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杏奈と石橋
その日、立石杏奈は石橋先輩に呼び出されていた。
杏奈が待ち合わせ場所の公園に着くと
石橋は自分の自転車の脇にしゃがみ込み地面に幾何学模様のような落書きを一生懸命かいていた。
小学生か…と突っ込みたくなる。
部活の休憩中も地面によくこんな落書きをしていたなぁと杏奈は少し懐かしくなった。
杏奈には石橋が何故自分を呼び出したかわかっていた。
石橋先輩は水上先輩に何が起きたか聞きたいのだ…
「おぅ 杏奈わざわざ悪いな」
石橋先輩はいつもの調子で私を迎えた。
心なしか元気がないような気がする…
石橋先輩は高校に入ってから陸上を辞めバスケットを始めた。
理由は同じ中学で陸上部だった結城和人に誘われたからだ。
結城先輩がバスケ部に入った理由は、陸上よりバスケの方がモテそうだからという単純なもので、その話を結城先輩の元彼女の加藤先輩から聞いた時はあいかわらずチャラいなと呆れてしまった。
水上先輩の中学陸上の全国大会出場が決まった夏休みに2人が差し入れを持って中学を訪れ今井先生と、はしゃいでいたのがひどく遠い昔のような気がした…
「今井先生が海で溺れて亡くなってから水上と連絡が付かないんだけど学校の方はどうなってるんだ?」
石橋先輩と結城先輩はグループラインで
卒業後も水上先輩と連絡を取り合っていたらしい。
夏休みにきた時、結城先輩が口を滑らせて教えてくれた。
「俺 あの今井が死んだなんて今でも信じられないんだよ…」
なんだかんだいっても石橋先輩は今井先生を慕っていた。
ならあの噂もショックだっただろう。
水上先輩と今井先生は駆け落ちして心中を図った…
学校ではドラマでしか見た事がない私服警官らしき目つきの悪い男達が職員室の辺りをウロウロしているし、先生達はピリピリしていて例の噂には箝口令が出されていた。
生徒達には今井先生が海釣りに行って溺れて亡くなった事だけが全校集会で伝えられていた。
「水上先輩は家庭の事情で転校したそうですよ。」
私は冷たくそう言った。
実際、表面上はそういう事になっている
水上先輩のSNSもラインも全てアカウントが削除されたと聞いていた。
石橋先輩の様子からもソレは事実らしかった。
「そうか…」
石橋先輩は肩を落とした。
「なぁ あの噂は本当だと思うか?」
「どうですかね?
二人でよく話し込んでいる姿は見ましたけど…」
私には二人が駆け落ちした話は信じられなかった。
何て言ったらいいのかわからないが、二人が話している様子は恋人同士の様な濃密さではない気がしていた。
もっと別の何か…
でも私は否定しなかった。
噂の真偽がどうあれ、私は私が欲しい全てを手に入れた水上先輩が妬ましかった
そしてそんな自分が嫌でたまらなかったのだ。
だから先輩がいなくなった事にホッとしていた。
結局、その後は連絡も無く石橋先輩に会ったのはそれが最後になった。
石橋先輩は今でも私の初恋のほろ苦い思い出だ。
中学を卒業した後、私は高校へバスで通っていた。
同じバスに特別支援学校の生徒達と一緒になる事が何度かあった。
特別支援学校の生徒達が黙々と手話を使い話す様子を何処かで見たような気がして私は一生懸命思い出していた。
そしてやっと思い出した。
それは水上先輩と今井先生の話しこんでいる姿だった。
二人はあの時、きっと二人にしか理解し合えない言葉で会話をしていたのだろう。
地球に不時着した宇宙人が地球人に囲まれて、帰る事のない故郷の星の話をするように…
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