彼女も思い出していたらいいなと思う、そんな夜

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彼女も思い出していたらいいなと思う、そんな夜

 一人の女性の絵を描いていた。 過去の記憶を辿って描くしかない。  どこにいってしまったのか分からない、初恋の相手との二人の写真。 一日中部屋の中を探した。 日記の間に挟まっていないか、集めたポストカードの束の中に紛れ込んでいないか。 実家からこの部屋に持ってきたのは確かだ。    酔った夜に捨てたのだろうか。 そんな訳はない... 再び記憶を辿っていると、一つの可能性が浮かんだ。 でも、それについては深く考えるのをやめた。  今になって描こうと思ったのは、彼女がまた夢に出てきたから。 僕の夢に出てくる人物の中で、彼女の登場回数が一番多かった。 何度も夢で見たはずなのに、今回は一段と僕の心を揺らした。 ただ、切なくて仕方がなかった。 急に後悔も始まる。 もし、言葉にしていたらどうなっていたか想像もした。  僕がこんな深い時間に絵を描くのは、恋しさの表れ。 窓から月を覗いたりするのは、期待の表れ。  夢に出てくる彼女も、ふと思い出す彼女も、いつも笑顔だった。 叶わなかった初恋だから美しいのかもしれない。 でも、彼女だから美しいという思いも否定できない。  僕は今、美しい笑顔の一人の女性を描いている。 隣にいた事実を振り返りながら。 交わした言葉を必死に思い出しながら。 そして、無くなった写真の行方を思いながら。  思い出している記憶は、僕が創り上げたものという可能性も考えなくてはならない。 十代の青春時代。 二十代の僕には届かない輝き。 薄れる記憶と、残したい願望の間で、やはり記憶は少しずつ変化する。 良いように捉えたり、捏造したりする。  彼女も僕を思い出していないだろうか。 夢に僕が登場したり、ふとした瞬間に思い出したり。 彼女にもそんな夜が、そんな日があるのなら、それだけで十分だ。  僕にはまだ、彼女を描く理由がある。 届かないからこその、切なさがある。 その切なさを描く価値がある。 初恋はそういうものだと思う。
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