二章 ドラゴンと龍、その派閥

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『暴走―オーバーヒート― 一話』  校舎の廊下に響く、自分だけの足音。この棟はこの時間、使用されていない部屋しかないというのだから仕方がないとは言え、学校で、まだ明るい時分にここまで静かだというのもなんだか異様で、落ち着かない。……いや、そうじゃないな。それもあるにはあるけれど、一番の落ち着かない理由が別にあることは、嫌々ながら自覚している。 「……やっぱり、流石に任務に私情は挟むのは副長失格だよなぁ……」  はぁ、と息を吐きながら俺は、報告を任せた瑠璃さんのことを思い、一人頭を悩ませていた。 『それでは副長、現状報告は俺がしますので、先に見回りを進めてください』  教頭と別れ、連絡通路を通って今いる別棟に着いた早々、瑠璃さんは俺へとそう宣言してきた。  正直、問い掛けではなく言い切りのその言葉に初め、俺は目を丸くしてしまった。なにせ普段の彼は、あまり自分の意見を率先して口にはせず、こちらからの指示を待つ姿勢を取ることの方が多いから。  多分、それはきっと瑠璃さんにとって、瑠璃さんより経歴の浅い俺や燐を鍛える意図もあってのことで、だからこそ、それに気付いているから、日頃から俺たちは長の名に恥じない言動を心掛けている。  だと言うのに。そんな瑠璃さんが、今日に限っては俺に有無を言わさず、報告は自分がすると俺へ先を促してきた。 「……やっぱ、気を遣わせた……のかなぁ」  例の如く感情の読めない顔で、ただ淡々と告げた瑠璃さんの言葉を思い出す。ああいや、もしかすると、気を遣わせたと言うより、仕事に差し支えると判断された結果、報告を引き受けてくれただけなのかもしれない。うん、そっちの方がしっくりくる気がする。  一人、廊下を歩きながらそこまで考えた後、俺は深くはぁ、と息を吐いた。 「……折り合い、なぁ」  こう静かだと、どうしても考えてしまう。この一週間の燐とのやり取りを。  おそらく燐は、俺が燐に対して距離を取ろうとしていることに気付いてるだろう。なにせ、瑠璃さんが気付いているくらいだ。いくら鈍い奴とはいえ、ここまでくれば流石に気付いていないはずもないだろう。  だからこそ、さっさとこの雑念を振り払うべき……なんてことは、頭では理解している。……そう、理解はしているんだ。 「そうは言ってもなぁ……」  事はそう簡単な話で済まないんだよなあ、なんて。そんな言葉と共に俺は、また大きく息を吐き出した。  燐への気持ちを隠して、隠して、ひた隠しにして……かれこれ十五年。学生の頃はまだ良かった。友達として隣にいれば、まだ苦しくなかったから。学校を卒業した後、取締機関に就職できたその時。多分燐とは離れるだろう、そうしたら、きっと子供の頃に抱いた恋心なんて、次第に薄れていくに違いない。そう思っていたら、何故か気付いたらしれっと燐が俺の隣にいて。おかげで、薄れるどころか、日に日に燐への想いが溢れて仕方がなくなった。  だからもう、俺には、この想いを燐の傍で隠し続けるのは難しくなってしまった。 「……やっぱり、離れるしかない、か」  何度思考を巡らせても、いろんなパターンを想定しても。最後に行き着く答えは、結局それだ。燐に想いを告げる事はできない。でも、その想いを殺すこともできない。……であればもう、自分にとっての最適解は、燐との離別、ただそれしかない。 「でもなぁ……離れようにも、どう言うわけかアイツ、気付いたらいっつも横にいるんだよなぁ」  どうしたものか……そう、何か良い案はないかと、歩きながら思考を巡らせていた、その時。 「……っ! ……なんだ? この臭い……」  不意に鼻を掠めた、微かな、けれど特徴的な臭い。  すん、と鼻を鳴らす。さっきまでは全く感じなかった、ほんの微かな臭い。明らかな違和感に、臭いの出処とその臭いが何なのか、嗅ぎ分けようと意識を集中する。  そして、その刹那。すぐにそれが、ひどく嗅ぎ慣れた、鉄錆に似た臭いだと気付いたものだから。俺はすぐさまその場から駆け出した。  平穏な校内には似つかわしくない、不穏で鮮烈な血の臭い。それがすぐ側ならまだしも、遠くから漂ってくる。それは、その出血量の多さを物語っている。それを瞬時に理解して、俺は臨戦態勢を崩さないよう、臭いの発生源へと駆け付けた。 「ここか……っ!」  そうして、血の臭いを間近で感じる教室まで辿り着いた俺は、開け放たれていた扉から身を乗り出し、すぐさま現場の状況を確認した。  そして、次いで映り込んできた衝撃な光景に、思わず目を瞠った。 「なん、……?」  そこは、恐らくは空き教室なのだろう、ひどく殺風景な一室だった。隅に追いやられてある机と椅子以外、目ぼしい物はなに一つなく。申し訳程度に取り付けられたカーテンが、窓の外から吹く風によって静かに揺れている。  その部屋の中央には、銀髪の少年が一人、佇んでいた。己の体を守るよう、自分で自分の体を抱え込み、遠目から見ても分かるほどに荒く肩で息をしている。その顔は前髪で隠れて上手く見えなかったが、見たところ、この学園の生徒だろうことは伺えた。  そんな彼の前に、幾人もの人間が血を流し、倒れている。その異様な光景に、俺は間髪いれず部屋の中へと駆け出していた。 「っ、だ、大丈夫ですか⁉︎」  一体何が……⁉︎そう声をかけながら、倒れている人たちの側に駆け寄り、すぐさま容態を確認する。  倒れている者は皆、学生ではなく成人済みの大人だった。教員だろうかその人たちは、不思議と体格の良い男性ばかりで、そこに少しの違和感は覚えたものの、それは一旦隅に追いやる。一目見ただけで皆、打撲に切り傷、骨を折られている事は伺えたものの、全員意識はなく、状況は一切分からなかった。けれど、どうやら誰も死んではないようで、その事実に一先ずほっと息を吐く。  それから、俺はこの惨状の中で唯一立った状態で、状況を知っていそうな少年へと視線を移す。 「……君、一体ここでなにがあったんだい?」  そうやって視線を上げた、その瞬間。俺はまた、言葉を失った。  目の前に佇む少年は、終始先程から変わらず、肩で荒く息をしていた。そんな彼は、近付いたことで分かったが、左目を手で覆うようにしているようだった。 「君っ、もしかして目に怪我を⁉︎」  一体、ここで何が起こったのか。それはいち早く知る必要があったが、それよりも先に負傷者の状態確認が優先だ。そう判断し、『大丈夫……っ⁉︎』そう、彼に駆け寄った。  その瞬間。バシッ――と、乾いた音とともに、彼へと伸ばした手がじんじんと鈍い痛みを訴える。 「っ、! ……え?」  手を跳ね除けられた。その事実に、何故、と目を丸くしていると、眼前の少年が、すぐにキッ、と鋭い視線を向けてきた。透き通るような透明感のある黄褐色の目は、けれど今はひどく苦しげに細められており、おかげでよりこの少年の状態が芳しくないことを裏付けている。  どうして、彼は俺の手を払ったのだろうか。そう、悩んだ一瞬のこと。 「触、っるな…………っ!」 「……っ⁉︎」  少年が、そう自分へと吐き出したのと同時。勢いのある何かが己へと飛んできて、俺は抵抗する間もなく、後ろへと吹き飛ばされる。  瞬間、強かに背中を壁に打ちつけ、みしりと骨の軋む音が体の奥で響く。 「っが、っ……⁉︎」  壁へと目掛けて吹き飛ばされたその後、ずるずると床へ滑り落ちる。咄嗟に受け身は取った。が、不意の出来事に勢いを殺しきれなかったようで、背中に鈍い痛みが走る。  かは、と肺から無理に吐き出された息をどうにか落ち着かせようと、ヒュ、ヒュ、と、ゆっくりと呼吸を繰り返す。 「な、んだ……今の……⁉︎」  軋む体を支えながら、顔を上げる。そうして視界に映った光景に、俺は何度目かもわからない息を飲み込んだ。  銀髪の少年は、俺よりも苦しそうに、未だ肩で荒く息をしていた。自分の体を抱き締めるよう、腕を交差したまま次第に背を丸めていく彼は、どう見ても正常ではない。加えて彼の周囲からは、不定期に、恐らくは彼の能力なのだろう、先程のような鋭い風が漏れ出ており、どうにも制御ができていないことも伺えた。  そんな彼を見て、瞬時に現状を理解する。この職種であれば、幾度も目にする光景。 「これは……っ、オーバーヒート⁉︎」  竜の系譜持ちには、いつ何時でも付き纏うある状態が存在する。それが、オーバーヒート。――――つまるところ、竜の能力の暴走だ。
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