二章 ドラゴンと龍、その派閥

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『暴走―オーバーヒート― 二話』 「っ、くそ!」  状況を理解したのと同時、俺はすぐさま腰に巻きつけたベルトへと手を伸ばした。  水を操る事を基礎としている水龍の系譜である自分用の、ホルダー付きベルト。そこには、携帯用の水入りボトルがいくつか取り付けてある。  今日、出発前に用意したのは、小さなボトル二本と大きなボトル一本。元が学校の偵察任務だっただけに、戦闘する前提で用意はしていないから、非常に心許ない数だ。陽動や拘束をするにしても、本来なら安全を考慮して、大のボトルが二本は欲しい所だ。……けれど、そうも言っていられない。  見た所、今は彼自身も、どうにか自分の能力を抑えようとしている。とはいえ、それも長くは保たないだろう。なにせ、抑えきれていない風の残滓が、ずっと彼の周りを取り巻いている。  ふぅ、と、心を落ち着かせようと一度、静かに息を吐く。  正直、あまり慣れてはないけれど……。そんなことを思いながら俺は、銀髪の少年を視界に入れたまま、後ろ手に二本の小さなボトルへと手を掛けた。  そのまま慣れた手付きでボトルを取り外し、扱いやすいように掴み直す。瞬間、ずきりと痛みを訴えた肩に、思わずぐっと眉間に皺が寄ったけれど、すぐに意識を集中し直した。  自分の痛みなんて、今、目の前で苦しんでいる彼に比べれば、ほんの些細なものだ。 「っ、……は、ぁっ……!」  すると、不意に眼前の彼が、ぐらりと態勢を崩した。瞬間、そんな彼に合わせて、その周りを取り巻いていた風が大きく揺らぐ。  ――――今だ。  その瞬間を逃さぬよう、間髪入れずに俺は、ぐっ、と右足に力を込め、前へと踏み込んだ。片手に握ったままのボトルのキャップを、二本ともパチリ、と上に弾いて開く。 「ごめんね、ちょっと手荒にするよ」  そう小さく呟きながら、俺は攻撃されることも厭わず、勢いよく彼の懐へと潜り込む。 「っ、……⁉︎」  瞬間かち合った彼の瞳が、驚いた様子で丸く見開いた。それは、清くとても澄んだ、琥珀の瞳。不安げに揺れる、迷子みたいな瞳。  その目を見て、思う。そうだよね。力の暴走は、当人が一番怖くて、寂しいよね。  オーバーヒートは、一度発生すれば一切の抑えが効かなくなり、自分の身の内に渦巻く強大な系譜の力にずっと飲み込まれそうになる。早く助けて欲しいのに、その手を自分が傷付けてしまうから、最後には自分から遠ざけて……結果、苦しみがずっと続いてしまうのだ。  だから、俺はなんとしても君を助けるよ。……以前、俺がそうしてもらったように。  瞬間脳裏に過った、炎のような紅い瞳に、思わず笑ってしまいそうになった。こんな時だって、思い出すのは彼奴のこと。こんなの、もう末期じゃないか。 「――――捕縛」  そう呟きながら、握るボトルを彼へ目掛けて振り下ろし、中の水を彼へと浴びせた。その瞬間、流れ出た水は飛び散ることなく、二本の鞭のようにしなり、少年の体を拘束した。 「っ、え……っ⁉︎」  身動きを封じられた少年は、そうしてそのまま床へと倒れ込む。驚いた様子の彼は、何が起こったのか分からないとでも言いたげに、何度も目を瞬きしている。  そんな少年を前に、俺はふぅ、と再度息を吐き出した。 「正直、白兵戦は苦手だから怪我も覚悟の上だったけれど……上手くいってよかった」  後方支援なら得意なんだけどね、なんて格好の付かないことを言いながら、ごめんね、と腰を落として少年の顔を覗き込む。 「怪我はしてない、かな……とりあえず、暴走を解かないとね。ゆっくり深呼吸できるかい?」  深呼吸して、気を落ち着かせて……そう近寄りながら、少年へと声を掛けると、ほんの少し呆然としていた彼が、不意に焦った様子でダメだと叫んだ。 「っ、近寄らないで!」  彼が拒絶の言葉を発した、その直後。薄らいでいた彼の能力が、俺へと明確に注がれた。  幾重にも連なった、鋭い風の刃。それらが容赦なく降りかかり、頬と左肩に一筋の鮮血が伝った。 「いっ、つ……」  下手な刃物よりも鋭い切先に、思わず声が漏れる。その瞬間、手前でヒュッと息を呑んだ音がして、目線を落とせば、銀髪の少年が俺を見上げたまま、見るからに怯えた様子で顔を強張らせていた。  その表情を見て、瞬間思った。これは多分、拙い。おそらくこれは……傷を負わせるということは、きっと彼にとって地雷だ。 「あっ、と……! だ、大丈夫だよ! これは君の所為じゃないから、だから気にしないで――――っ」  咄嗟に言葉を連ね、彼の気を逸らそうとはしたものの、時すでに遅し。銀髪の少年は、俺を見上げながらも視線をゆらゆらと揺らがせ、はく、と息を声にならない声を吐いた。その目線は、俺と合っているようで合っていない。 「あっ、……ああ……っ、また、また僕は……同じことを……!」  あからさまに動揺する彼を前に、すぐに俺はもう一度身を屈め、大丈夫だからと声を掛ける。  君は何も悪くない。ただの力の暴走だ。怪我をしたのだって、俺の注意が足りていなかっただけだ、と。――――けれど、それを口にするよりも先に、彼の周囲を先程とは比べものにならない程の密度の風が取り巻き、凄まじい勢いで弾かれてしまった。 「――――っ、防波膜‼︎」  咄嗟に残りのボトルを掴み、水で防護壁を張る。が、風の威力を殺しきれず、後ろへと弾き飛ばされる。  なんて強さだ……っ! 「っ……! 駄目だ! これ以上は君の身体が……っ!」  保たない、そう叫び、何とか彼の制止を試みようとした……その瞬間。 「――――琥珀(こはく)‼︎」  刹那、騒然とした部屋の中へ、そんな声が響き渡った。 「っ⁉︎」  その声に、気が動転しかけていた少年も俺も驚き、咄嗟に声のした方へと顔を向ける。そうして、視界にその人物の姿を捉えた直後、俺は目を瞠った。 「……っな、……空⁉︎」  なんでここに?そう俺が口にするよりも先に、空は教室へと飛び込んでくるや、オーバーヒートを起こしている少年へと駆け寄ろうとしていた。それに気付き、咄嗟に止めの言葉が口を付く。 「っ、駄目だ空! 危な――っ!」 「分かってるから兄さんは黙ってて!」  だというのに、返ってきたのはそんな怒号でこれまた驚愕する。今日という今日まで、弟からそんな乱暴な台詞を投げられたことがなかったから、衝撃で言葉をなくしてしまう。 「副長!」  すると、不意にまた部屋の外から聞き馴染みのある声が飛んできた。顔を向ければ、そこには瑠璃さんの姿が。 「瑠璃さんっ」  あまりにも安心感のあるその存在に、思わず顔が顔が緩む。情けないとは思うが、こういう場面に彼という存在は非常に心強かった。 「詳しい話は後ほど、今は彼の安否の方が先決です!」  そうこうするうちに、瑠璃さんは詳しい話はせず、懐へと手を伸ばすや、すぐさま銀髪の少年へと目掛けて黒い何かを投げ付けた。  カカッ! と、座り込む彼を囲むよう、四辺に突き刺さったそれらは、瑠璃さんが所持する武具の一つだ。主に術式を展開する時に使用する、軽量型の小刀。 「――――八白(はっぱく)!」  そう、瑠璃さんが口にするのと同時に、少年を囲むよう床に刺さった小刀が淡く光る。  瞬間、少年の身体を取り巻いていた風が緩んだ。おそらく、即座に簡易な結界を張ったのだろう。今、彼のいる空間は瑠璃さんの力によって、一時的に鎮静されている。  それを見計らい、瑠璃さんが空へと叫んだ。 「約束通り、周囲の風は抑えたぞ!」 「分かった!」  何やら訳知り顔な瑠璃さんの横顔と、銀髪の少年の元へと駆け寄る空。そんな二人を、俺は混乱する思考のまま交互に見遣る。  すると、空が銀髪の少年の真正面へと駆け寄り、そのまま――――彼を、優しく抱き止めた。 「……悪い、琥珀。遅くなった」  銀髪の……琥珀と呼ばれた少年は、瞬間、まんまるに目を見開いた。そして……空の腕の中で、今度は今にも泣き出しそうに、くしゃりと目元を歪ませた。 「……別に、来なくていいって、いつも言ってるのに……馬鹿」  その口から溢れたのは、そんな悪態だったけれど。その腕は、しっかりと空の背中に伸ばされていて、その言葉が本心からくるものではないのだろうことが伺えた。  それに空も気付いているのか、小さく笑ったと思えば、そうだな、なんて軽口を零す。  ぽん、ぽん、と彼の背を、まるで子供を宥めるように柔く叩く空の姿に、俺はただ目を丸くするばかりだった。 「おさ、まった……?」  そうして気付けば、彼を取り巻く風は消え、無事オーバーヒートは鎮圧していた。 「そのようですね」  大事にならなくて良かった、と瑠璃さんが呟きながら息を吐く音を耳にしながら、俺は、未だ銀髪の彼を抱き締めて離さない弟の姿を見つめていた。  何が起こったのかは、未だによく分かっていないけれど。きっと、彼は空の友達、なのだろう。空はあまり自分のことを語ろうとしないから、俺も今初めて知ったが……。『気心の知れた関係』、そう断言できるくらいには、二人の間を取り巻く空気は柔らかいから。大切な子なんだろうと、そう思った。
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