事は、なかった。まるで違いますよ。
と言わんばかりに。
◇
私と弟は、学年と階数が違うだけで同じ学校なのだが、どうやら異変は家だけにとどまらないらしかった。
休み時間にふと後ろの方を見て気づく。
すこしもじもじと廊下に立ち尽くす男の子が居た。上の学年の教室に入るのに緊張しているんだろう、ちょっとかわいい、弟の友人。
私に用?と声をかけると、男の子は軽くうなずいた。
「あのぉ、その、清君が練習にこなくって……なんか知ってる?ませんか」
「え!?あの野球馬鹿が?!」
「はい」
否定されない野球馬鹿呼ばわり。清はそのくらいの男だった。正直気持ち悪いくらい筋トレしてるし、すきな選手の動画を繰り返し見すぎだし、テレビ占領しすぎだし、休みのときくらい野球から頭離せよ、て感じだったのに。
これは本当にやばいかもしれない。
アイデンティティが失われすぎている。私は休憩時間にスマホを触り、ずっと検索していた。
『急に性格が変わる』
『別人のようだ』
「なんか精神病の記事ばっかでてくるんだけど……うわぁ……まじか、清……嘘でしょ、あんたストレスとは無縁そうなのに」
本当のことがわからないまま、記事はひたすらに不安を煽るだけだった。
さらにはなにかに取り憑かれてるとか幽霊やエイリアン話まで、こっちは真面目に心配してるのに。
「あんたから野球とったら、なにが残んのよ……」
たとえば、私は学生でもネイルやめたくないし、将来はネイルサロンで働きたいし、いまの彼氏は絶対変えたくないし、月一で新しいカフェ見つけたい。
他人には理解できたり、できなかったりする
でも本人には譲れないものが人って何かしらあると思う。
歳とともになにかが一つずつ興味が失せていくならわかる
でも、弟の異変は……ここ最近で急速だ。
私はとりあえず弟にメッセージを送った。
『なんで今日部活休んだの?体調わるいならなんか買って帰ろうか』
5分後、返ってきたのは
『あ
アシタはいく』
「……」
その言葉通りというか、本当に次の日からは行ったらしいが、それはそれで、急に下手になった、とか、さらには、かと思えば未だかつてない遠くまでボール飛ばしたとか足がとてもはやい、誰も追いつけない、とか。
うまくなったり下手になったり、まるで、人の体の操作に慣れていないみたい。
「清、あんた最近おかしいんじゃないの?」
私は、んぐっと唐揚げを喉につまらせる。
これを聞いたのは母だ。怖くて聞けなかったことを聞いてくれてありがたいが、直球すぎる。
弟はゆるゆると首を傾げると、そうかな。と呟いた。
「ずっと勉強してるじゃない?受験はまだなのに……まあ、おかしいといっても、頑張ってるみたいだから、いいんだけどね、テストの点もいいし、嬉しいわ。ただ、無理しないでね」
「え、それだけなのお母さん、もっと色々なとこ変じゃない?」
「何言ってんのよ千代、失礼よ、いくら弟とはいえ」
「そうだよ、失礼だよ姉ちゃ……千代」
姉ちゃんとは呼ばない
千代と呼ぶ。
そういうデータを取り込んで喋っているようだ
段々外見だけではなく中身も弟に似てきたのが、私の中でさらに恐怖だった。得体のしれないものが、家庭にすっぽりと収まろうとしていた。
でも、たまにボロがでるらしい。
たとえば、UFOの特番で、芸能人が、あーでもないこーでもないと語り合ってる時。
弟は急にぺらぺらと喋った。
「この番組はおかしいね、宇宙人がいることを馬鹿にしてるよ。宇宙は広いんだ。なんで自分たちのいるところだけに生命があって優れていると思う?かつて人は同じ地球上に他の国があることを信じて探したし、実際別の国があって別の文明があったわけなんだから」
「ちょ、ちょ、なによ急に」
私が止めたからなんとかなったけど、これには父も母もすこし、顔を強張らせていた。
私の中で、確信になる。
この弟は、別人だ
理由がなんであれ
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