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白い鬼は楽しく生きたい
古びたアパートの扉をくぐる。二階にある小さな一室が、澄也の家だった。
玄関に靴はない。父は澄也が幼いころに出て行った。夜の仕事をしている母とは、滅多に顔を合わせることがない。
テーブルの上にはカップ麺の残骸が残っていた。珍しい、と澄也は目を見張る。母は澄也と顔を合わせることさえ嫌なのか、ほぼ毎食を外で済ませているはずだ。残骸だけでもこの家で見かけるのは珍しい。てきぱきとゴミを片付けた澄也は、いつも通りに風呂へと直行した。
澄也と母の関係は、一般的な親子関係とは言い難かった。健が言っていた通り、澄也は母に疎ましく思われているのだろう。分かっていたけれど、だからと言って今さら何を思うでもない。食事や物こそ与えられないし、話をする機会もないが、澄也は母に殴られているわけでもなければ、罵詈雑言をぶつけられるわけでもないからだ。
徹底的な無関心。けれど風呂にも入れるし、安全に眠れる部屋もある。居心地の悪さだけは拭えないけれど、高校生になれば自由にできる金を多少は稼げるようになるだろうし、魔物を見る力を生かしてどこかの寺の門弟なり退魔師の弟子にでもなれば、ここを出ることも不可能ではないだろう。
中学に進学して一月。たとえ親の関心が自分になくても、友だちと呼べる人がいなくても、幼なじみに悪意を向けられても、澄也は平気だった。
澄也には神さまがいるからだ。
白神様は、いつでも澄也を待っていてくれる。
手早く身を清めた澄也は、脱いだばかりの制服を再度手に取った。澄也の体にはまだ大きい新品の制服をまとうと、幼さの残る顔つきも、ほんの少しだけ大人びて見える。
ほんのり曇った風呂場の鏡の中には、学生服を着た不愛想な少年の姿がうつっていた。生真面目な表情は近づきがたい雰囲気を醸し出しているが、成長すれば精悍な青年となるだろう。意志の強い瞳と、きゅっと結ばれた唇が本人の頑固さをよく表していた。癖の強い短い髪は撫でつけた端からあちらこちらに跳ね出すので、澄也自身は憎らしく思っていたが、自由な髪は気難しく見える顔の印象をわずかに和らげている。
きっちりと格好を整えて満足した澄也は、帰ってきたときとは打って変わって軽い足取りで外に出た。
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