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嵐の夜に……
時刻は深夜の十二時を回っていた。外は滝のような激しい豪雨だ。傘など何も役に立たない。時折り閃光を発し雷鳴が轟いた。
女子大学生の北浦優美は神倉駅周辺に建つアルファマンションへ帰ってきた。さっきからずっとスマホを確認している。
誰も背後からついて来ないか、確かめてエレベーターへ乗った。最近、優美はストーカー被害に遭って困っていた。
大学へ通いながら高級クラブでホステスとして働いているので人気になればストーカー被害は仕方がない。ある程度は承知の上だ。
しかも彼女は妖しく艶めかしい。美女揃いの同僚のホステスの中でもその美貌は際立っている。
当然だが、人気ナンバーワンだ。それだけ客やスタッフから怨まれてもやむを得ない。
「ッたく、ビショビショじゃん。ふざけんなよ」
優美は濡れた服や髪の毛を気にして嘆いた。派手な金髪が雨に濡れて頬へくっついている。
仕方なく優美はエレベーター内の鏡で身だしなみを整えていた。
男心をくすぐる淫靡なファッションだ。見るからに水商売なのだろう。化粧も濃く露出も激しい。
しかもスタイル抜群の巨乳だ。グラビアアイドルにも引けは取らない。
思春期の男なら思わず振り返って見るほど華麗で妖艶だ。
不意にスマホがバイブし着信音が鳴った。
「ンうゥ……?」
優美は着信画面も見ずにスマホを繋いだ。
「ハイ、もしもしィ? 待ってなさいよ。今、エレベーターだから」
友人の誰かと間違えているのだろう。いつものように上から目線で話しを切り出した。
『ケッケケェ……。全能なる神よ。真実の裁きを!』
けれども、いきなりおぞましい嗤い声がスピーカーから響いた。
ヤケに甲高い声だ。ボイスチェンジャーで作った合成音声に違いない。
「え、なによ。ふざけんないでェ……。だ、誰なのォ?」
『ケッケケ、忘れたのか。俺の名は蒼井正義だ』
「あ、蒼井正義……。何それェ? 下ッらない。ふざけんなよ。イタズラなら切るからねえェ!」
すぐさま眉をひそめ顔をしかめた。不機嫌モードだ。
蒼井正義のはずはない。彼ならば七年前に学校の屋上から投身自殺していた。
『ケッケケェ……、相変わらず女王様気取りか。優美! 悪しき行いを悔い改めよ』
気色の悪い嗤い声がスマホから耳に届いてきた。鳥肌が立つくらいおぞましい。
「バァカ、ッざけんな。お前こそ変なイタズラ電話掛けてくるな」
自殺した蒼井正義の名前を騙って脅そうとするなんてふざけたヤツだ。
優美は有無も言わさずスマホを切った。
知らぬ間に息が荒くなり、激しく鼓動が胸を叩いていく。
その刹那、稲妻が煌めいた。地響きを立てて落雷が轟く。
「キャァァッ!」思わず優美は首をすくめ悲鳴をあげた。
電気系統の故障なのか、エレベーター内の照明がチカチカと点滅した。
「キャァァァーー……」また悲鳴をあげるが、雷鳴にかき消された。
『ケッケケケェー……』
どこからか、またエレベーター内に不気味な嗤い声が響いた。狂気の沙汰だ。
「やめてェー。誰なのイタズラはやめてェ」
優美は耳を押さえて絶叫するが、激しい雷雨のため全く外へは聞こえないようだ。
ガッタンと強い振動を感じると突然、エレベーターが停止した。
「キャァー……」
金切り声を上げて優美は後ろへ倒れそうになった。受け身も取れず、強かに鏡張りの壁に背中を打ちつけた。
「うッううゥ……!」息が詰まりそうだ。
心臓がドキドキして来る。全身が恐怖に戦慄いているようだ。突如として、エレベーターの照明が消えた。
「キャァァーー」また悲鳴を上げた。
手にしたスマホの液晶画面の光りだけが頼りだ。優美は必死にスマホを操作し、助けを呼ぼうとした。
『チィン』
だが、それよりも早くエレベーター内に乾いたチャイムが鳴り響いた。
どうやらエレベーターが目的の階へ到着したようだ。
「ゴックン……」
優美は固唾を飲んでドアを見つめた。
ゆっくりとドアが開いていく。
「ヒィッ!」咽喉が張り付いたようだ。
得体のしれない巨大きな影が行く手を遮っていた。
怖ろしく巨大な黒い影だ。エレベーターの前で仁王立ちしているみたいだ。
「ヒィィィィーーーーー」
優美は声を限りに絶叫した。悪夢から蘇ったような黒い怪物が目の前に現われた。
こめかみから悪鬼のように、大きな角が生えている。不気味な姿に優美は震えが止まらない。また照明がチカチカと点滅した。
「な、なにィ、うッううゥ、牛頭ーー……!」
震える声で優美は叫んだ。
異形の悪鬼の顔は、まるで黒々と光る牡牛みたいだ。巨大な牙がむき出しになってグロテスクな顔だ。
牛頭羅刹の仮面をかぶっているのだろうか。まるで迷宮にひそみ、人身御供を喰らうミノタウロスみたいだ。生け贄を血祭りに上げるように大きな槍をかかえている。
全身を黒いマントが覆っていて、まったく体型はわからない。
『ケッケケ、各々の悪行に応じて、『制裁』を受けよ』
怪物ミノタウロスは右手に槍、左手には警棒のようなスタンガンを手に持ち両腕を広げている。行く手を阻むようだ。暗闇の中、スタンガンがバチバチッと火花を散らした。
目が煌々と狂気の光りを帯びている。
「いやァァァァ、やめてェ……」
優美は絶叫しエレベーターの床にうずくまった。気が狂いそうだ。スマホが手から滑り落ちていく。
牛頭羅刹の仮面をかぶった男はゆっくりとエレベーター内へ足を踏み入れた。
『大いなる神は、悪しき『大娼婦』に『制裁』をみせよう』
雷鳴とともにミノタウロスは優美の首筋へスタンガンを叩き付けた。
「ギャァァァァッ」
優美は声を限りに絶叫しエビのように仰け反った。一瞬で、意識が遠のいていく。
だが地響きのような落雷に優美の悲鳴はかき消された。
彼女はエレベーターの床に倒れて失神した。
『悪しき魂に、正義の制裁を!』
異形の牛頭羅刹は嘲るように嗤い優美の足首を掴んでズルズルッと引きずり、エレベーターの外へ運び出していった。
『ケッケケェ……』
嵐の中、ミノタウロスの嗤い声が響いた。
不気味な嗤い声だ。
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