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#1 (Day1)
憂鬱な入院生活が幕を開けてしまう。
昨日、入院手続きをカオリさんと共に行い、今回はオメガ専用病棟に隔離される事となった。
抑制剤を服用せずとも発情期がこなくなるため一般病棟でも良かったのだが、一般病棟に移るとなると担当医師を変えなければならなくなるらしい。
精神科への入院も、精神病棟にはラットになったアルファも多いため、フェロモンに触発されて俺が食事出来なくなるのは本末転倒だから、と先生の計らいでオメガ専用病棟になった。
朝7時に起きて体温と血圧を図られ、朝食と飲み薬が出る。
昼11時半にまた、昼食と飲み薬。
13時半〜15時の間に、診察とカウンセリングがあるらしい。
また19時に夕飯と飲み薬だ。
先生が個室にしてくれたため、カウンセリングもこのままベッドの上でいいらしい。
けれど俺は、今日の朝食は愚か、飲み薬でさえ胃が受け付けず戻してしまい、急遽ウィダーインゼリーを買ってきてもらってそれを共に薬を飲み込んだ。
昼も固形は飲み込めず、結局流動食で流す事に。
そうしているうちにカウンセリングの時間がやってきた。
ノックを3回したのち、ガラリと音を立てて入ってきたのはこれまた若い男性だった。
心做しか顔色が悪く見える。忙しいのだろうか。
「美澄 要さんですね」
仏頂面で無愛想。
低く抑揚のない声で話しかけられ、俺はおずおずと1つ頷いた。
「本日から1週間、美澄さんのカウンセリングを担当させて頂きます、文月 飛鳥と申します。よろしくお願いします」
「……ぁ、はい」
ぺこり、と同じように頭を下げれば、文月さんは横にあった丸椅子に音を立てて腰を下ろした。
「では早速ですが─……」
淡々と始まるカウンセリングに多少おどおどしつつも、聞かれたことに「はい」か「いいえ」くらいで答えていき、初めは文月さんが俺を知るための質問コーナーのようなもので終わった。
「ではこれから佐々木先生にもまだお話出来ていないことを徐々に私に話していただけたら嬉しく思います」
「……ささき、せんせ?」
誰だろうかそれは。
「……美澄さんの担当の先生です。佐々木 恭司先生と言います」
え、そうだったのか。
知らなかった。
どことなく呆れた顔をした文月さん。
「美澄さん。何故いま自分が、こんなにも体調が悪くて心も疲れてしまっているのか、心当たりはありますか」
抑揚のない声は俺の答えたくない部分を的確に質問してくる。
カウンセリングはこの入院生活でいちばん憂鬱な時間になった気がした。
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「美澄さん。答えたくないことは無理にとは言えないのですが、……せめて、こうなってしまった要因は、心当たりがあるのなら教えて頂きたいです」
全ての質問に無言を貫き通した俺は、文月さんに呆れた顔をされる。
「……言わなくても、ご存知でしょう。番を亡くしたんです。こんなオメガ、見飽きてるでしょ」
こんな嫌な言い方、お世話になっているのに失礼だと自覚している。
けど元の自分はこうだった。康介さんと出会う前、康介さんに愛を与えられる前の自分は、嫌味で皮肉で、愛想もなくて、まともに人と話す気もなくて。
そんな俺をあの人だけが根気強く支えてくれて、愛してくれた。
そんな人を育てた御両親だったから、きっとオメガとの結婚を許したかったんだと思う。
葬式でも激しく避けられてたわけではなかった。
ただ、遠目に横目で見ていた、それだけだった。
独りになるのが嫌なんじゃない。前の嫌な自分に戻るのが嫌なんじゃない。
俺は、あの人がここに居ないのが嫌だ。
「美澄さん……今日はここまでに、」
「……目を開けても、」
「……はい」
唐突に話しても、文月さんは何も言わなかった。静かな声で相槌を打った。
「目を開けても、愛する人が居ない世界で……どうやって明日に希望をみつけるんですか」
文月さんは真っ直ぐに俺を見つめて、口を結ぶ。
相変わらずの無表情で、でも無表情は俺だって負けていないと思う。
文月さんは詳しいことを何も知らない。それでも、遮らずに聞いてくれるこの人をほんの少し、居心地がいいと思った。
「……仕方の無いことだとは分かってるんです。人の命は儚い。1週間……たった1週間だけでも、あの人が必死で生きようと頑張ってくれた時間だったのも分かってます」
「……はい」
「でも、……」
でも、だからってどうして大切な人をみんな失わなければならないのだろうか。
俺はそんなに前世で悪いことをしてしまったのだろうか。
康介さんが亡くなったのも、両親が亡くなったのも、俺のせいではない。
はっきり言って俺は無関係だった。
康介さんは出勤途中に、横断歩道を渡り切れていなかった子供を助けて亡くなった。
両親は、スーパーに2人仲良く買い物に行った帰りに居眠り運転にひき逃げされて亡くなった。
俺は、いつも家で待っていた。
お掃除したり、時にはご飯を作ったり。
テレビをみながら、そろそろかなあなんてニヤニヤして。
父さん帰ってきたら競馬のことを聞こう、馬の名前はどうして変なのが多いのかとか、さっきテレビでやってたゴルファーはこのあいだ怪我をして引退って言われてなかったっけ?とか、
母さんが帰ってきたら、今度家庭科で肉じゃが作るって言われてるんだけど、みんなを驚かせたいから美味しい作り方先に教えて、とか、授業参観終わったら映画観に行こうよ、とか。
康介さん帰ってきたら、週末のデートはやっぱり水族館にしたいなって、車も一緒に洗おうよピカピカのコツ聞いたから、……
……だから、俺、おかえりってみんなに言いたいよ。
「即死じゃなくて良かったんでしょうか。最期にあの人は夢をみたんでしょうか。それとも、苦しいだけだったのかな、……痛かっただろうな、っ、だって、……っ、しんだんだもんな、」
じわじわと視界が歪む。
叫び出したい悲しみと恐怖、どれだけ康介さんが痛かったか、苦しかったか。
生きたかったのかな。だって頑張ってくれたもんね。1週間も、怪我しながらも息をしてくれたもんね。
待ってたよ、おれはまってたよ、……でも……でも、疲れちゃったよね。
痛いこと頑張るのは、生きることを頑張るのは、疲れちゃうんだよね。
呼吸は乱れなかった。ただただ、雫を零さずにいられなくて、俯いて涙を流した。
落ちた涙は、病室の白い掛けカバーに濃く染みた。
繊維に沿って濡れていくカバー。これは布だからすぐ乾く。
呆気なくすぐに、乾く。
「……エンドロール」
「……え?」
ぽつり、と呟いた文月先生の声に俺はゆっくり顔を上げた。
文月さんは何を考えてるのか分からない表情のまま、静かにそこに居て、静かに俺を見つめる。
まるで穏やかな波のように……けれど酷く、暗くて寂しさを思わせた。
「……1週間、エンドロールをみていたんじゃないでしょうか」
「……エンドロールってあの、映画とかの?」
「はい」
真面目な顔をして急に何を言うのか、と俺が訝しげに見つめていると、文月さんは一瞬瞼を閉じて、そしてゆっくり開いた。
……あ、先生の瞳、黒が深い。
「……私だったら、……走馬灯なんかじゃなくて、エンドロールがみたいなあって常々思ってたんです」
「……?そう、なんですか?」
「はい」
文月さんの顔から冗談を言っているようには思えない。だから、笑うこともなく、俺たちは嫌に真剣に見つめ合って、言葉を返し合った。
「走馬灯のように目まぐるしく見せられても、いろいろ懐かしむ前に死ぬ気がするんですよね。でもエンドロールなら、お世話になった人、忘れたくない人、大事な人、愛してる人、家族、友人、……皆の名前がフルネームで丁寧に書かれていて、背景ではその人たちの笑顔だったり、泣き顔だったり、いろんな大好きな顔があって」
無感情に思えて、愛想もなくて。
ロボットのような文月さんは、相変わらず表情に変化は無かったけれど、彼の瞳は凪いでいて美しいと思った。
「……死ぬ時こそ、大好きな人たちの大好きな顔をみてから死にたいじゃないですか」
長いまつ毛が一度伏せられ、もう一度、真っ直ぐな瞳が俺を捉える。
「だから俺は、……」
あ、本当は「俺」って言うんだ。
「……エンドロールがいい。自分が死んだ時はエンドロールがいいから、自分の大切な人も時間をかけてゆっくりみんなを見つめて、静かに眠ってほしいと思ってます」
適当なのか真面目なのか。
そんな事だってやっぱりそれは本人にしか分からない。
俺は、彼の中で大切な人だったのだろうか。大好きな人だったのだろうか。どの枠で出演しただろうか。
乾いた唇をそっと、開いて自分の白くてかさついた元気の無い手を見下ろした。
「……できることをやって、愛せるだけ愛して、本当にすごく大好きで、俺の世界の中で1番に……大切で、俺、いつも、いつも笑ってたんです、……あの人の前で、笑いたくないなんて時がなくて、……彼を見ると、笑顔になっちゃうんです、会えて嬉しくて仕方なくて」
「……はい」
僅かに緩む頬を俺は、わかっていた。
「……俺、あの人のエンドロールでどんな顔をしていたんでしょうね」
もしかしたら、脱ぎっぱなしの靴下に怒った時の顔が映されちゃってたかもな、なんて笑った。久しぶりに、出かける康介さんにキスを送って、見送ってからはじめて、俺は、笑った。
文月さんは何も言わなかった。
言わなかったけれど、俺はなんとなく分かっている気がする。
この顔の緩さは、いつも康介さんの前でしていた。
しまりがないけれど、あなたのことが大好きだと精一杯伝え続けたこの顔が、貴方の最期に映っていたら、俺はすごく、これ以上ないまでに幸せだ。
いつの間にか涙は止まって、頬を伝った雫は乾いていた。涙で濡れた掛布団もいつのまにか、乾いていた。
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